学びに必要な謙虚さ

日本経済が立ち直りかけている今、誇りや自信と慢心や驕りとをしっかり区別しなければ、また失敗を繰り返すことになる恐れがある。
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幸運は実力の内か?

海外で大きな事故や事件がおこるたびに、「そんなことは日本では起こりえない」という記事やコメントに出くわすのは困ったものだ。大事故に至ったのは事故現場にいた人たちの対応に問題があったからで、日本では現場の人々が適切に対応するので、大きな被害にはならないというものだ。

日本で過去に似たような状況で大惨事に至らなかったことがあったとしても、それはたまたま運が良かっただけかも知れない。もう一度同じような問題が起きたときに、現場の人々の必死の対応や努力にもかかわらず、被害の拡大を食い止められないということは起こりうる。我々の身にも起こりうることと考えて、そこから何か学ぶことを探そうという姿勢が必要ではないのか。

偶然の幸運を自分の実力によるものだと錯覚しがちだというのは、統計学や行動経済学では良く知られた事実である。我々の日常生活でも、単なる幸運や周囲の協力・援助の賜物を、自分の能力と努力の成果だと見誤り、自分の実力を過信している人にお目にかかることは少なくない。他人のことは良くわかるものだが、いざ自分のことになると事実を見失いがちになる。

ジャパン・アズ・ナンバーワンの驕り

エズラ・ボーゲルが、1979年に出版した「ジャパン・アズ・ナンバーワン」は日本でベストセラーになった。どこかのインタビュー記事で、この本は米国に対する戒めのつもりで書いたとご本人が言っていたのを読んだ記憶がある。米国では、この本の評価は分かれたと記憶しているが、日本では熱狂的な歓迎を受けた。

1980年代の日本経済の躍進と米国経済の苦境を見れば、この本の主張は正しかったということになるだろう。しかし「禍福は糾(あざな)える縄の如し」ということわざがあるように、その後バブルに浮かれた日本経済は、1990年代以降失われた20年とも言われるほど長年にわたって経済の低迷に苦しんできた。

一方米国では、MITのチームが米国産業の問題点を分析し処方箋を提言した「メイド・イン・アメリカ」という本が1989年に出版され、この本はベストセラーとなったほど反響が大きかったという。

この本が、どの程度直接に米国経済の復活に貢献したのかは分からないが、米国社会の中に、日本経済の成功と米国経済の不振の原因を探り問題解決にあたろうという姿勢があったからこそ、この本が広く米国社会に受け入れられたのではないか。

1990年代に入ると米国経済は、IT革命の進展で長期にわたる安定的な経済の拡大を実現した。1980年代には日本の経済成長率が米国よりも高いことが多かったが、1990年代以降はほとんどの年で、日本の方が米国よりも成長率が低くなっている。

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謙虚さという美徳

現場の責任感の強さ・対応能力の高さは日本社会の強みである。自分達の良さや底力を信じられなければ、問題に立ち向かうことすらできまい。自分の働いている会社や、母校、生まれ育った地域や国に誇りを持ち、自分を信じることは非常に重要だ。

しかし、誇りや自信を持つことと驕りとは別のものだ。誇りや自信が驕りや慢心に変質するとき、組織の衰退が始まる。今やバブル景気の崩壊後に社会に出た人たちが、会社や政府組織の中心で活躍する時代になっており、今さらバブルの反省でもないだろうと思われるかも知れない。しかし今日本経済を担っている人達には、実際に失敗を経験しなくても歴史や他の事例から多くの教訓を学んで欲しいものだ。

「歴史は繰り返す。最初は悲劇として、そして二度目は喜劇として。」と言ったのは、マルクスだそうだ。日本経済が立ち直りかけている今、誇りや自信と慢心や驕りとをしっかり区別しなければ、また失敗を繰り返すことになる恐れがある。

チャーチルの「人類が歴史から学んだ事は、人類は歴史から学ばないという事だ」という、もっと辛辣な言葉が真実にならないように、日本社会が事例から学ぶために必要な謙虚さという美徳を今もしっかり保持していることを信じたい。

株式会社ニッセイ基礎研究所

(2014年4月28日「エコノミストの眼」より転載)