まずは事故で亡くなった方々や消防士のみなさんに黙祷を捧げます。また天津の街がこの災害を乗り越えて早く復旧することを祈ります。
中国は天津の大爆発で「安倍さんの談話」どころではない...みたい。
地方局TVはあまりの事の重大さに、なすすべもなく上級政府からの指示があるまで「韓流」ドラマを流し続けてたようです。住宅地近くに危険物の貯蔵を許可したのか?犠牲になった消防士は水をかけると科学反応を起こして爆発する事を知らなかったのか? などなど、これからも検証は続く....と、いいんですが。
こう言う事故が起こるたびに思う事が2点あります。まあ「中国」と一つに括れるほど単純では無いと思うけど、住んでて感じる個人的な感想です。
一つは中国社会によく見られる「昨日まで大丈夫な物は今日もOKだろう」と言う考え方。理論では無く経験則によって判断するので、上海株でもエスカレーターでも予測して故障を回避する事が出来にくい。たまたま事故に遭遇した人は「運が悪かった」だけ...。今、使えてる物を止めて点検したり修理したりするのを「無駄」と嫌う。タクシーなんかも明らかにサスがへたってても、タイヤがズルムケでも、シートがダクトテープで修理されてても誰も「大丈夫か?」と思わない。だから点検も管理も杜撰で、経年変化や耐用年数などはあまり考慮されない。少々ネジが緩んでても、危機管理マニュアル読んで無くても、今日何も無ければ「ずっと大丈夫なんだから心配する方がおかしい」となる。皆、新品は喜んで使うけど、どんな良い物でもメインテンスして長く使おうと言う意識は薄い(管理責任の曖昧な物は特に)。洗練された商品が無かった時代の「壊れるまで乱暴に使い倒す、壊れたら捨てる」と言う文化と「運が悪い」で納得する古代から続く市民哲学は今も根強いように思います。
もう一つは「どうせ給料安い人がやってるから仕方がない」と言う諦め。10億元のビルを建てても検査、修理、掃除は下請け、孫請けの会社が、規定よりはるかに安い賃金で農民工などを使って受注することが多い。彼らは「言われたこと以上の事をすると他の仲間に迷惑がかかる」と言う連帯意識と、「可能な限り手を抜く」事で安い賃金に抵抗する。上級職の人間は一種の差別意識もあって統制することを簡単に諦めてしまう。また問題が起こる前に煩く言うと「威張りたいだけの嫌な奴。」になってしまう。
私的な経験で言うと....スタジオ用に買ってきた500wスポットの固定ネジが最初の15分で熱で壊れてヘッドが固定できない。素材がアルミ以下どころかプラスチックで出来てるんでは無いかと思うくらい柔らかい。海外製品の1/50以下の値段で買った物なのだが、使用できなければいくら安くても意味が無い。「返品しようぜ!」と息巻く私に「え〜安い中国製品に怒るのは、ちょっと可笑しいですね(笑)」と言う皆のリアクション。なるほど....これは根が深いな〜、と思った次第。日本の「払った金に関係無くフルサービスを求める」傲慢な感じもどうかと思うが「安いからすぐ壊れても危険でも仕方がない」と言う考え方には、長く中国に住んでも違和感を感じます。
またこれらの性格が良い方に働く事があるのも事実で「細かい事をグダグダ考えないで、とりあえずやってみる」「失敗しても、運が悪かった、の一言で次に進む」「反省もしないが批判もしないので失敗した人が排除されない」などなど。日本人が10万回に1回に起こるリスクに過敏に反応するのに対して、こちらは100回に1回なら...「絶対安心」、10回に1回なら「試してみる価値はある」って感じですかね。
ほとんどの人が失敗して死体累々でも、何度もまた挑戦して、1%の成功者が経済を引っ張る。こう言う社会は強いです。
日本の「和を乱して挑戦し、失敗したら次から外される」「責任を曖昧にする為の形だけの会議」「上級職は現場の事を事前には指示も決定もしないが結果には文句を言う」....と言うのとどっちがいいか?迷うね。原発事故見てると日本のリスク管理も怪しいですが.....。
実際に我々の仕事の例だと「10万元の仕事、2週間スタジオ押さえて」と依頼された案件が「2日で撮影、予算2万元」に変化し、撮影の日程は直前に何度か延期され、撮影後は期日が来ても支払われず、半年後に催促すると「クライアントが値切ってるんで8千元にして」と平気で言われたりします。当然こっちも「2度と仕事しない。もう来ないで。」って怒りますよね。でも....でもですよ、しばらくしたら全く何も無かったように「新しい仕事、やらせてあげましょう」と何故かちょっと上から目線で連絡してくる(笑)。で、結局憤慨してるのは日本人の私だけ。みんな全然平気。
いや〜、この逞しさと寛容の精神は見習わねば。