科学ジャーナリスト・元朝日新聞論説副主幹
尾関章
「半沢直樹」の夏である。主演堺雅人の目ヂカラのすごさもあるが、それだけではない。人々が求めている何かをTBSはすくいとったのだ。それはたぶん、2013年日本社会のカイシャ状況を的確に見てとったからだと思う。
科学ジャーナリストを名乗る僕がこんな一文を書くのも、8月初めにブック・アサヒ・コムの連載コラム「尾関章の本棚――文理悠々」で半沢直樹本をとりあげたからだ。いつになく多いページビューをいただいた。いまTBSドラマは第1部の大阪篇が終わったところだから、そのレビューも含めてもう一度、半沢直樹現象の深層を探ってみたい。
はじめに言っておきたいのは、これはどうみてもリアリズムのドラマではないということだ。メガバンクの支店長にあそこまでのワルキャラはなかなかいないだろう。金融官僚にも、オネエ言葉はともかくとして、あれほど粘液質な人物は見当たらないはずだ。どれもこれも誇張がある。それが、池井戸潤作品ならではの痛快さの原動力になっている。
だが、それでも「半沢直樹」は間違いなく企業社会の現実を映しだしている。どんな現実かと言えば、業績至上主義が職場の隅々に行き渡り、リストラ圧力は強まる一方で、過剰なほどのコンプライアンス意識が社員の心に重たくのしかかっている状況だ。植木等演ずる無責任男風のいい加減さや緩さが許されない世界がそこにはある。
そこにもう一つの現実として世代間の確執がある。半沢直樹たちが属するのは「バブル入行組」。バブルが頂点に達して、それが崩壊する直前の1990年前後に新卒採用された一群の銀行員たちだ。この世代は入行後ほどなく、バブル崩壊の大波をかぶった。駅を出たとたんにトンネルに入った列車のようだ。そのトンネルは長く、今に至るまで続いている。だから、募るうらみつらみは半端ではない。
それが向かう先が団塊の世代だ。原作の一つ『オレたち花のバブル組』(池井戸潤著、文春文庫)で、半沢と同期の行員――ドラマでは及川光博が好演している――が口にする言葉は痛烈だ。自分たちがトンネルの中を走りつづけていることについてこう言う。「バブル時代、見境のないイケイケドンドンの経営戦略で銀行を迷走させた奴ら――いわゆる"団塊の世代"の奴らにそもそも原因がある。学生時代は、全共闘だ革命だとほざきながら、結局資本主義に屈して会社に入った途端、考えることはやめちまった腰抜けどもよ」
団塊の世代が企業の中堅を占めていたころは、失敗の責任のありかをぼやかしてしまう空気がカイシャにもあったように思う。かりに上司が自分の失敗を棚に上げて部下をなじっても、その部下はアフターファイブに同輩に愚痴をこぼしてガスを抜いてきた。
ところが、バブル組世代はいい加減さも緩さも許されない。失敗を自分のせいだと認めたとたん、リストラ圧力で自分のポジションを奪われることもある。このドラマで言えば、銀行本体からの「出向」が待ち受けているのである。逃げ場がないので追い詰められれば戦うだけだ。
半沢直樹がとるのは、上司が自分を責めてきたら、その不当さを裏づける情報をかき集め、真正面から対抗するという戦い方だ。このときに同期の仲間や心を通わせた外部のシンパ――ドラマの赤井英和を思い出してほしい――との連携をフルに働かせていく。労働組合に頼るわけではない。だからと言って、たった一人の反乱でもない。自分を中心に自分自身が築いたネットワークで戦うのである。
これこそは「全共闘だ革命だとほざきながら、結局資本主義に屈して会社に入った途端、考えることはやめちまった」生き方に対して、身をもって示すアンチテーゼだ。団塊の世代や、そのちょっと後の僕たちの世代は「本当の革命は、こうやってやるんだよ」と言われているような気がする。小論のタイトルで「半沢直樹現象は『革命』になるか」と大きく構えたのも、そんな思いがあるからだ。
いや、そんな大げさなことを言うのはどうか、これはエンタメ作品なのだから、という反論は聞こえてきそうだ。僕もそれに半分同意しつつ、そこにやっぱり、リアルな近未来のカイシャ絵図を見てしまう。
一つには、半沢直樹流のネットワークを支えるIT(情報技術)がますます整うと思われるからだ。『オレたち花のバブル組』を読むと、半沢と同期の仲間はもっぱら電話で連絡をとりあい、居酒屋談議で情報をやりとりしている。単行本の刊行は2008年なのでメール文化はすでに定着していたはずだが、密談にカイシャのメールは不向きという判断もあったのだろう。ただ今なら、私用のスマホを巧妙かつ機動的に使う手があるのかもしれない。
そしてなによりも、これからの企業社会に業績至上主義、リストラ、コンプライアンスの重圧が高まることはあっても、それが緩むことはなさそうだ。だからA社にもB社にもC社にも、目ヂカラいっぱいの半沢直樹が現れておかしくないのである。
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