混迷するフィリピン麻薬撲滅戦争 無抵抗の高校生射殺に過去最大のデモ 

死者増え、麻薬汚染防止ならずの最悪のシナリオも
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■最大の「反戦」デモ

「警察官になりたいと言っていた息子がよりによって警官に殺されるなんて」

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キアンさんの棺の前で生前の様子を語る父サルディ・デロスサントスさん
柴田直治

白い棺に収まった17歳の息子キアンさんに目をやりながら、サルディ・デロスサントスさん(49)は肩を落とした。通っていた高校のIDを示しながら、父は息子の親孝行ぶりを淡々と語った。朝6時から自宅前で文房具を売り、午後高校に通っていた。8月16日も夕方に学校から戻り、「ちょっとそこまで買い物に行く」と言い残して家を出た。1時間ほどして、駆け込んできた近所の人から息子の突然の死を聞かされたという。

マニラ首都圏カロオカン市リビス・バエサ。トタン屋根、ブロックづくりのデロスサントス家を訪ねたのは8月25日。フィリピンでは葬儀が1週間ほど続くが、その最終日だった。傘が役に立たないほどの土砂降りのなか、テントの張られた路地に多くの高校生や隣人らが集まり、ろうそくやプラカードを掲げて亡き友の冥福を祈っていた。

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キアンさんの死を悼み、正義を求める高校生ら
柴田直治

「Stop the Killings」「キアンに正義を」「貧者を殺すな」「処刑ではなく、リハビリを」

貧しい人たちが多く住むこの一帯には麻薬汚染が広がり、警察の手入れがたびたび行われていた。キアンさんを殺害した警察官3人は、キアンさんが銃を持って抵抗した、麻薬の運び屋だった、などと証言した。しかしサルディさんは「近所の人に聞いてもらえばわかる」と反論した。確かに麻薬との関連をうかがわせる話はなく、「優しい子」と評判だった。同級生の一人は「とてもいいやつだった。友人が病気になったときは着ていたTシャツを売って金を持ってきてくれた」と話した。

検視の結果から、無抵抗のキアンさんが後頭部や耳を撃ち抜かれた可能性が高いとみられている。服から硝煙反応も出ていない。さらに監視カメラには、少年が複数の警官らに引きずられていく様子が映っていた。

8月26日、棺を取り囲んで1000人以上が教会、そして墓地へ向けて行進した。政権の進める麻薬撲滅戦争による超法規的殺人に抗議するプラカードやバナーがたくさん掲げられていた。葬列は、政権発足以来最大の「反戦」デモと化していた。

■一日で32人を殺害

昨年6月にロドリゴ・ドゥテルテ氏がフィリピンの第16代大統領に就任して以来、最重要課題として取り組む麻薬撲滅戦争で多くの死者が出ている。人権団体は12000人と数え、政権でさえ千人単位が死亡していることを認めている。死刑制度がないフィリピンでは、すべてが警察官か自警団、麻薬組織などによる殺人である。

警察は「取り締まりや逮捕を妨害し、抵抗した場合のみ射殺している」と弁明するが、額面通りに受け取る人はまずいない。そうした事例があるにしても、多くは口封じのための殺人とみられる。警察は麻薬取引を摘発しても、わいろを受け取って容疑者を釈放したり、押収した覚せい剤を横流ししたりしてきた。麻薬撲滅を掲げる政権下でそうした悪事が発覚することを恐れて関係者を殺している例が多いのだ。子供や女性らが巻き添えで死亡した事件も報道されてきた。

欧米諸国や人権団体、外国メディアは「超法規的殺人」を強く非難してきたが、フィリピン国内では大きな扱いにはならなかった。支持率8割を誇るドゥテルテ氏の人気に加え、麻薬汚染の深刻さを身近に知る国民が、この間の一定の治安改善を感じてきたことが批判をかき消してきた。

それでもキアンさんの事件をきっかけに「戦争反対」がかつてなく盛り上がっているのは、少年が無抵抗で連行される映像や、出稼ぎ先のサウジアラビアから急遽帰国した母ロレンサさん(43)が「家族のために働いてきたのになんでこんな目に」と泣き叫ぶ様子が繰り返しテレビで放映されたためだろう。主要放送局は中継車を張り付けて連日トップニュースとして扱った。野党を中心に多くの議員が弔問に訪れ、議会で政府の姿勢や警察の対応を追及した。

キアンさんが死亡した前日の8月15日、警察は首都圏に隣接するブラカン州で「戦争」の一環として「one time big time」(一度にたくさんやっつけろ)と称する作戦を展開し、32人を殺害した。これを受けてドゥテルテ大統領は「素晴らしい。この調子でやればこの国の問題は減るだろう」と発言した。これに促されたように、警察は翌日から連日10人単位で「容疑者」を殺害し、数日で100人近くに達した。こんなかの一人がキアンさんだった。

麻薬戦争にからみ、容疑者を撃ち殺した警官らを一貫して擁護してきたドゥテルテ大統領だが、キアンさんの死亡が世間の耳目を集めると一転、実行犯の3警官については「犯罪が証明されたら、刑罰を受けさせる」と姿勢を変えた。

■永遠に続く戦争

キアンさんの事件を受けてメディアに登場する識者らは、「戦争」のあり方を見直し、超法規的殺人を取り締まるべきだと主張した。キアンさんの叔母ジーンさんも「事件がせめて、政府への警鐘になれば」と私に話した。

しかし大統領は「戦争」はやめないと言明している。「半年でけりをつける」と公約して当選したが、それを1年に延ばし、ついで任期いっぱい、さらに最近では「この国は麻薬と永遠に戦いつづけることになる」と言い出す始末だ。

確かにそうだろうと感じる。このまま末端の使用者や売人を殺し続けても、根絶への道は見えない。大統領は、麻薬取引にかかわる自治体の長や政治家、裁判官らが多数存在すると、思わせぶりにリストを掲げたりするが、摘発された例はほとんどない。汚染防止のカギは、麻薬取引と密接にかかわる警察の腐敗と、密輸を見逃す関税当局をいかに浄化するかにあると私は思う。ところが大統領は警察だけではなく、中国からの大量の覚せい剤密輸を阻止できなかった関税局長の更迭を渋り続けた。それどころが地元ダバオの副市長を務める長男が麻薬の密輸に関与していると議員に追及されている(大統領らは強く否定)。

それでも大統領への支持が衰える兆しは感じられない。ひいては最大の公約である「戦争」の継続を支持する勢力も依然多い。大家族が多いフィリピンでは、庶民層の一家に一人や二人、覚せい剤使用者がいてもそう驚くことではない。だいたいは定職をもたない男たちだ。家族の足を引っ張る彼らの存在は家計を支える女たちの大迷惑だが、捨てるわけにもいかない。そうした輩が殺されると、母や恋人こそ悲しんでいても、周りは正直ほっとしている。そうした心情が戦争を支えている。

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超法規的殺人に抗議するプラカードを掲げる参列者ら
柴田直治

■理屈を超えた支持は続くか?

デロスサントス夫妻は昨年の大統領選でドゥテルテ氏に一票を投じたという。あらためて大統領への思いを聞いてみた。彼こそが息子を死に追いやった「戦争」の最高責任者ではないのか。

サルディさんは「悪いのは3人の警官。大統領を恨んではいない。今でも支持している」。ロレンサさんは「大統領に助けてもらいたい」。それは息子を殺した警官らの処罰と、サウジから帰国して苦しくなった暮らしの手助けだという。

埋葬から2日後の28日、夫妻はマラカニアン宮殿にドゥテルテ大統領を訪ねた。こぶしを突き出す大統領得意のポーズをとって一緒に写真に納まった。政府はいち早くこの様子を配信し、DDS(ダイハード・ドゥテルテ・サポータズ)と呼ばれる支持者らはSNSを通じて「(これまでキアン事件で政府を批判した)メディアが偏向していた証」などと書き込んだ。

ドゥテルテ氏が醸しだす反エスタブリシュメントの雰囲気、その家父長的な態度に理屈を超えた共感が国民から寄せられていると私は感じる。

このまま「戦死者」の数は増える一方、麻薬汚染が根絶されることはなく、政権交代後、状況は元に戻る・・・・・・

外れてほしい私の予想である。

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棺の前のデルサントス夫妻
柴田直治