人生はマラソンじゃなくって

日本では未だに「出来合いのキャリアコース」や「普通に結婚し普通に子どもを産むような普通の生き方」を外れると急に生きにくくなるように出来ていて、もっと自由に生きられる社会になって欲しいなとつくづく思います。
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最近話題のこのCM。

見てない方はまず見て頂いて。

「人生はマラソンだ。」という定説に対抗し、「決められたコースなんてない」「決められたゴールなんてない」――だから「すべての人生が、すばらしい。」としたこのCM。

少しあざとさを感じなくも無いのですけれど、私もこれを初めて見た時、正直じんわり来ました。

最近でこそこういうCMが出てくるぐらいその空気は和らいできたとはいえ、日本では未だに「出来合いのキャリアコース」や「普通に結婚し普通に子どもを産むような普通の生き方」を外れると急に生きにくくなるように出来ていて、もっと自由に生きられる社会になって欲しいなとつくづく思います。

さて、CMでは「人生はマラソンじゃない」で終わってしまっているのですが、「じゃあマラソンじゃないとしたら人生って何?」と考えてみた時に、私が一番しっくり来るなーと思うのが、

「人生は旅だ。」

という感覚です。

ガイドさんに従って有名な観光名所を巡るのも良し。

自分で行きたい所をリストアップして自分の足で自分のペースで回るのも良し。

何も決めずにフラフラと思いつくまま異国の地をふらついて見ても良し。

まだ見ぬ土地を求めて世界一周旅に出てもいいですし、逆に気に入ったら何度でも同じ所に行ったり、長期滞在したっていいのです。

オススメのスポット(普通の生き方)や整備された観光ルート(キャリアコース)はあるものの、それをどうするかは個人の自由、まさに旅にはコースもゴールもありません。物理的な移動を伴わなくても、映画を見たり、音楽を聞いたり、読書をしたり、あるいは逆に絵を描いたり写真を撮ったりと創作してみたりといった「精神的な旅」だって可能です。さらに言えば、家族旅行だったりカップル・友人での旅行だったり一人旅だったり、その行動単位も様々なのがとっても人生っぽいです。

そして何より、人生を最も象徴しているのが、旅というものの持つ「有限性」です。

旅には予算に限りがあります。いくらでもファーストクラスで動ける人が居る一方で、ボロ船の倉庫に押し込まれて移動しないといけない人もいるでしょう。

体力も有限です。どんなに張り切って色々名所を回りたいと思っても、じきに疲れて休まざるを得なくなってしまいます。どんなに気持ちが急いていても時々はご飯をちゃんと食べてよく寝ないといけません。また、この体力についても多い少ないの個人差があります。

そして一番重要なかけがえの無いもの。

それが「時間」です。

多くの場合旅には日程の限りがあって、その時間のうちで行動しないといけません。慌ただしくあちこちを回ろうが、ビーチサイドでのんびり過ごしていようが、時が来たら帰らないといけません。

バックパッカーのように具体的な旅程を決めずに長期にわたり旅をする人でも、いつかは帰らないといけません。

人生もそうなんだと思うんです。

泣いたって笑ったって、私たちはいつか死にます。

土に還らないといけません。

人生を通して様々なことにチャレンジした人も、一つのことを追究した人も、いろんな土地に移り住んでる人も、地元から離れなかった人も、温かい家庭を築いた人も、一人で生き上げた人も、どんなコースを生きたっていつかは終わりが来るのです。

大往生する人もいれば志半ばで病や事故あるいは悪意に巻き込まれて命を落とす人もいて、具体的にいつこの旅が終わるのかは分かりませんが、私たちがこの世界に期限付きのパスポートを持って訪れたトラベラーであることに違いはありません。

そう、これは私たちの平均約80年約30000泊の地球旅行なんです。

人生はマラソンじゃないから、コースもゴールもありません。

でも、時間制限だけは絶対にあるのです。

旅はいつまでもは続かないから。

いつまでも続かないから旅なのですから。

私はあえて「すべての人生が、すばらしい」とは言いません。

充実した旅、心に残る旅がある一方で、残念ながらやっぱり失敗した旅、不運に見舞われる旅があるように、人生も色々あるはずです。その人生を素晴らしくするかどうか、その人生を素晴らしいと思えるかどうかは、結局のところ本人次第なので、第三者の目から「酷い人生だ」と揶揄することはもちろん、逆に「素晴らしい人生だ」と称賛するのも私は少し無責任かなと感じます。

ただ、「(悲喜こもごもあるだろうけれど)どんな人生があってもいい」、「(結果は分からないけれど)どんな人生の選択もすばらしい」とは言いたいです。

行ってみたいな、見てみたいな、こうしたいな、ああしたいな、と自ら思う気持ちこそが「旅の始まり」で、ある意味旅の本質なんだと思います。

それなのに、他人の人生の選択を決めつけたり、制限したりすることは、他人の旅路を勝手に決めるぐらい無礼なことではないでしょうか。

行きたい所に行かせてあげて、やりたいようにさせてあげて欲しい、そうできる環境を整えて欲しい、つくづくそう思います。

はてさて、私を含め、みなさんもう人生の旅路の道半ばに来ていることと思います。

残りのパスポート期限まで、いかがしましょうか?

そのまま生きても、

そのままじゃなくても、

どの選択も素晴らしいはずです。

ただ、いい機会なのでちょっと立ち止まって今後の旅の計画を考えてみてもいいかもしれません。

過酷なチケット争いをくぐり抜けて、せっかく来た地球旅行です。

皆様、ぜひ良い思い出を。

P.S.

そういう私はCMの中の「ベッドにダイブする人」のような気がします。。。

全然旅人ちっくじゃないけど、それでもいいんですよ!多分・・(/ω\)

(2014年2月11日「雪見、月見、花見。」より転載)