日テレのドラマ「明日、ママがいない」への声 第2弾 番組見て恐怖の記憶が甦り、リストカットした若者も

テレビ番組の元制作者として自戒を込めて振り返るならば、テレビの制作者は自分が制作する番組を「良かれ」と考えて視聴者に届けている。「タメになる」「感動を与える」「笑いを届ける」「知られてこなかった社会問題に光を与える」など、社会にとって何らかのプラスになると信じて番組を制作している。
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テレビ番組の元制作者として自戒を込めて振り返るならば、テレビの制作者は自分が制作する番組を「良かれ」と考えて視聴者に届けている。

「タメになる」「感動を与える」「笑いを届ける」「知られてこなかった社会問題に光を与える」など、社会にとって何らかのプラスになると信じて番組を制作している。

まさか自分の制作した番組が誰かを傷つける、などと考えて、制作する人間などはいない。

ある意味、テレビ番組は制作者の「善意」の固まりと言ってもよい。

ただ、そうした制作者たちも、番組を見る人たちがどう考えるか、どう受け止めるかについて、時に、想像が深く及ばない場合もある。

子どもの心の奥底にある「傷」の有無など、問題がデリケートであればあるほど、制作者は最大限の配慮をしなければならない。

今回のドラマに関しては、そういう事例に該当すると私は考えている。

ドラマを見た、児童養護施設などの関係者の反応のなかには、私自身の想像を超えたものもあった。

●スクールカウンセラーの女性

こんばんは。スクールカウンセラーとして、施設の子どもたちと話をしているので、ドラマを観て一番心配したのは施設で暮らす子どもたちです。  辛く苦しく寂しい気持ちに蓋をして学校にきて精一杯頑張って自分を保っているのに、施設がこんなに大変と思われ、ますますかわいそうと思われ、無意識に差別視を感じそれにまた蓋をして、重い気持ちを抱えたまま、誰のせいにもできず生きていかなければなりません。  なんでも受け入れざるを得ない状況で今を生きている子どもたちにとって辛いドラマではないかと思いました。

●児童養護施設の男性職員

記事を読み、ものすごく感銘を受けました。

児童養護施設の職員として乱文ですが、思いを述べさせていただきます。

■1.なぜ児童養護施設が舞台になったかを考えてみました。芦田愛菜さん、鈴木梨央さんといった、現在の人気子役の演技を思う存分視聴者に見ていただくにあたって、幸せなドラマよりかは、不幸を題材としたドラマの方が効果的である。 では、最近の児童の不幸って何だ?ということになれば、「児童虐待」と思いつく。1つの家庭の虐待であれば、1人の子役で済む。そうではなく複数の子役を出演させるには、集団でなくてはいけない。 じゃあ、それはどこか?児童養護施設だ!となる。でも大勢の入所児童がいる児童養護施設では、児童も何人もいるし、職員も何人もいる。それはそれで大変。じゃあ、グループホーム的な児童養護施設がぴったりだ。

■2.何が問題なのか度重なる児童虐待のニュースやタイガーマスク運動を契機にして、児童養護施設等の「社会的養護関係施設」に対する世間の関心が徐々にではあるが持たれつつある。だからこそ、作者も児童養護施設を扱ったのであろう。 ということは、単に関心を持つだけの方にとって、このドラマに描かれている「似非」児童養護施設が、本当の児童養護施設と勘違いされまいかと危惧する。

■3.さらに問題なのは 社会的養護関係施設には、様々な事情で、そしてそれが児童の望まざる事情で入所してきている。心に大きな傷つきを抱えた児童が多いのである。もし、学校でそのような児童に対して「おまえも施設にいるけど「ドンキ」か「ポスト」か?」等のからかいやいじめが発生しないだろうか、可能性が大きいだけに非常に心配している。そして入所児童同士でこのようなからかいやいじめが発生する可能性も否めない。傷ついてきた児童の傷に更に塩を塗り込むが如き危険をはらんでいる。

■4.厚生労働省が2011年に児童養護施設などの方向性を示した『社会的養護の課題と将来像』の精神にも反している。このなかでは「社会的養護とは、保護者のない児童や、保護者に監護させることが適当でない児童を、公的責任で社会的に養育し、保護するとともに、養育に大きな困難を抱える家庭への支援を行うこと」とし、「社会的養護は、『子どもの最善の利益のために』と『社会全体で子どもを育む』を理念として行われている」としている。家庭的な養育が行えるように、施設を小規模化し、地域に分散化し、ファミリーホームを増やし、里親委託を増やしていくことも目標にしていると同時にそれらを地域子育てセンターとして、子育て支援の拠点としていくことも目指している。このドラマでの児童養護施設や里親の描き方が、誤解を生むことが少なからずあるならば、国の政策を後退させる要因にもなりはしないだろうか。

■5.終わりに  このドラマに対して騒ぎ立てるのは、さらに世間の注目をこのドラマが受け、視聴率アップにつながるだけとか、そこがテレビ局にとってはおいしいところだと静観するべきだ等の意見がある。それはそれで正しいのかもしれない。しかし、このドラマによってたった1人でも子どもが傷つくのであれば、このドラマが人権侵害であることに変わりはない。それを許していいのか?少なくとも私たち社会的養護に関わる人間は許してはならない。

この職員が言及した、厚生労働省の「社会的養護の課題と将来像」という方針は以下のホームページで読むことができる。

●児童養護施設の園長

このドラマは、昨年、事前に全国児童養護施設協議会などにシナリオが送られていて、12月上旬から全養は制作会社、放送局に、内容変更を申し入れて話合いをしたが、撮り直しは出来ないので変更できないと拒否された、と聞いています。放送局側は、何が問題にされるのかを承知で放送をした、確信犯だと思います。  問われているのは、この番組の加害性とその責任だと考えています。虐待やパワハラ、セクハラは、加害側がどのような考え、思いでやっているかではなく、受け手の側が苦痛を感じているかどうかです。見なくても見た人からの偏見、誤解などかからの心無い言葉、からかい、いじめで傷つけられることもあります。これら加害性の結果責任を、番組制作会社、放送局、提供企業は取るのかです。被害を受ける人への保障を企業の社会的責任として負うのか負わないのかが、問われているのだと思います。例えば、慈恵病院が損害賠償請求をしたとき、番組に触発されたいじめを施設の子や里子が受けたとき、責任を取る覚悟と用意があるのかです。自らの企業活動の責任を負わない、負えないのならば、制作、放送、提供するべきではない、責任を負う覚悟と用意があるならば制作、放送、提供してもよい、と考えています。放送の結果、誰が傷つこうが、苦痛を受けようが関係ないという姿勢ならば、放送倫理よりも、犯罪、違法性を問う問題だと考えています。

放送の前に、児童養護施設の団体である全国養護施設協議会と話し合いをしていた、という話が事実ならば、児童福祉関係者との「すり合わせ」が不十分なままに放送した、ということになる。このあたりの事実関係はどうなのだろう? 事実であれば、関係者への根回しや意見聴取が丁寧に行われていなかったことになる。これは、どんな場合でもテレビ番組の制作者としては致命的な欠陥があったと言える。あるいは、この園長が指摘するように「確信犯」だったのだろうか。ちなみに一部報道によると、この全国養護施設協議会もドラマの放送を見て抗議の意思を表明しており、近々「申し入れ」を行うという。

ママがいない:養護施設協も抗議へ「フィクションでも...」(毎日新聞)

親が育てられない子供を匿名で受け入れる「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」を設置する熊本市西区の慈恵病院は16日、同病院で記者会見し、日本テレビ系列で15日に放送が始まったドラマ「明日、ママがいない」について「差別に満ちた内容だ」として日本テレビに放送中止を求めると発表した。  全国児童養護施設協議会の武藤素明(そめい)副会長は「内容が今の児童養護施設の現状とかけ離れている。子供を動物扱いし、平手打ちやバケツを持たせて立たせる行為は施設内虐待に当たる。里親制度も実態と違う」と憤る。さらに「番組の舞台は国が進めようとしている地域に根差したグループホームであり、番組の体罰的な場面から国民や世論の理解も得づらくなる。いくらフィクションでも、子供や親、職員の人権を侵害している」と話す。同協議会は、週明けにも日本テレビに抗議文を出す予定だ。

出典:毎日新聞

全国養護施設協議会のホームページには、1月20日正午現在、この件についてのコメントは発表されてない。

●行き場のない人たちへの支援活動をしている女性

親に捨てられた悲しい過去をもつ若者は、あの番組を見てフラッシュバックをおこし、精神状態を悪化させ、リストカットに及びました。

放送日の翌日、「『明日、ママがいない』を見ましたか?こわかった・・・。ショックでした」と青ざめた様子でした。

「あれを見て昨夜、ものすごいパニックになって具合が悪くなって・・・」と語り、腕に3本の生々しい傷跡が残っていました。

ものすごく青ざめた顔でした。「こわかった・・」を何度も繰り返しました。

もうそれだけでも、このような影響を与える番組は、絶対に放送してはいけないと思いました。

私の子どもも、一時保護所というところで一時期を過ごしました。

虐待や死別などで、行き場のなくなった子たちは、まず児童相談所の一時保護所に保護され、養育可能な親族がいれば親族へ、里親さんの意向と合うお子さんがいれば里親さんへ、長期に行き場所が見つからないお子さんは養護施設に行きます。

また、何度も里親さんの元に行ったり来たりする子どもがいることも事実です。

幼い頃に深い傷を負った子どもは、おいそれと人を信用しません。また悲しい思いをするのが嫌だからです。そういう、難しいお子さんたちと必死に向き合って、心を癒している方々もたくさんいます。

そういう子どもたちは、絵空事でなく、本当にそこここにいるんだよ、ってこと、忘れているのではないかと・・・。

被災者支援をしていたときも、親御さんが津波でなくなり、遺された小学生のお子さんを引き取った親戚の方が、育った生活環境の違いに、たいへん悩みながら子育てしておられる場面に出会ったこともありました。

震災孤児になった子どもたちの中には、養護施設に引き取られたお子さんも少なからずいたと思います。

この子らに「ツナミ」とあだ名をつけたりすることがありえるのでしょうか?  どう考えても、これは虐待のように思えてなりません。

このような方々が、どのような思いでこの番組を見たか、あるいは意識して見ないようにしていたかを考えます。

何にしても、子どもの問題は、社会全体で応援し、見守ることこそが大切なのは言うまでもありません。

人を傷つけるような番組はいけない。

が子が「もし見てしまったらどうしよう」と不安になるような番組は、本当に見直してほしいです。

この番組で傷つくのは、一番弱くて、一番過酷な思いをしてきた「子どもたち」(今は大人でも)であることを、制作者はもう一度考えて欲しいと思います。

最後のリストカットした若者のエピソードは、私にも相当にショッキングなものだった。

この若者は、ドラマの主人公たち同様に、幼い頃、親に捨てられた経験があり、長い間、児童養護施設で暮らしてきたという。

今も精神が安定せず、この女性が気にかけて面倒を見ている。

ドラマを見て、封印していた記憶がフラッシュバックしてしまったようだ。

テレビの放送というのは、時に、制作者側が想像した以上に、いろいろな影響を見る側にもたらす。

忘れてならないのは、子ども時代に、虐待やネグレクトなどの体験をした子どもたちの心がとても繊細だということ。

今、施設で暮らす子どもたちへの影響も含め、いろいろなケースを想定してほしい。

関係者がよく話し合い、こうした子どもたちが抱える社会問題をどうやって伝えていけばよいのか、解決方法を見つけることを願っている。

(2014年1月20日「Yahoo!個人」より転載)