今日はサッカーロシアワールドカップ2018での決戦の日。対戦相手のポーランドは「親日国」だといわれていることをご存知でしたか?ポーランドが親日である理由は日赤が関わった歴史にあります。
■ シベリアでの苦しい生活から命を救われたポーランド孤児
20世紀初めに起きたロシア革命、そして革命後の内戦に巻き込まれたシベリア在住のポーランド人は飢えと寒さ、疫病などで苛酷な生活を送っていました。男性は義勇軍として戦場に駆り出され、女性も子どもを残して亡くなり、多くの孤児が残されました。
日赤の援助により、そのシベリアにいたポーランド孤児のうち、1歳から16歳までの765人が1920年から1922年にかけて2回にわたり日本へ受け入れられました。
このポーランド孤児救済事業は日赤にとって、最初の外国人難民支援活動でした。
■ 献身的な支援に対し送られた子どもたちからの「アリガトウ」
日本に到着した当初は、栄養状態も悪く弱っていたポーランド孤児ですが、日赤の看護師が懸命に治療を行い、食事も提供しました。約1年間の日本での受け入れ期間中は慰安会を開催、動物園や博物館の見学や、市内を案内するなど、孤児たちを励ましました。子どもたちのなかには「アリガトウ」と日本語でお礼を言う子もいました。
日本滞在後、1回目の孤児たちは横浜からアメリカ経由で、2回目の孤児たちは大阪で生活し、神戸から欧州航路でそれぞれポーランドに帰国しました。
ポーランド孤児を日本が助けたという事実は多くのポーランド国民が知っており、日本に対する強い親日感情につながっています。