実は戦前から日本に数多く存在する外来語

外国のものが入ると「日本の伝統が失われる」と考える方がおられる様ですが、かつて中国文化や仏教文化にあれだけの影響を受けながら、「日本らしさ」と言われるものをつくりあげてきたのが日本なので、私はあまり心配してはおりません
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本当は昨日の続き(「ブラック企業」の辞め方)を書こうと思っていたのですが、どうも特定の企業に対する批判にしかならない様な気がしたため、とりあえず中止して、別のネタについて書かせてもらいます。

『産経新聞』に「『外国語使いすぎ』NHK提訴の男性に専門家も『心境は十分わかる』」という記事が掲載されており、いろいろ興味深かったので、これについて少し。

1 記事の紹介

「NHKは放送番組や番組名で外国語を使いすぎるのをやめるべきだ」という訴えが、名古屋地裁にあったという記事です。何でも「外国語の乱用で内容を理解できず、精神的苦痛を受けたとして、71歳の男性がNHKに対し141万円の慰謝料を求め」て裁判を起こしたそうです。

「提訴したのは、岐阜県可児市の任意団体『日本語を大切にする会』で世話人を務め」られている方で、「NHKが番組内で『リスク』や『ケア』など、外国語を使わなくても表現できる言葉を多用して」いるとしています。

結果、「視聴者の大部分が理解できる言語で製作されておらず、憲法で保護された知る権利や幸福追求の権利を侵害している」という主張です。更に、「公共性の高いNHKが日本語を軽視する姿勢にも強い疑問を呈している」そうです。

これについて、鳥飼玖美子・立教大特任教授(言語コミュニケーション論)は、「特に、高齢になって利用機会が多くなる福祉分野や医療分野で外国語が多用される傾向がある」ので、「公共放送だからこそ、外国語やカタカナ語が苦手な少数派の意見に配慮してほしいと考える男性の心境は十分理解できる」と述べていたとしています。

2 外来語はいつから

これについて感想を述べる前に、1つ紹介したいものがあります。『「いき」の構造』で有名な九鬼周造が昭和11年に発表した『外来語所感』というエッセイです。

この中で、彼はヨーロッパから帰った昭和4年の感想として 「私は往来を歩いてみても到るところ看板その他に英語が書いてあってまるでシンガポールかコロンボか、そういう植民地のような印象を受ける」と述べています。

そして実際の事例として、「蠅取はえとりデー 七月二十日」という掲示を紹介し、「ニュース、センセーション、サーヴィス、サボタージュ、カムフラージュ、インテリ、サラリーマン、ルンペン、ビルディング、デパート、アパート、ヒュッテ、スポーツ、ハイキング、ピクニック、ギャング、アナウンサー、メンバー、マスター、ファン、シーズン、チャンス、ステートメント、メッセージ、リード、マッチ、スローガン、ブロック等々の言葉は既に常識化されてしまった」としています。

その上で、「外来語の整理、統制」に反対しています。その理由として、(1)「我々の日常使用している言語の大部分は外来語であるから今更、外来語を不浄扱いして排斥しないでもよかろう」、(2)「特殊な語感が日本語では出ない場合がある」、(3)「言語の世界にも適者生存の自然淘汰が行われている」といったことを挙げています。

3 個人的感想

外来語というと英語(米語)の影響と思う方が多く、敗戦後アメリカ文化と共に、外来語が多く日本で受け入れるようになったと考える方がおられますが、こうしたものを見ると分かるように、実際は戦前からかなり多くの外来語が日本では使われておりました。

そのため、記事で問題にされている「リスク」や「ケア」といった単語がいつ頃から使われ始めているかはわかりませんが、今回訴えられた方が子供の頃から多くの外来語が身の回りに存在したことは間違いないと考えます。

外国のものが入ると「日本の伝統が失われる」と考える方がおられる様ですが、かつて中国文化や仏教文化にあれだけの影響を受けながら、「日本らしさ」と言われるものをつくりあげてきたのが日本なので、私はあまり心配してはおりません(キリスト教と『神神の微笑』)。

それに九鬼周造も書いておられるように、違う言葉があるということは、別な「語感」を表現することが可能です。以前ソシュールに言及した時に書いたように(ソシュールと歴史解釈)、言葉(名称)があるということは、事象を「分断」してより細かく見ることを可能とします。

そういう意味で、今回の提訴に同情的な専門家の方もいると報道されておりますが(新聞は発言の一部を切り取って報道するものなので、全体の趣旨がどうだったかはわかりませんが)、私は言葉が時代と共に変わるのは当たり前と思っているので、とても賛成できる提訴ではないと考えています。