俳優・ミュージシャンのピエール瀧容疑者が麻薬取締法違反の疑いで逮捕されたことを受け、各方面で波紋が広がっている。レコード会社は関連作品の販売を停止し、NHKは瀧容疑者が出演した大河ドラマのインターネット配信を停止した。
しかし、こうした“自粛”の動きについては、「過剰ではないか」と指摘する声も寄せられている。「作品そのものに罪はない」とする意見だ。
ジャーナリストの佐々木俊尚さんは、逮捕の報道が出た直後に出演作を自主規制する傾向について、「いくらなんでもやりすぎではないか」と疑問を呈する。そして、過剰な自主規制が進まないためにも「ガイドラインを決めるべき」、と指摘した。
この問題をどう考えるべきか? 佐々木さんに聞いた。
「社会的な責任をどこまで追求するか、線引きが行われていない」
音楽や映画、ドラマ、アニメ、ゲーム…。瀧容疑者の逮捕報道は、多方面に大きな影響を与えた。
ソニー・ミュージックレーベルズは、瀧容疑者が所属するテクノユニット、電気グルーヴのCD・音源を回収および出荷・配信停止することを発表。NHKは、連続テレビ小説「あまちゃん」や大河ドラマ「龍馬伝」など、過去作品の全話配信停止に踏み切った。
さらに、「キムタクが如く」の通称で人気を集めたプレイステーション4用のゲームソフト「JUDGE EYES:死神の遺言」も、販売自粛が決まった。
芸能人が不祥事を起こした時に、関連作品が“お蔵入り”になるケースは多い。しかし、過去の出演作がその余波を受けることについては、異を唱える声も少なくない。
佐々木さんは、「法的な責任を問われるのは当然として、社会的な責任をどの段階で、どこまで追及するか、という線引きが全く行われていない」と指摘する。
「まず、今の段階では有罪であるかどうか決まっていません。まだ起訴はされておらず、裁判もされていなければ、判決も受けていない。この段階で社会的な責任を追及していいのか」
「厳密に責任を問うのであれば、判決が確定したのちに判断すべきではないのか、と考えます。(現時点での販売自粛は、)『疑わしきは罰せず』という推定無罪の原則から著しく外れた判断ではないでしょうか」
「いくらなんでもやりすぎではないか」
また、どのような犯罪を犯したか、という点も考慮するべきではないか、と佐々木さんは提言する。
「議論が分かれると思いますが、どこまでの犯罪で社会的な責任を追及するべきとみなすのか、という問題もあります。例えば、スピード違反をして赤切符を切られたというケースでも法律を違反していますが、この場合はコンテンツに罪はあるのか。軽犯罪法はどうなのか、などです」
「そうした線引きもないまま、とにかく性暴力から薬物まで、十把一絡げにしてコンテンツも含めて責任を問うかたちになっている。いくらなんでもやりすぎではないか、と思います」
最近では、2月に新井浩文被告が強制性交罪で逮捕・起訴されたことを受け、出演作の劇場公開が中止になったり、DVD/ブルーレイ販売が延期になったりしたことも記憶に新しい。
この時も賛否は分かれ、対応をめぐり物議を醸した。
「性暴力などは、明らかに被害者がいる犯罪。被害者の目に触れるようなところに新井被告の顔が出るのは良くないという意見は、一つの意見として許容できます」
「ただ、個人の責任で薬物をやったとして逮捕された人について、その人が作品に出ているのが不快だ、とする意見については、『多様性の侵害』に繋がると思います」
「アートは時として道徳や倫理を踏み外す」
作品の自主規制を疑問視する声の中には、「作品に罪はない」という意見も多い。
この件をめぐっては、坂本龍一さんが同じ音楽に携わる立場として「音楽に罪はない」と苦言を呈すなど、ミュージシャンからもレコード会社側の“自粛”に疑問を投げかける声が上がった。
「アートや映画、音楽やドラマなどの芸術や文化は、『道徳』や『倫理』に縛られるべきなのか。そこをもう少し考えるべきでは」
佐々木さんはそう指摘する。
この問題を考える上で参考になる一例として、1997年に死刑が執行された連続ピストル射殺事件の永山則夫元死刑囚をめぐる騒動をあげた。
永山元死刑囚は獄中で執筆活動を行い、1971年に手記「無知の涙」を発表。その後も小説作品を発表し続けた。
そして1990年、日本文芸家協会に入会しようとするが、同協会が申請を拒否。これに作家の筒井康隆さんや中上健次さんらが猛抗議し、同協会を脱会したのだ。
筒井さんは抗議の理由について、のちに朝日新聞への寄稿文で「(人を殺し、死刑宣告されたことの)重さを人並み以上のすぐれた文章で表現できる人物が入会を求めてきている。三顧の礼をもって迎えるべきではないか」とつづっている。
「その時代に基づいた道徳観や倫理観があったとしても、そこから逸脱する人間性というのは必ずある。その逸脱した人間性の中に、実は何がしかの人間の本質が垣間見える。それが芸術の役割ではないかと思います」と、佐々木さんは話す。
「アートは時として道徳や倫理を踏み外していきます。その踏み外したアートが『いけないもの』かどうか、どのように社会がそのアートを引き受けるか。そうした議論を本来はしなくてはいけない」
「映画や音楽、現代アートなどに対して、あまりにも道徳や倫理を求めすぎていると思います。それによって、我々の方こそ社会の本質から目をそらしてしまうことになりかねないのではないでしょうか」
「ガイドラインを決めた方がいいのでは」佐々木俊尚さんの提言
出演者の不祥事によって作品が“お蔵入り”になるかどうかは、テレビ局や配給会社など製作サイドの判断にかかっている。
しかし、自粛に至った経緯や理由については不明瞭な場合も多い。
例えば、NHKは配信停止を決めた理由について、「番組の出演者が逮捕されたことを受け、NHKとして総合的に判断しました」としている。
佐々木さんは、過剰な自主規制が進まないためにも、「映画関係会社やテレビ局などを含めたコンテンツ業界で、ガイドラインを決めた方がいいのではないか」と提言した。
「起訴の段階で数カ月間は規制をするなど、どの段階で、どれくらいの期間でやるのか。有識者を含めた第三者機関で話し合い、ガイドラインの内容を公開してパブリックコメントを求めながら作っていくべきでは。大事なのは過剰にならないことで、表現の自由に抵触するため、なるべく抑制的に議論をしていくべきだと思います」
「何の議論もしないまま、製作サイドが批判を恐れて自主規制をしている。どの段階でそれを緩めるべきか、どういう犯罪までは許容すべきか、その議論がされていません。自主規制を押し進めるとただ息苦しくなり、何もかもが道徳と倫理に縛られ、多様性がなくなってしまう。そこに歯止めをかけるためにも、ガイドラインは必要だと考えます」