防衛省のイラク日報隠蔽問題が、話題になっている。日報については、すでに南スーダンPKO(国連平和維持活動)派遣(2012年~2017年)の際に問題になった。組織的な問題も背景にあるのは確かだろう。しかしより根本的な問題は、世界の現実と日本の法制度の間の、覆い隠すことができないギャップだ。
イラク派遣(2003年~2009年)時の「イラク特措法」はすでに失効しているが、1992年に成立した「PKO協力法」は今も有効だ。しかし南スーダン派遣時に明らかになったように、この法律は日本独自の制約を加えているだけでなく、そもそも冷戦時代の国連PKOをモデルにしたという点で、現実と大きく乖離している。それは日本の憲法解釈問題だけではない。日本人のPKOに対する理解そのものが、現代世界の現実と乖離しているのである。
「強い敵を襲う者はいない」
1948年以降の70年間における国連PKO要員の殉職者総数は3500人で、そのうち戦闘行為による犠牲者数は943人である。2017年だけを見ると、殉職者数は134人で、そのうち戦闘行為による殉職者数は56人にのぼる。さらに2013年以降の5年間では、195人が戦闘行為によって殉職しているという。PKOが一貫して危険な活動であることがわかると同時に、近年は戦闘行為による犠牲者数が増加傾向にあることも明らかになっている。
こうした情勢のもと、アントニオ・グテーレス国連事務総長の命を受けて、『国連平和維持要員の安全を改善する』という報告書が昨年末に公刊された。PKO部隊司令官など豊富な経験を持つブラジル人のサントス・クルーズ中将が筆頭執筆者であることから、『クルーズ・レポート』と呼ばれているこの報告書が今、国際機関関係者の間で話題になっている。
『クルーズ・レポート』は多岐にわたる分析と提言を行っているが、基本的なメッセージは、「強い敵を襲う者はいない」、である。その観点から指導者層の資質や作戦面の向上も唱えるが、「残念ながら、敵対勢力は武力以外のことを理解しない」とし、「安全を高めるためには、脅威を認識し、脅威を除去すべき」であることを明言する。また「防御的な姿勢で待ち続けることは、敵対勢力に、いつ、どこで、どのように国連を攻撃するかを決める自由を与えることを意味する」とも指摘している。
さらに軍事・警察要員に関して、次のように言う。「軍事・警察要員貢献国が、様々な理由や関心で平和維持活動に参加するのは普通のことであり、受け入れられる。しかし、彼らは機能しなければならない。国連は、差し止め請求を受け入れてはならない。なぜなら平和維持活動の統合性と相互防御能力が弱められてしまうからだ。そうなってしまえば、犠牲者が増える」
PKOの質・量の変質と拡大
こうした切実な状態に至るまでには、国連PKOの質・量の拡大があった。
日本のPKO協力法は、「紛争当事者の同意」がPKO3原則の1つだという認識がある。しかしその原則の厳密解釈は、すでに過去の遺物だ。国連PKOの原則を説明する文書『キャプストン・ドクトリン』(2008年)の言葉を用いれば、「主要な紛争当事者の合意」は、地方レベルで合意があることまでも前提にしていない。
さらに、伝統的な国連PKOで原則とされていた「中立性(neutrality)」が、「不偏性(impartiality)」という概念に転換した。これによって中間的な立場をとる「中立性」よりも、国際人道法などにしたがった原則に忠実である「不偏性」こそが、平和維持活動に求められるようになった。それはつまり、和平合意の逸脱者や戦争犯罪者などに対しては、断固とした態度をとる、ということを意味する。
また、「自衛および任務の防衛以外の場合の武力の不行使」とされた原則は、さらに強化された(robust)PKOを裏書きした。任務を防衛するためには武力行使もやむを得ないということは、職務遂行にあたって武力行使が許されない領域はない、ということだ。より具体的には、「文民の保護(POC)」の任務は特に重要なものとみなされ、大規模ミッションであれば、国連安全保障理事会がPOCの履行について国連憲章第7章の強制措置の権威を、あらかじめ付与しておくことが一般的になった。
量的面を見てみよう。国連PKOの要員数は、1992年には1万人程度でしかなかった。冷戦終焉直後の武力紛争数の増加を受けて、1995年までに一気に約8万人にまで膨らんだ後、度重なる任務の失敗を受けて、要員数は1990年代後半に大幅縮小して元に戻った。しかし1999年以降に再び反転し、2000年代を通じて拡大し続け、2010年には全体で12万人(軍事・警察要員は10万人)という規模になり、財政的にも年間70億ドル程度の予算を誇るに至った。これは国連本体予算の約3倍の規模である。
一転して縮小傾向へ
こうした質・量の両面からの変質によって、国連PKOは、危険な任務にもあえて踏み込んで活動するようになった。それが犠牲者数の増加にもかかわっていることは言うまでもない。そのためすでに「国連マリ多元統合安定化ミッション=MINUSMA」(2013年~)だけで162名の殉職者を出している。国連要員を狙った攻撃が繰り返されているためである。マリの国連PKOは、フランスや「サヘルG5」(マリ、モーリタニア、ブルキナファソ、ニジェール、チャドの5カ国)と呼ばれる周辺国による軍事展開と連動して活動している。そのため国連PKOも「対テロ戦争」の一環として展開しているのと同じになってしまっている。
史上最大規模の要員・予算を動員し、かつてない野心的な内容の活動を実施し、それでもまだ足りず各地でAU(アフリカ連合)やECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)などの地域機構・準地域機構とも緊密に連携して進められてきた国連PKOは、遂に昨年から明確な縮小傾向に入った。背景には、野心的な内容で拡張しきった現在の国連PKOの体制を、今後も継続していくことが難しい、という事情がある。
コートジボワールやリベリアでのPKOの終了は予定通りとされているが、ダルフール(スーダン)やコンゴ民主共和国の大規模ミッションも縮小された。昨年7月から本年6月までの会計年度では、前年度と比して、約10億ドル・要員数1万人が減った。中央アフリカ共和国やマリにおける最新のミッションも削減対象になっており、予算削減・要員削減の流れは続きそうである。
2015年に報告書を提出した「平和活動に関するハイレベル独立パネル(HIPPO)」は、「政治の卓越性」や、「パートナーシップ」の重要性などを強調していた。今後の国連PKOは、よりはっきりと政治調整機能の提供に特化し、現場では(準)地域機構などとの協力関係を一層発展させながら、存在価値を維持する努力を続けていくことになるだろう。
戦略的なかかわり方の検討を
日本は現在、国連PKOに部隊派遣を行っていない。国内では、日報問題の余波がしばらく続くだろう。自衛隊の位置づけをめぐる改憲問題も、どうなるかわからない。その意味では、近い将来の国連PKOへの部隊派遣の可能性は、さほど高くないと推察せざるを得ない。一方今、国連PKOの野心的な内容は維持されながらも、予算・要員が縮減されつつあることは、さらにいっそう日本の国連PKOとのかかわりの行方を不透明にする。
そんな中で日本は、兵站後方支援に力点を置き、アフリカ諸国への能力構築支援活動(自国が有する能力を活用し、他国の能力の構築を支援する活動)を通じた国連PKOとの間接的なつながりなどを発展させる道筋を探っていくことになる。しかし、現場経験があって初めて側面支援も活きてくるものだ。
過去10年余りの間に、国連PKO分担金で2割の比重を誇っていた日本は、その経済規模の停滞により、今や1割未満の水準にまで財政貢献比率を下げた。代わりに中国が日本を抜き去り、米国に次ぐ第2位の財政貢献国となっている。日本と中国の差は、中国の急激な経済成長により、今後急速に拡大していくだろう。中国は国連安保理の常任理事国であり、2600人もの国連PKO要員を提供している国でもある。マリにおけるPKOでは、殉職者を出しながらも北部地域へのPKOの展開を支え続け、存在感を高めている。
こうした国際環境を見ると、日本が国連PKOで主導的な役割を担うような未来像が、もはや幻想でしかないことが明らかである一方、日本が国連PKOとのかかわりを絶って孤立無援の大国として生きていくような道も非現実的であることもわかる。
いつかは安保理常任理事国に、といったバブル時代の古い外交スローガンを改め、国力と国際環境に応じた、国連PKOとの戦略的なかかわりを再検討する時期に来ている。
篠田英朗 東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程、ロンドン大学(LSE)国際関係学部博士課程修了。国際関係学博士(Ph.D.)。国際政治学、平和構築論が専門。学生時代より難民救援活動に従事し、クルド難民(イラン)、ソマリア難民(ジブチ)への緊急援助のための短期ボランティアとして派遣された経験を持つ。日本政府から派遣されて、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)で投票所責任者として勤務。ロンドン大学およびキール大学非常勤講師、広島大学平和科学研究センター助手、助教授、准教授を経て、2013年から現職。2007年より外務省委託「平和構築人材育成事業」/「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」を、実施団体責任者として指揮。著書に『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)、『集団的自衛権の思想史―憲法九条と日米安保』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築入門』、『ほんとうの憲法』(いずれもちくま新書)など多数。