こんばんは、都議会議員(北区選出)のおときた駿です。
本日は王子駅前にて、こまざき美紀区政委員とともに活動報告を行いました。
天気もよく、政策レポートの受け取り率もよく、順調に活動していたのですが...。
その終盤、私と同世代か下くらいの若い女性に呼び止められました。先日、私がやむを得ない事情で2歳の次女を連れて参加した式典の参加者だそうで、その時の対応について一言物申したいとのことでした。
要点としては、今朝方ツイートしたように「あの子連れでの対応は非常識だったし、不愉快だった。」というものです(なお、かなり強い口調ではありましたが、終始敬語は維持して下さいましたし、威圧的な対応ではなかったことは付言致します)。
当該催事の主催者には、当日朝にはなってしまったものの、やむを得ない事情で子連れの参加になってしまうことを伝え、了解を得ておりました。
その旨も説明させていただきましたが、式典の主役は主催者ではなく登壇者たちやその家族なので、(自分も含む)彼らは非常に不愉快な思いをしていたとのことでした。
また、厳かな式典で子供の声が響いていたのはありえないことで、子供が喋り始めたらすぐに外に出なかったことも非常識で、信じがたい対応だと強くおっしゃっておりました。
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まずもって価値観は多様であり、子供の声を不快に感じる方もいらっしゃると思いますので、そうした方々に対しては申し訳ないことをしたのかなと、心苦しい部分もあります。
ただ一方で、一般的に不快だと断じられるほど失礼なことをしたのかと言われれば、少しばかりこちらも反論をさせていただきたいと、言い返さずにはいられませんでした。
繰り返しになりますが、予告なしに子供連れで参加したわけではなく、事前に主催者の方には2歳の子連れになってしまう旨をお伝えし、了承を得てから会場に向かいました。
そして式典中は、私の子供は基本的にずっとスマホで動画を見ており、泣きわめいたり立ち歩いたりすることは一切ありませんでした。
ただ、ずっと完全な無言で居ることは残念ながら不可能で、
「(動画を指さしながら)くまさんいるよー」
「ぞうさん出てきたー」
「別の見たいーしまじろう見たいー」
など、動画を見ながら何度か言葉を発していた場面があったことは確かです。
しかしながら、(私としては)ずっと大声で喋り続けていたわけでもなく、むしろ言葉を発する度に会場から出入りする方が目障りだろうとも思いましたので、「おしゃべりナシよ」となだめる対応に留めておりました。
これがどの程度うるさいと感じられたのかは、私以外の「周りの方」に聞かないとわからない部分ではありますが、
「百歩譲って子連れはかまわないけれど、式典中は一言も発せさせず黙らせておけ」
というのでは、それは事実上子連れを排除するのに等しいことになっていると思います。
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主催者にも事前に報告しているし、私個人としては子どもの対応も良識の範囲内。それを大勢にとって不快で非常識と断じられるのは遺憾だし、そうした雰囲気があるなら積極的に私から変えていきたいと申し上げると、
「呼ばれた立場で子連れなんておかしいですよ。だったら欠席するべきだったんじゃないんですか!」
とも言われました。これも非常に残念なことです。
政治家・議員には、保育園がやっていない日曜日・祝日問わず多くの催事への出席依頼が舞い込みます。
招待をもらったお祝いごとの際にはぜひ駆けつけさせていただきたいと思いますし、欠席すればそれこそ「あの議員はこなかったな」「薄情者だな」と思われてしまうかもしれません。
だけど子連れはNGと言われれば、共働きで子育て中の議員は非常に難しい立場に追い込まれます。これこそがまさに、女性議員が政治の世界に参入しづらい、入ってきても長続きしない大きな理由の一つではないかと思います。
結局、5分ほどは会話を続けていたと思いますが、最後までその方との意見は平行線をたどり、「あなたのような方に、北区で政治家を続けて欲しくない!!」と言われ、最後は憤慨して立ち去られてしまいました。
話の流れや内容からしておそらく、そもそも私とは政治信条や支持政党の異なる方なのだろうなとは思います。
それでも実際に面と向かって参加者の方から、しかも同世代かそれ以下の女性からこのように強い言葉を浴びせられたことは、私個人としても非常に衝撃的な出来事でしたし、ありていにいればかなり凹みました。。
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「子連れ出勤」については立場によって百花繚乱、様々な意見があります。
周囲に不快な思いをさせるくらいなら、あの式典はやっぱり欠席するべきだったのか。子どもが言葉を発した瞬間に中座するべきだったのか...
そしてご意見を面と言われた今日も、おとなしく謝罪して行動を改めるべきだったのか。。
いろいろな思いが駆け巡りますし、現時点でもクリアな「正解」がわからずモヤモヤしています。
あるいは、子どもの立場になれば、黙っていなければいけない空間に連れて行かれるのは可哀想というご意見もわかります。極力、子どもに負担をかからない方法をまず模索するのが、社会的支援のあり方だとも思います。
ただやはり一方で、現実として催事がすべて保育付になるのはまだまだ先のことになると思いますし、やむを得ない事情が発生した時に「子連れは非常識」「子連れは子どもが可哀想」と思われる世の中では、子どもを生みたいと思う若い世代は極めて限られてしまうのではないでしょうか。
厳かな式典も、伝統も大事ではありましょう。しかしながら、それは子どもの存在を排除してまで守られるものではないと、私は信じます。
今回は私自身も、もっと早く主催者に相談して参加者への理解を求めておく、出口付近の席に座って、子どもの声が響いたら即座に・頻繁に退席するなど、もっと改善できた行動もあったかもしれません。
また、政治家・議員だからというのはあると思います。来賓にゾロゾロ政治家が並んでいるのが嫌だとか、そもそも音喜多が嫌いだ・支持してないということもあったのでしょう。
しかし「子連れ」というのはどんな職業でも・どんな環境でも起こりうるもの。価値観の違う人たちが集まれば、必要なのは歩み寄り。
私自身も自分の行動を省みるとともに、子育て・子連れに寛容な風潮が醸成されるよう、引き続き私の立場からできることに全力で取り組んでまいります。
それでは、また明日。
(2019年1月22日『おときた駿ブログ』より転載)