比台風の最大被災地タクロバンから現地レポート 日系語学学校が炊き出し

台風30号(国際名:ハイヤン)の最大被災地レイテ島タクロバンを訪れてきたので、現地の状況をレポートしたい。11月30日夜、滞在中のセブ島をフェリーで出発し、まずはレイテ島バイバイへ向かった。7時間ほど乗船し、翌日早朝に港へ到着。まだ日の出前ということもあり、停電中の港街は真っ暗だった。
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台風30号(国際名:ハイヤン)の最大被災地レイテ島タクロバンを訪れてきたので、現地の状況をレポートしたい。11月30日夜、滞在中のセブ島をフェリーで出発し、まずはレイテ島バイバイへ向かった。7時間ほど乗船し、翌日早朝に港へ到着。まだ日の出前ということもあり、停電中の港街は真っ暗だった。日が昇り始めてから周囲を見回すと、建物の一部損壊はあるものの、深刻な大損害は目にしない。同じレイテ島内であっても、各地域の被害状況に大きな差が生じているのを感じた。

その後、自動車へ乗り込み、3時間ほど北上した。台風30号がフィリピン中部へ上陸したのは11月8日、それから約3週間が経過している。タクロバンへ近づくにつれて、物資輸送や治安維持に務める軍隊・警察を至る所で見かけた。そのため、車で日中移動していた限りでは、11月に連日報道されていた強盗略奪の気配は既に感じない。

実際、タクロバン中心部の市場では物資が売買され、一部のホテルが営業を再開、ガソリンスタンドには給油待ちの列が並び、ジプニー(フィリピンの乗り合いバス)が走行していた。タクロバン空港では、軍輸送機の発着を数多く確認するも、搭乗希望の住民が雪崩れ込む様な混乱は起きていない。「多数の遺体が海岸に打ち上げられた」と聞いていた海岸一帯においても、現在では直接目にすることはなく、鼻にツンとくるような腐敗臭もない。清掃作業が少しずつ進んでいるのを感じた。しかし、それらはごくごく一部の主要道路・重要拠点に限られた話だ。遺体収容作業はまだ続き、なぎ倒された電柱や樹木、横転した自転車、散乱する膨大なゴミ、建物全壊の光景は街中のあちらこちらで見かける。

タクロバン中心部から少し離れた周辺地域も壊滅的被害を受けている。しかし、大規模な救援は後回しにされている状況だ。まだまだ過酷な環境が続いており、感染症等の二次被害の不安は払拭できない。実際、街の所々で強烈な匂いが発生し、蚊が大量に飛び交っていた。タクロバン市内のAMAコンピュータースクールへ勤めるMicha Michelleは「清潔な水がもっと欲しい。十分な量を提供している給水所は数km先にあるため、赤ん坊を抱えながら毎日往復するのが難しいのです。勤務先や生徒たちへの連絡もまだ全然取れておらず、とても辛いが、思い出深いこの街を去ることは出来ません。ここで頑張りたい」と語った。

そんな中、セブで日系最大規模の語学学校QQイングリッシュが12月1日、タクロバンの南方20kmに位置するタナワンの教会で炊き出しを行った。生徒らから集まった義援金約400万円を元手とし、同校の日本人・フィリピン人ら計14名が参加した。台風直撃の1週間後にも現地入りしていた、QQイングリッシュ理事長の藤岡頼光はこう話す。

「地元出身の従業員から『私たちの小さな街にはまだ援助が入っておらず、台風通過後は配給された缶詰でずっと凌いでいる』という声が寄せられ、『温かい食事を提供したい』と思いました。しかし、タクロバン周辺が何もない状態なので、活動拠点となる場所を捜すのがまず大変でした。付近一帯を捜索する中で、タナワンで奇跡的に残っていた教会を見つけました。何も持たない子供たちが大勢避難していたため、ここで集中的に支援活動を行っていきます」

現地で調理を行い、ご飯や唐揚げ、春雨炒めなど1000人分を提供した。周辺住民からは「今まで缶詰ばかりで、温かい食事を一度も口に出来なかった。ようやく、食事らしい食事を取れて嬉しい」という喜びの声が寄せられた。今回の炊き出し計画を担当した、同校アシスタントマネージャーのDoryは「今までは正確な情報を把握できませんでしたが、今後は現地の方々と直接情報交換できます。現時点では我々の予想以上に、医療キットや蚊帳を欲しがる人々が多かったですね。今回の経験を活かして、そのタイミングに合った手助けを継続的にしていきたい」と語る。

セブシティは既に普段の生活を取り戻しており、各方面の支援活動へ取り組む団体が増えている。藤岡は「巨大台風の接近に際し、『潰れてしまうかもしれない』という危機感を抱きましたが、幸い我々は直撃を免れました。本来であれば潰れていた学校。死んだ命と思い、このラッキーをしっかり返したい。やれることは全面的にやっていきたい」と思いを述べた。

現地では、大人数での宿泊はまだ難しい状況だ。そのため、今回の行程だと朝8時〜夕方17時で準備・配給・後片付けを済ませる必要があった。その上、セブからタクロバンまでは、前述の通り片道11時間はかかる。しかし、疲れきっているはずの参加者へ、帰り際に感想を聞いてみると「必ずまた来たい!」と笑顔で話していた。前回記事でも触れたが、この過酷な状況下にあっても、幼い子供達や近隣住民、地元出身者からは笑みがあふれている。陽気な性格で知られるフィリピン人、その魅力的な国民性を改めて感じた。