FRBはFOMC(連邦公開市場委員会)を7月31日に開催した。そして、従来の金融緩和とゼロ金利政策の現状維持を表明した。労働市場の見通しが著しく改善するまで、現状の政策を継続するとの説明である。率直にいって、この説明には驚いてしまった。BBC Newsを読んでいるが、この所連日の様に好調なアメリカ経済を伝えており、もうそろそろ出口戦略への舵切りを宣言しても良いタイミングと思っていたからである。アメリカの失業率は2009年12月の10.2%から堅調に下げているが、まだまだ楽観出来る状況ではないという判断であろう。
それにしても、これ程の金融緩和を継続してもアメリカの失業率は中々改善しない。最近友人に教えて貰ったのだが、フィリピンの英会話学校(従来型リアルな学校及びオンライン教室)が低価格を武器に随分と人気なのだそうだ。英語が世界共通語である事はアメリカの武器であるに違いない。しかしながら、このフィリピンの英会話学校が解り易い実例だが、この事は、「雇用」に関しては諸刃の剣と成り得る。生活費が日本の三分の一程度のフィリピンであれば、比較的安い給料でそれなりの教師を雇う事が可能となる。結果、人気が沸騰し、アメリカの英会話学校に取って代わる。アメリカ人の英語教師が失業する訳である。英会話以外の他の分野でも同じ様な事が起こっている訳で、新規雇用を創出する一方で、既存の職場が発展途上国や新興産業国に奪われているに違いない。
一方、日本の6月完全失業率3.9%は先進国では突出して低い数字である。失業率に関する限り、日本は先進国の中ですら優等生という事になる。問題は日本が雇用の質を犠牲にする事で低い失業率を達成している事実である。大企業と中小企業社員待遇、「正規雇用」と「非正規雇用」の格差が看過出来ない所まで来ている。一方、これとは別に「正社員」の身分を餌にサービス残業の実質強要を恒常的に行う「ブラック企業」の増殖にも目を光らさなければならない。アベノミクスは今後こういった問題や懸念を一掃し、国民に安心と安定した日々を与える事が可能なのだろうか? 越えるべき多くのハードルが連想される。
加速する国内企業の海外移転
先週、今週と以前から懇意にしている企業経営者達と意見交換する機会に恵まれた。彼らの意見を要約すると大体下記三点となる。先ずは、アベノミクスは成功しないという悲観的な見立てである。財政出動には所詮一時的なカンフル効果しか期待出来ない。金融緩和は決して否定するものではないが、そんなもので経済が好転すれば誰も苦労はしないという、実態経済に身を置く企業経営者としては当然のもの。成長戦略は中身、実態がさっぱり見えて来ない。本気でやるのであれば、「規制緩和」を伴う「構造改革」という事になるが、先ず、役所は大反対するに決まっているし、既得権者の抵抗も明らか。法案の作成や政策の立案を役所に丸投げしている自民党が役所の嫌がる事をやるとは思えず、一方、既得権者を最大の支持層にする自民党が彼らに敵対するのは自殺行為で絶対やらないだろう、という内容であった。結局は、「成長戦略」は看板倒れという判断である。
第二は、海外展開加速である。私が話をしたのは中小企業、ベンチャー企業の経営者だが、既に一定の社歴のある会社であれば、利益は海外法人が上げており国内は赤字というケースが多い。海外からの配当金で黒字決算を達成している訳である。当然の事ながら、インドネシアで成功している会社であれば、次はベトナム、ミャンマー進出という事だし、タイで成功しベトナムに進出中という企業なら、今の内からミャンマー、バングラを検討しようという話になる。余り愉快な話ではないが、余裕のある今の内に国内のリストラをやらねばというのが、お決まりの最後のコメントである。
最後は、国内投資の可能性である。結論からいうと極めて否定的である。そして、国内市場への不満を語る時は例外なく饒舌になる。理由は、高くなり過ぎた労働者の賃金、危惧される将来の電力不足や電気料金の高騰、高過ぎる法人税率、少子高齢化により縮小する国内市場、意味不明で多過ぎる規制や、それに寄生する中央官庁と地方行政職員の無能な割に横柄な態度とか、昔と余り変わらない気がするが。結論として、国内投資の可能性については、政府が国を開き、海外から「資本」と「人材」を大胆に導入する様なダイナミックなパラダイムシフトを行わない限りあり得ないというものだ。
ITによって奪われるホワイトカラーの職
経済のグローバル化と共に無慈悲に賃金を二極分化する今一方の主役があらゆる分野におけるITの浸透である。ITがエリートと労働者の間にいる中間層の仕事を略奪していると言っても良いのかも知れない。極めて創造的な仕事や、高度に専門的な仕事に従事する人達には従来から高い年俸が保障されて来た。余人を以ては代え難い、代替の利かない人材であるからである。そして、こういう人材の周りには凡庸だがきちんと、そして正確に補佐業務や雑務をこなし、それによって選ばれたエリートがコアな仕事に専念出来る様に献身的にサポートする一群が働いていた。年収でいうと500万円~1,000万円といったところか。
しかしながら、今やエリートはこういったサポートを以前程必要としない。ITを使いこなし、大概の仕事は自分で出来てしまうからである。その結果、エリートの生産性は格段に上昇し、元々高い年俸も更に上昇する。一方、補佐業務に従事していた中間層は、彼らの仕事をITに奪われ、結果、その他大勢の単純労働者に格下げされてしまう。ロボットが労働者の雇用を奪うというのは永らく議論されたテーマであるが、ITは生産現場に留まらず全ての分野に応用されるので、雇用の破壊という点では遥かに凄まじい。例えは適当でないかも知れないが、通常の火薬と核爆弾の破壊力以上の差があると思う。
迫り来るクラウド・ソーシングの脅威
人気ブロガー、Chikirin氏のこの記事を参照する。ここで描かれている労働市場とか、或いは、現役世代の働き方とか、SFの世界などではなく実際に確実に起こり得る事と理解している。寧ろ、荒唐無稽な話と捉えている能天気な現役世代の存在を許容する日本の労働市場の方がよっぽどSFな訳である。TPP反対を筆頭に、海外へ仕事が流れるのを食い止めろ(グローバル化反対)、或いは、政府による最低賃金保障の要求などはクラウド・ソーシングの前には全く無力である。
例えば、年収が@800万円のサラリーマン二人を例に取ってどうなるか検証してみたい。一人は営業経理に携わる経理マン、今一人は企業法務に携わる法務マンである。勤め先の企業は人件費を出来れば削減したい訳で、結果、業務のクラウド・ソーシング依存比率を高める事となる。近未来の話として、就業時間を朝7時から12時に圧縮する代わりに年収を@500万円に削減する様な事も充分にあり得る。企業としては目減りした@300万円はクラウド・ソーシング内の労働市場を活用して、自由に各自好きなだけ稼いで戴いて結構という話である。
クラウド・ソーシング内労働市場には世界から人材が集まるので、この二人が頑張って午後の仕事をしても例えば@100万円しか稼げないという結末になるだろう。年収としては、企業年収@500万円+クラウド・ソーシングからの年収@100万円=@600万円で200万円の減収となってしまう。更にこの二人に取って都合が悪いのは、@500万円と@100万円何れがこの二人の正当な市場価格なのか? という話になる事である。クラウド・ソーシングからの収入を増やさない限り、企業から貰う年収は少しずつクラウド・ソーシングからの収入@100万に鞘寄せされ下がって行くのは当然である。
ブラック企業の問題とされる長時間労働やサービス残業は法律によって明確に禁止されている。又、日本社会も被害者である労働者に対し同情的である。一方、クラウド・ソーシング内労働市場は世界共通、一元化された市場であり国内法は通用しない。個人毎に仕事の能力と成果が公平に厳しく査定され報酬が決定される。仮に報酬額が低いといってクレームをした所で、お前の能力が低いからと一蹴されてお仕舞いとなる。IBMを筆頭に世界の超一流企業がクラウド・ソーシングを大胆に取り入れようとしている今日、日本が例外である事が許されるとはとてもでないが思えない。当然の結果、日本もこういう大問題に近い将来直面せざるを得ない。ブラック企業の問題などこれに比べれば軽微な国内問題に過ぎず、その内誰も話題にしなくなると予測する。