落ちこぼれ競馬の逆襲 どん底から生き延びました(下) 売上100億突破、3つの戦略

2002年に事実上の死刑宣告を受けた高知競馬は、翌年に88億円の借金帳消しという荒技で息を吹き返した。翌年、ハルウララブームで黒字転換し、今も存続し続けている。単に生きながらえているだけではない。近年は徐々に売り上げを伸ばし、昨年度は13年ぶりに売上げが100億円を突破した。復活の秘訣は「どん底」を忘れぬ便所掃除とナイター開催、そしてもう一つはインターネットだった。
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2002年に事実上の死刑宣告を受けた高知競馬は、翌年に88億円の借金帳消しという荒技で息を吹き返した。翌年、ハルウララブームで黒字転換し、今も存続し続けている。単に生きながらえているだけではない。近年は徐々に売り上げを伸ばし、昨年度は13年ぶりに売上げが100億円を突破した。復活の秘訣は「どん底」を忘れぬ便所掃除とナイター開催、そしてもう一つはインターネットだった。

(取材・文・写真/工藤郁子)

■ジャージ姿で竹箒。黙々と掃除する人が...

高知競馬場の端には馬頭観音を祀る小さなお堂がある。開場直前、竹箒を持って黙々とお堂を掃除するジャージ姿の男性がいた。案内を頼むと笑って答えてくれた男性の肩書を聞くと、「高知県競馬組合管理者」。なんと高知競馬場のトップである。表彰式ともなればパリっとしたスーツに着替え、副賞などをスポンサーに手渡す人。

トップの名は村山龍一(上写真)。お堂だけではなく、村山は便所掃除もやる。淡々とした表情で、「スタンド3階東側のトイレ、あそこは私の担当」。もちろん経費削減の一環ではあるが、それだけではない。高知競馬の出走手当や従業員賃金などは、地方競馬のなかでも最低レベル。過去に68名を休職させる雇用調整も実施した。経営陣は、高知競馬場を運営する高知県庁と高知市役所の職員だ。村山も県からの派遣。「あんたは痛んじゅうがか?」「戻るところあるがやろ」。現場の視線は厳しい。

「どん底なめたき。あんとき一丸となって残ろうと決めちゅうから、今がある」。あんときとは、廃止か存続かで揺れた2002年ごろ。ほとんど廃止に傾いていたが、首の皮一枚でつながった。

村山は当時のことを詳しくは知らない。知らないからこそ、村山はブラシを手にとり便器を磨く。「必ず這い上がる」という決意を示すために。

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「レース確定まで、お手元の勝ち馬投票券、お捨てにならずにお待ちください」

■「最後は勝ちたい」 心理を読んだタイムシフト

2003年から2004年にかけてのハルウララブームで高知競馬は一息ついた。しかし、一息は一息にしか過ぎなかった。かつかつの経営はその後も続いた。

「赤字でねえ。ここらにずらーっとあったお店も、全部やめてもうて…」。高知競馬場で売店『まるまん』を26年営む西森美江は、そう振り返る。周りは、シャッターばかりだ。「そんでもう、競馬やめるか、ナイターに賭けるかってなったんよ」。

2009年、高知競馬は、地方競馬史上初の通年ナイターである「夜さ恋(よさこい)ナイター」を導入した。出走開始は午後3時頃、最終レースは午後9時過ぎだ。この時間帯にした理由は「競合を避けるため」。他がやっていない、すき間の時間帯を狙うという意味だ。

一般的に、競馬は午前11時過ぎに始まり、午後4時半頃に終わる。最終レースに負けたファンは「最後は勝って終わりにしたい」という気分になりやすい。時間帯を後ろにずらせば、他の地方競馬場で販売される高知競馬の馬券の売り上げが伸びるのではないか…。予測はついたが、実行には困難を伴った。

「ナイター用の照明など、設備投資に1億円が必要でした」と高知県競馬組合事務局長の小松正司は説明する。「補助金もかき集めとったんですが、7000万円程度は持ち出し。虎の子を吐き出すしかなかった。あんときやらなければ、もうできない。そんなタイミングでした」。

負担はお金だけではない。発券や払戻を担当する従事員、柴岡みやえは「ナイター勤務は断るって人もおるわけ。勤務が夜の9時20分くらいまでになったんよ。 食事の世話とか子供とかいろいろあるでしょう?」と話す。従事員は、全員女性だ。お揃いのピンクのスモッグを着て仕事に励む。機械化・合理化によって人員は減り、その多くは退職後に再雇用された高齢者だ。柴岡も、以前は競輪場で今と同様の窓口業務をしていた。夜遅くまでの勤務は、腰に堪えるらしい。しかしナイター移行自体への反対はなかったという。「苦しくても頑張らな、ちゅうことかなあ」。

苦渋のナイター移行により、目論見どおり売上は高まった。だが、その多くがインターネット発売。委託料があり、収益率は低い。大幅な収支改善にはつながらなかった。

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すき間の時間帯を狙う「夜さ恋ナイター」

■「静脈の先の先」を中央競馬が支える構図

転機は、中央競馬との連携だった。2012年、高知競馬は中央競馬のインターネット発売システム(IPAD)の利用を開始。2013年にはG1など一部の中央競馬レースについて、場内発売も始めた。

「ネット発売全体が伸びてました。新しいお客さんが増えたちゅうことやないかと」と小松は言う。そして、「すんません」と断って最新レースの出来高を映すモニターを確認した後、視線を戻し、こう結んだ。「中央競馬の最終レースが終わって、でもまだもうちょい賭け続けたいちゅうお客さんらが、ネットで高知を見つけて、たまに買うてくれるんやないかと思います」。ナイター移行の布石が効いた形だ。

高知競馬は、何とか黒字経営を続ける。2011年度が4200万円、2012年度は7300万円、そして2013年度は前年度を上回る黒字となる見込みだ。中央競馬の分を含む他場売得金は、3年ぶりに40億円を上回った。自場売上は118億円と大台に乗った。

同じ競馬といっても、中央競馬と地方競馬では規模も騎手養成も全く別物。少し前までは、交流戦など少数の例外を除き、協力し合うなんて考えられないことだった。

「中央競馬さんは、地方競馬なんてどうでもええと思ってたんよ。でも最近になって、気が付きだしたみたいやね」。こう指摘するのは、高知新聞記者の石井研だ。

「競走馬は、半分が中央。もう半分が地方に回る。そんで、強うなれば中央進出するし、故障すれば都落ちする」「馬を地方に流すちゅう受け皿があることによって、馬主の経済が保つわけよね。なんとかかんとか」

かつて石井は「ハルウララは、そんな日本の競馬を下支えしている静脈の先の先の、底辺で支えている『すそ野』の一頭」と書いた。競走馬の生産・育成が中央だけでは成り立たないという石井の持論は、今でも変わらない。

「まあ、中央に頼らんと、地方は助からんちゅうことでもあるわけやけど…」。石井は苦い顔でビールを流し込んだ。

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高知競馬場の売店横にいた猫たち

■続く危機感。逆転劇に終わりはない

「おお、きれいになっちゅう」「あれの何分の一かは、わしが出したき」。高知競馬ファンはそう笑い合っていた。この日、パドック横に、出走馬名や馬体重を示す電光掲示板がお披露目されたからだ。それまでは、古式ゆかしく黒板が使われていた。

しかし、運用に慣れないためにミスが発生。「あかん、下の名前間違うちゅう!」「すぐ直しや!」「今日、あいつのお母ちゃん、わざわざ挨拶来てくれよったに…」。そう言って職員が走り回る。

電光掲示板の新設や老朽化した設備の改修を進めているのも、経営戦略の一環だ。

売上の8割近くがネットによるものの、今の勢いが続くとは限らない。「ナイターの競合が出たら、売れんなってしまう」「ネットでは他のレースと常に見比べられちょります。商品力を、レースの質を上げんと話にならん」。小松は危機感を抱く。

そのために、抑制していた諸手当や賃金の引き上げを行うなど、関係者への還元に積極的に取り組んでいる。今年度は久々に競馬組合職員の新規採用をする予定だ。

黒字化でつかみ取った「自由」を賭け金に、次はどんな戦略に打って出るのか。逆転劇は、まだ続いている。(敬称略)

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新設された電光掲示板は夜も見やすい

この記事はジャーナリストキャンプ2014高知の作品です(デスク:依光隆明)。

【プロフィール】くどう・ふみこ

1985年東京都生まれ。週末になると府中競馬場に通う父とそれに眉をひそめる母の元で育つ。

普段は広報業務に携わり、また、キャンペーンと政策に関する研究も行う。

今回の取材で初めて馬券を買った。戦績は3勝5敗。ビギナーズラックは終わったと感じている。