『読売新聞』が掲載していた社説「靖国参拝見送り 的外れな中韓両国の対日批判」がいろいろ興味深かったので、これについて少し。
1 記事の紹介
「安倍首相は、靖国神社の秋季例大祭中の参拝を見送り、神前へ真(ま)榊(さかき)を奉納するにとどめた」ことを受けての記事です。
記事では、「戦没者をどう追悼するかは、国内問題であり、他国から干渉される筋合いではない」としながら「外交問題化している以上、首相の判断は妥当だろう」としています。
「残念なのは、中韓両国に、首相の参拝見送りを前向きに受け止める姿勢が見られないことだ」として、中国外務省の「首相の真榊奉納について『いつ、いかなる方式で参拝しようとも反対する』と述べ、事実上の参拝と見なす考えを」紹介しています。
その上で、日本が「戦後一貫して平和国家として歩み、国際社会にも貢献してきた」ことを意図的に無視し、「安倍政権の政治姿勢を『右傾化』と批判するのは、反日世論を利用し、自らの求心力を維持する狙いもあ」るのではとしています。
また、「今回の参拝見送りの背景」として、「日中・日韓の対立を懸念する米国」について触れ、「今月初旬に来日した米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官」の千鳥ヶ淵戦没者墓苑の訪問・献花に言及しています。
そして、最後は「戦没者の慰霊をどう考えるかは、日本国内にも様々な意見がある。戦争指導者への批判も根強い。だれもが、わだかまりなく戦没者を追悼できる国立施設の建立について議論を深めるべきだ。」とまとめています。
2 譲歩
今回の安倍首相の参拝見送り(真榊奉納)に対する、中国や韓国の反応についての私の感想ですが、「困ったものだ」というのが正直なところです。
この記事にもあるとおり、安倍首相は中国や韓国に配慮して、「参拝見送り」という譲歩策をとったわけですが、これに対して全く評価せずに、真榊奉納を批判してきました。
何度か繰り返してきているように外交は駆け引きなので(竹島に上陸した韓国国会議員の行動はパフォーマンス等)、こちらが譲歩した場合には相手もある程度譲歩してもらわないと、交渉が前進しないわけですが、全くそうした態度は見えません。
以前書いたように、勝手に自分たちがつくったハードルを日本側に超えてくるように、一方的に要求しているだけで、自分たちが全く妥協するつもりもないわけですから(自分で盛り上げた「反日」に縛られる韓国外交)、これで交渉が進むと考えている方がどうかしています。
3 アメリカ
ま、アメリカとしては、東アジアで下手に波風がたっても良いことはないので、日本側に一定の自制を求めるのは当然で、その1つとして、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を提示してきました。
慰安婦像の設置が典型ですが、こうした問題は直接アメリカに関係するものではありません(韓国に「慰安婦問題」で巻き込まれるアメリカ、韓国に「慰安婦問題」で巻き込まれるアメリカ2)。
そのため、アメリカとしても必要以上に口出しをして、日本と韓国どちらかの肩を持ったとしても、片一方からは恨まれるだけなので、おそらくこれ以上どうこうするつもりはないかと思います(そういう意味で韓国に対する牽制もあまり期待できません)。
4 最後に
社説の最後で、とってつけたように、「わだかまりなく戦没者を追悼できる国立施設の建立」について言及しておりますが、興味深い話で、新聞の社説という形をとる以上、いろいろな人に配慮したというところでしょう。
実際、社説は最初から、中国や韓国に対して批判的なわけですが、戦没者追悼に至っては、自社の意見を提示せず、かなりあやふやにぼかして終わっている感じが否めません。
おそらく、「戦没者の慰霊をどう考えるかは、日本国内にも様々な意見がある」ことを受けて、どれか一方に加担する様なことができなかったため、こうした書き方になったのではないかと思慮します。
しかし、現実問題として、今から「国立施設」が建設できるとも思っていませんし、仮にできたとしても、こうした施設はこれまでの歩み(歴史)との結びつきが大事なので、どれだけの方がそこに意味を感じ、訪問するかという問題があるかと思います。
それに追悼の仕方には、個々人の思いれがあるので、こうした議論をすることは、良いことだと思いますが、「だれもが、わだかまりなく」というのはかなり無理がある話ではないかと考えています。
(2013年10月22日の「政治学に関係するものらしきもの」から転載しました。)