東電が分社化された場合の責任と補償

この目的は極めてわかりやすく、未だに汚染水問題などで、いろいろなところに悪影響を及ぼしており、もはや東電の「お荷物」となっている原発の事故処理を「東電本体」から切り離して身軽になろうというものかと思います。
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自民党が東電の分社化を検討しているということだったので(『時事通信』「東電分社化を検討=自民・塩崎氏」)、これについて少し。

1 分社化

上の『時事通信』によると、「自民党の塩崎恭久政調会長代理は6日のフジテレビの番組で、東京電力福島第1原発の廃炉や汚染水漏れ対策に関し、『福島第1原発を全部扱う会社と、それ以外の東電とに分けた方がいいという考えを今議論している』と述べ、「東電を分社化し、専門の別会社を設立する案を党内で検討していることを明らかにした」たそうです。

2 分社のもたらすもの

この目的は極めてわかりやすく、未だに汚染水問題などで、いろいろなところに悪影響を及ぼしており(韓国の禁輸措置は東京五輪つぶしか?)、もはや東電の「お荷物」となっている原発の事故処理を「東電本体」から切り離して身軽になろうというものかと思います。

ただ、こんなことは口が裂けても言えないでしょうから、表向きは専門に事故処理を行う部門を設置して、「きちんとした対応に当たらせる」というところでしょうか。

しかし、少し考えればわかりますが、分社化という以上、現在東電にいる職員を分けて、本体に残る人と、新しい会社に移る人を区別することとなります。その際、誰が希望して新会社に移るかという話です。

確かに、末端の労働者にどれだけの責任があるかという問題も存在しますが(東京電力と労基法)、原発事故における東電の責任は大きく、福島にあれだけの被害を与えたわけで、地域住民にしてみれば、言いたいことが数多くあるわけであり、当然ぶつける先は東電の担当部局となります。

これが分社化となると、こうした批判を受けるのは新会社となるわけで、「東電」として残る会社はどこまでこうした責任を回避されることとなるのかということにもなります。

3 ローテーション

私は職場ではローテーションが必要だと考えています。最初はどんなにうまくいっていても、人間一度関係がおかしくなってしまうと修復は大変です。

また、最初から嫌な(自分とはあわない)上司(部下、同僚)と思っていても、ローテーションがあり、数年我慢すればいなくなると思うとそれなりに耐えられることもあります。

仕事の内容についても同じで、自分に合わない部署に配属になることも往々にしてあるわけですが、それもローテーションがあると思えば我慢できないこともありません。

しかし、新会社に配属になるということは、事務職であれば、先に述べた批判をうける仕事が多くなること、技術職であれば、汚染の除去という時には自分の身体への影響も覚悟しなくてはならない仕事を担当することとなります。

そうなると、新会社はこうした部門の仕事しかないわけで、新会社への配属が決まった職員がモチベーションを維持できるかという話になるかと思います。

4 東電の責任

東電の原発対応といった場合、最大の問題の1つに補償があるわけですが、分社化となると、これも分社に全て押しつけて、新しくできる「東電」とは切り離すのかという話になります。

補償の担保は大きければ大きいほど良いわけですが、これが分社化されれば、新しい「東電」の資産は補償の対象となりうるのかという問題が生じます。

それに新しい「東電」は原発には関与しなくなるのかもしれませんが、原発事故を起こしたのは東電であり、自分が起こした責任をどう補てんするのかという話はそのまま残ることになります。

分社化して、分社に全責任を押し付ける形で、自分たちに全く責任がないなどということは批判されることが目に見えているので、言えないでしょうが、内心そうした気持ちで行動をとるような気がしてなりません。

5 最後に

今回の事案を見ていて思い出したのが、ドイツはナチスドイツに全ての戦争責任を押し付ける形で戦争責任の問題に片を付けただけではないかという意見です(ドイツの戦後処理を賞賛する中国は妥当か?)。

「被害者」にとって不満のぶつけ先があるということは、大事なことであり、それを否定するつもりはありません。しかし、それがあれば、他の者(東電や政府)の責任は免責されるのかという話で、私はそれは違うだろうと思っているに過ぎません。

(※2013年10月8日の「政治学に関係するものらしきもの」より転載しました)