新聞記者は紙面に自分の書いた記事が載ってなんぼの仕事である。書けども書けども、載らない時はどうやっても載らない。しかし、書いたぶんだけ面白いように載るときもある。それは、世の中が記事を必要としているときだし、逆に言えば、社会が記事を必要としないときは、いくら頑張って書いても載らない。
新聞は紙面を、テレビは枠を、それぞれ内部で記者やプロデューサーが奪い合ってつくる。このフォーサイトの記事のように字数制限の緩やかなウェブのコラムとは、そのあたりがいちばん違うように思う。
民主化以後増えた台湾報道
台湾報道は、日本のメディアで決して掲載率のいい方ではなかった。まず第1に、台湾の記事を読みたいという日本社会のニーズがそれほど大きくなかった。同時に、日本のメディアが報じる台湾報道の内容も、あまり世間の興味を引くものではなかった。1970年代から日本の大手メディアは産経新聞を除いて台湾に常駐の記者を置いておらず、報道は現地の新聞や電話取材に頼っていた。さらに蒋介石・蒋経国の時代は、国民党の1党専制の下、日本人が読みたくなる台湾のニュースもそれほど多くはなかった。
しかし、台湾が民主化し、総統直接選挙が導入された1996年以降から、産経以外の日本メディアが台湾に支局を置くようになった。台湾の民主化によって、日本のメディアも台湾のニュースをたくさん伝えなくては社会のニーズに応えられなくなったからだ。日本メディアの台湾での取材拠点の開設を認めなかった中国政府の姿勢が軟化したことも関係している。
以来、日本でも台湾報道は次第に増えていったが、特に日本メディアの台北特派員にとって台湾報道のクライマックスは、4年に1度の総統選であることは変わっていない。台北発の記事が日本の新聞の1面に掲載されることは、巨大災害などがない限り、ほとんど起きない。一方、ワシントンや北京の記者は連日1面を書いたりする。それはそれで仕方のないことなのだが、4年に1度ぐらいは晴れ舞台を存分に楽しみたい。それが台北特派員の偽らざる心理である。
私が台北特派員だったときは、たまたま、総統選挙と立法院選挙が別々に行われた。先に行われた立法院選挙では国民党が歴史的圧勝を遂げて、朝日新聞の1面トップが立法院選挙の結果のニュースとなった。2カ月後に行われた総統選も馬英九が勝つことはほとんど分かっていたが、それでも1面トップになった。2度も1面トップを書けたので運が良かったと言える。
質量とも充実していた日本の報道
今回の台湾総統選で日本メディアの報道はどうだったのか。投開票日翌日の1月17日は、どの新聞もすべて1面トップだった。これは、過去の総統選挙でもだいたい1面トップだったので、珍しいことではない。1面記事のほかにも、2面、3面、国際面ですべて大きく掲載された。これも1996年や2000年、2008年の選挙とそれほど変わらないように思う。
台湾のメディアが今回伝えたように「日本の新聞も注目した」というのは間違いではないが、選挙翌日の新聞の1面掲載だけで必ずしもきちんと説明がつくわけではない。むしろ、今回の日本メディアの報道で特筆すべきは、総統選までのだいたい3カ月ぐらい前から、かなりの量の報道が各新聞やテレビで流されたことである。NHKを例に挙げれば、『クローズアップ現代』などの30分番組やBS放送での特集が多角的に組まれ、50人を超える取材チームが送り込まれたという。新聞報道も、質量ともに、かなり充実していた。
これは紛れもなく、今回の台湾選挙が、日本人の大きな関心事だったからである。当日だけの恒例の報道ではなく、できるだけ多くの台湾選挙の記事を載せたいという感覚が、日本メディアの各社に共有されていたのだ。
その理由は、日本社会の台湾への注目度と相関関係にある。台湾情報に対する欲求は年々高まっている。特に2011年の東日本大震災のあと、台湾の日本に対する義援金が200億円と世界最大の規模だったことに日本人が驚いたあたりから、「台湾情報」への期待がワンランク上がった感がある。
だが、当初、日本のメディアはその台湾情報のニーズに今ひとつ反応が鈍かったように思う。「日本メディアには台湾情報が少ない」という不満を台湾にあまり深く関わっていない日本人からも、この数年、よく聞かされるようになった。
無意識の「台湾重視」
日本のメディアの国際報道は、グローバルスタンダードと日本の国益を基準としている。そこでは米国が最重要、中国がその次、そして中東やヨーロッパ、韓国、ロシアときて、台湾はその次ぐらいだった。基本的にその基準はいまも変わっていない。しかし、今回は、台湾のことをもっと知りたいという世論がメディアのところまで達し、従来の判断基準を揺らし、大量の台湾報道を生み出したと考えられる。メディア内部で「台湾の記事を多く載せなさい」という指示が降りてくるわけではなく、現場からいろいろ企画が出てきて、企画が通りやすくなり、台湾に理解がない幹部でも台湾のニュースがたくさん流れることに特に違和感を感じないなど、無意識の「台湾重視」が共有されて起きるのである。
そのことは、台湾報道の一端に携わる私としても大変喜ばしく感じることだ。台湾は日本にとって歴史的な因縁もあり、人的交流も活発で、日本への感情も良好な重要な隣人である。韓国・北朝鮮に対するメディアの報道と比べて台湾報道はあまりにも少なく、バランスが取れていないことへの不満は私にもあったので、溜飲が下がる思いもある。私自身が今回、主に日本のウェブメディアに執筆した分析や評論も、総じて非常に多くのアクセスがあった。
ミスリードを招きかねない報道
では、日本の台湾選挙報道の内容はどうだったのだろうか。紙面がある分、過去よりも豊富で多角的な報道があったことは間違いない。一方で、最も議論が必要だと思われたのは、民進党の蔡英文の勝因が「馬英九の親中路線にノーを突きつけた」という日本メディアが好んで使った解釈だった。
例えば、1月17日の新聞各社の1面のサブ見出しを比べてみると、朝日新聞は「対中傾斜路線 転換へ」、産経新聞は「対中傾斜 歯止め」、読売新聞は「対中接近に歯止め」となっていた。日本経済新聞だけは「中台関係、現状を維持」だった。私は、日本経済新聞の判断のほうが正確に台湾の民意を汲み取っているのではないかと感じた。
今回、民進党に1票を投じた台湾の人々の最大公約数は、馬英九が中国に接近しすぎたから拒否反応を示したのではなく、馬英九の政治があまりにも満足できないものだったからであると考えている。各種世論調査でも、馬政権の経済政策、社会福祉政策、環境政策への評価は非常に低いが、中国政策だけは比較的高く評価されていた。
もちろん、馬政権下での対中接近が「急すぎる」とか「親密すぎる」といった不安や心配は台湾社会に存在する。しかし、それは選挙結果を決定づけたサブの要素であり、主因は「馬英九や国民党って、感じ悪いよね」に尽きるものだったと思える。2014年のヒマワリ運動の主因が「ブラックボックス」的な意思決定という馬政権の手続きへの抗議であり、反中感情が副因であったことと基本的に構図は似ている。
今回、台湾の人々は、馬英九という政治家だけではなく、国民党という政党そのものが持っている官僚体質や仕事の遅さ、内向きさ、何よりも、世間とのコミュニケーション能力の欠如にあきれ果てていた。絶妙な感性で台湾メディアの寵児となっている柯文哲・台北市長(無所属)と比べればよく分かる。
日本の新聞の多くは、社説のなかで「中国にノー」という文脈で蔡英文の勝利を解釈しようとしていた。読売新聞は「中国への急接近に台湾住民がブレーキをかけたと言えよう」と書いた。毎日も「中国への過度な依存は統一につながりかねないという警戒感が国民党の大敗につながった」と書いた。ほかのネットや速報系も総じて「対中接近にノー」的なニュアンスで報じていた。
「国民党の敗因は対中接近」という分析は、間違いとは言い切れないが、今回の選挙結果を正確に読み解くうえではそれを強調しすぎるとミスリードを招く恐れがある。
台湾報道も「台湾は台湾」に
なにしろ蔡英文が掲げた対中政策は「現状維持」だった。それは馬英九路線の継承も含んでのことだ。継承しつつ、中国との距離のとりかたを調整することになるが、中国にノーを言うとか、中国と断絶するとか、そんな選択肢はない。だからこそ、台湾の人々は蔡英文に安心して1票を投じたのである。
蔡英文当選の結果、中国との関係が多少冷え込んだり、ぎくしゃくしたりすることは起きるだろう。それは政権交代の原因ではなくて、あくまで結果であり、政権党を国民党から民進党に変える「コスト」のようなものだ。そのコストを台湾社会は十分に覚悟している。だから、一見、対中接近を否定したかのように見えてしまうが、民進党政権下でも中国との関係が良好になればそれにこしたことはない。「台湾を中国に売り渡す」的な行動を取ることは国民党も絶対に選べない選択肢であることは、馬総統の8年間で証明されている。
この問題は、日本社会の台湾に対する「古い思考」も反映している。日本人はどうしても「1つの中国」問題への意識から、台湾問題を中国問題の一部としてとらえ、その文脈で記事を期待する傾向がある。良くも悪くも「中国」を持ち出さないと台湾の記事を大きくのせられないメディア内部の組織的要因もある。中国は大国であるし、中台関係の重要性も変わってはいない。しかし、実態としては、台湾の選挙は過去のように中国の干渉はほとんどなく、有権者1900万人が自分たちの理由と動機によって投票先を選んでおり、まさに「台湾は台湾」の世界である。
もちろん国際ニュースはその国によって一定のバイアスがかかることは避けられない。しかし、台湾選挙の結果解釈においては、日本人も過度に中国を基準に台湾を分析する作法を転換していく時期にある。台湾社会が「台湾は台湾」に変わった以上、日本メディアの台湾報道も「台湾は台湾」に変えていかなければ、台湾にすっかり詳しくなった日本の読者にも笑われてしまうだろう。
「台湾は台湾」というスタンスに変えるべきでは?
野嶋剛
1968年生まれ。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、2001年シンガポール支局長。その後、イラク戦争の従軍取材を経験し、07年台北支局長、国際編集部次長。現在はアエラ編集部。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。
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(2015年2月5日フォーサイトより転載)