私は千葉県内房にある500床程度の大学病院で血液疾患(悪性リンパ腫、白血病、骨髄移植など)および一般内科疾患の診療にあたっている内科医師です。内科はおそらく最もイメージしやすい医師像の一つで、検診や人間ドックなどを含めると、誰もが一生のうち一度は受診することになるのではないでしょうか。地域住民の健康的な生活に非常に密接に関わる科です。その内科医の養成教育が大きく変わろうとしています。
10年後、20年後に私たちがどのような医療を受けられるのかに関わる重大な問題です。
医療界に関わらず、ジェネラリスト養成教育がよいのか、スペシャリスト養成教育がよいのか、というのはある種、普遍的な問題です。
会社員が営業、経営、総務など多岐にわたる部署を異動しジェネラリストを養成する仕組みは、日本の人事制度の特徴と言われて来ました。その最たるものは官僚でありましょう。新卒一括採用、終身雇用制度を前提とした、流動性の低い日本の労働市場と密接に関係していると言われます。
一方で、19世紀イギリスの経済学者デヴィッド・リカードの比較優位論をモデルとした専門性(スペシャリティ)の重要性も指摘されてきました。比較優位論は元々、二国間貿易においてそれぞれの国が自国の得意な財の生産に特化し自由貿易をすることが、自国及び貿易相手国を最も豊かにする、という国際分業の原理となる経済理論です。しかし、20世紀米国の経済学者のポール・サミュエルソンは「タイピングの早い弁護士が、タイピングの遅い秘書を雇うべきか?」という命題で説明し、専門家の協働による高い生産性の実現という意味でも理解されます。(この場合、弁護士はタイピング速度が秘書より早くとも、弁護に専念して秘書を雇うべき、というのが彼の答えです。)
医師教育は元来スペシャリスト養成教育でした。初期臨床研修制度以前は大学卒業後にそのまま専門研修に入っていました。しかし「医療の高度化・専門化が進んだ結果、自分の専門分野しか分からないという医師が増えた」ことから「臨床医として誰もが身に付けるべき基本的なものを修得する」ため2004年から初期臨床研修制度が施行され、少しジェネラリスト養成方向にシフトしました。(http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/rinsyo/qa/byoin.html)。
現在の一般的な内科医師のキャリアパスは、6年制の医学部を卒業後、2年のスーパーローテーション型初期臨床研修で外科や精神科や産婦人科、その他各内科などを1~2ヶ月ごとに回ります。初期研修を終えた3年目には専門を決めて専門研修に入ります。卒後4年目には内科認定医資格を得て、その後さらに3年の専門研修を行い、多少の差はあれども、大体7年目に循環器内科専門医、消化器内科専門医、血液内科専門医などの各専門医資格(subspecialty)を得ることになります。幅広く内科全般の診療能力を高めたいと思う人は初期研修後に総合診療内科の専門研修に入り総合内科専門医を取得しますが、中には3年の初期臨床研修プログラムを提供している病院に入職し、キャリア初期からより多くの診療科をローテーションで回る人もいます。
しかし、現在検討されている新・内科研修制度では、初期臨床研修後に全員が各内科のローテーションを続け、卒後6年目に「新・内科専門医」資格を得ることが、その後の各専門医資格を取得するための必須条件となります。今までは総合診療を志す医師のみが行っていた研修を全内科医師が行う仕組みです。このような制度変更に至った日本内科学会の問題意識が、ホームページ(http://www.naika.or.jp/info/info_pdf/newfellow.pdf) の中で「現制度の課題点と専門医制度を巡る状況」に記されています。すなわち、「2年間の初期臨床研修制度が2004年から始まったことにより、認定内科医の研修期間における内科全体の研修期間が減少する傾向が見受けられるようになりました。そして内科研修がsubspecialty研修に偏り、総合内科専門医(generalist)試験の受験者減少や内科系専門医の領域的、地域的偏在などの問題も顕在化してきました」とあります。くだけた言い方をすると「専門馬鹿」が増えてきたから問題だということのようです。
確かに私も「循環器内科のA医師は不整脈が専門だから高血圧をみない」などの耳を疑うような事例を見聞きすることはあります。(通常の高血圧は卒後2年目の研修医でも管理可能だと思われます。)そのA医師が大学病院や国立高度専門医療研究センターなどで、通常の病院で行えないような極めて先進的な不整脈診療のみにあたっているのであれば問題ありません。しかし、不整脈だけ見ればよかったA医師が、地域の総合病院などに出向になった場合には、地域の患者さんの抱える多くの循環器疾患(高血圧、心筋梗塞、狭心症、心不全など)を診療する必要が出てきます。多くの医師は再度勉強しなおして、なんとか現場のニーズにあうように方向修正していきますが、方向修正がうまく出来なかったり、そもそも方向修正をするつもりがなかった場合には、最初の事例のように本人の職能と地域のニーズの乖離が生じ、軋轢を生みます。しかしこれは医師になって最初の3年の内科研修を5年にすれば解決する種類の問題ではありません。キャリアの転機を迎えた医師の再教育・生涯教育を各地域でどのように行っていくのかという別の大きな問題です。
では、若手医師の教育とはどのようにあるべきでしょうか。私は専門性の確立こそが大切だと思います。総合診療も専門性です。初期研修を終えて、さらに幅広い分野の総合診療能力を高め地域医療に貢献したいと考えるものはその道を、心臓カテーテル治療や消化器内視鏡検査を学びたい者はその道を歩み始めるべきだと思います。「一律全員に」総合診療研修を科すことには次の3つの理由で好ましくないと思います。
第一に、医師は本来的になんらかの専門性を柱として職能を発揮するからです。例えば私は血液内科医師として悪性リンパ腫、白血病、多発性骨髄腫、造血幹細胞移植、その他良性血液疾患などの知識・診療レベルを最新のものに保つことが求められます。加えて、血液疾患を持つ患者さんの細菌性肺炎・器質化肺炎などの呼吸器疾患、B型肝炎ウィルスの再活性化やサイトメガロウィルス腸炎などの消化器疾患、ステロイド治療による糖尿病など非血液領域についても幅広く知識を持つことが必要です。しかし後者に関しては、各領域を専門とする医師の知識・経験に助けていただく場面も多々あります。なんらかの専門性を持った医師が協働して診療にあたり、患者さんに最適な治療を提供しています。
舞台は違えども、総合診療の現場も同様ではないかと思います。縦割り専門家の狭間におちてしまいそうな患者さんの診断をつける、地域・離島の第一線で限られた資源を駆使して診療に当たる、ヘルスメンテナンスを行い地域の健康レベルを高める、など総合診療の専門性を軸としつつも、高度治療や特殊な検査を要する場合など他の専門家にお願いしなければならない場面も出てくるでしょう。
第二に、全員がドラマ「ドクターX」の「大門未知子」のような、消化器外科も心臓外科も呼吸器外科もできるスーパードクターにはなりえないからです。限りある時間を、専門分野(subspecialty)の追求と非専門分野の網羅のどちらにどれだけ配分するかは、どのようなフィールドでどのような医療を行いたいか、個人の理想とする医師像によって異なります。これは医師以外の領域では当たり前だと考えられていることです。たとえば、フレンチのシェフは中華料理を作りません。中華料理から着想を得たり、素材を使ったりするかもしれませんが、あくまでフランス料理人としての仕事に生かすという軸があるはずです。各国料理の技法は必要だから、フレンチシェフに中華から和食から全ての料理技法を全員に身につけさせるなどということは考えられません。また仮に中華・和食を学んだらそれでいいのかというと、世界にはインド料理、トルコ料理など独特で個性的な料理は様々あり、何を学び自分の中に取り入れていくかの取捨選択も個性であろうと思います。
第三に、若く、体力があり、無理がきく時期を専門性の高い技術の研鑽に費やせなくなるからです。年をとり、そして家庭ができたりすると自分の思い通りに時間を使えるとは限りません。
ここまで一個の医師のキャリアパスという面から問題を提示してきましたが、医師養成に社会的な要請があることも事実です。「医師養成には多額の税金が投入されているため、医師個人の自由・権利についてなんらかの制限がかかってもよい」との主張に対して私は賛同し兼ねますが、自覚することは必要です。一患者の視点からみると、どの医師に診てもらっても初診料・再診料は同じなので、専門領域に加えて非専門領域も詳しい医師に診てもらいたいと思うのは当然です。新・内科研修制度が導入されて、専門医の平均年齢がすこし上がってもあまり気にしないでしょう。しかし患者の金銭的負担は0でも、新・内科研修制度の社会的なコストは0なのでしょうか。医師の引退する年齢は変わらないので、専門に入るのが遅くなれば、医療界全体の専門医療にかけるリソースは減ります。結果、総医療費は抑制されるかもしれませんが、国民の高度医療を受ける機会は阻害される可能性があります。専門医取得年限の遅れは、大学院入学の遅れにつながり、ひいては基礎研究や臨床研究の停滞につながる可能性もあります。また、専門研修開始が遅くなり、なかなか一人前になれない医師のキャリアパスに高校生が魅力を持ち続けてくれるでしょうか。議論を通じて、10年後の内科医が今よりさらに魅力的になっていくことを願います。
(2015年02月25日 MRIC by 医療ガバナンス学会より転載)