発覚した事態は、すでに日本中で起こっている。

同業者の内輪でみんながやっていると鈍感になり、ま、いいんでね?あいつもこいつもやってるし、と自分に緩くなる。外から見たら、なんてひどいこと、社会的に見て危ういことだったりしても、仲間同士で「ま、いっか」となっている。そんな事態が平穏な日常の奥底にいっぱい隠れているかもしれないのだ。
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ちょっと時間が経ってしまったけど、一流ホテルのメニューが偽装されていたことが発覚した件について。

ホテル側の言い分では偽装ではなく、誤表示だったとのこと。この際、偽装でも誤表示でもいいけど、例え悪意がなかったとしても、間違いだったことに間違いない。間違った表示を何年も続けていたのなら大きな罪だと思う。

この偽装騒動で面白いなあと思ったのが、ひとつのホテルで発覚したことが、あちこちのホテルでもほとんど同じことが行われていたとわかっていったことだ。発端は10月22日の阪神阪急ホテルの会見だったのが、その後ほんとうに日本中のホテルが次々に会見を行った。

あんまり続いたので大きく報道されなくなったけど、11月に入ってからも続いていたし、つい数日前も発表があった。いずれも、わりと有名な、名門と言っていいホテルだ。

いちばん多いのは、車海老や芝海老と表示されていたのがバナメイエビやブラックタイガーだったというエビ関連の偽装(誤表示)だ。聞くところでは、小型の海老を一般的に芝海老とか車海老とか業界では呼ぶのだとか。でも、スーパーで車海老や芝海老と表示された海老は明らかに高級そうだし値段も高い。バナメイエビやブラックタイガーはランクで言うと"並"という感じで、庶民感覚的にはずいぶんレベルがちがう食材だ。業界の慣習ではすまないと思う。

海老の話は置いといて、とにかく日本中のホテルで行われていたこの不祥事。一カ所で発覚したことが日本中でも、というのは、デジャブ的な印象がある。前にもいっぱいあったよ、似たようなことが。

食品偽装はこれまでにもいくつかあった。保険金不払い事件なんてのもあったなあ。違法派遣ってのもあったし、偽装請負というのもあった。

極め付けは「消えた年金記録」問題。この時は、一カ所で見つかって騒動になったあと、日本中でいったい何万人の記録が失われているんだろうという事態となった。大騒ぎだったし、結局これ、解決したんだっけ?

こういう連鎖反応みたいなことが起こった時、不思議だなあと思う。ひとつめの不思議は、最初に発覚した時は「まったくなんてことしてたんだそいつらは!」とびっくりするのだけど、今回のホテルのケースのように「ほとんどまったく同じ不祥事」があちこちで起こっていた。なにか、全員で示し合わせたかのように同じような不祥事なのだ。

もうひとつ面白いのは、そんな不祥事があちこちで起こっていただけでなく、同じタイミングで発覚することだ。もちろん、最初の発覚が引き金になっているのだけど、みんな自主的に「私もやってました」と発表していく。それまで隠してたのだから隠し通そうとしてもいいんじゃないかと思うのだけど、むしろ誰も彼も率先して謝りはじめるのだ。

誰かが考える悪事は、多くの同業者も考えるものなのだろう。あるいはひょっとして同業者の間で「こうするとトクだぜ」と情報が伝わってみんながやっちゃってたのではないか。

だからこそ、一カ所で発覚すると、「あちゃー、あそこでバレちゃったかー、じゃあうちもいまのうちに謝っちゃう方がいいかなー」とあちこちで白状しはじめる。つまり悪いことしてる自覚有り有りなのに違いない。

こういう捉え方だとなんだか軽いけど、この現象、よーく考えると空恐ろしい気持ちになる。だって、いったいどんな領域でどんな不祥事が隠されているのかわからない、ということになるのだから。そしてそれは、一カ所で発覚すると日本中で実は起こっているのだ。一匹ゴキブリが見つかると家中にいるのだとよく言われる。一カ所で出血が起こるとあちこちで血が噴き出すのかもしれない。そんな暗ーい捉え方をし始めると、どんどん恐ろしくなってくる。

同業者の内輪でみんながやっていると鈍感になり、ま、いいんでね?あいつもこいつもやってるし、と自分に緩くなる。外から見たら、なんてひどいこと、社会的に見て危ういことだったりしても、仲間同士で「ま、いっか」となっている。そんな事態が平穏な日常の奥底にいっぱい隠れているかもしれないのだ。薄皮一枚ひっぺがすと、あちこちで膿みたいに淀んだものが溜まっているのかもしれない。

ぼくたちは、自分の業界にも膿があるんじゃないかと疑った方がいいのだろう。それってまずくないすか?ま、いいんでね?ずっとみんな、そうやってきたからさ。そんな事態が近い将来、日本中で発覚するのかもしれないのだから。

※この記事はアートディレクター・上田豪氏と、過去数回やってきた試みの続き。記事を書いて挿し絵的にビジュアルをつくるのではなく、見出しコピーだけを書いたものに上田氏がビジュアルをつけて言葉とともにひとつの表現として完成させたもの。それをもとにあらためて本文を書く、というやり方をしている。ネット上での情報拡散はビジュアルが有効なので、その中にメッセージも入れ込んでみる、というやり方だ。期せずして、昔の企業広告のような見え方になっている。一昔前のグラフィック広告はこういうメッセージ性を帯びていたものだ。しばらくお休みしていたが、この試みは気長に根気よく続けていこうと思う。

コミュニケーションディレクター/コピーライター/メディア戦略家

境 治

sakaiosamu62@gmail.com

(※この記事は、2013年11月19日の「クリエイティブビジネス論!~焼け跡に光を灯そう~」から転載しました)