ハフポスト1周年イベント 「女性だからという理由でチャレンジを諦めない」 P&Gジャパン執行役員・石谷桂子さん

ハフィントンポスト日本版は5月27日、働き方や子育てに焦点を当てたトークイベント「未来のつくりかた」を都内で開催。イベントでは、P&Gジャパン執行役員の石谷桂子さんが、「未来のつくりかた--企業はどう多様性活用に取り組むのか P&Gの事例紹介」と題して講演した。
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朝日新聞社

ハフィントンポスト日本版は5月27日、働き方や子育てに焦点を当てたトークイベント「未来のつくりかた」を都内で開催した。イベントでは、P&Gジャパン執行役員の石谷桂子さんが、「未来のつくりかた--企業はどう多様性活用に取り組むのか P&Gの事例紹介」と題して講演した。

石谷さんは会場の人たちに「目の前にチャレンジがあったとき、女性だから、子供がいるからできないと考える前に、どうやったらできるようになるか考え、家族と話し合います」と話しかけた。講演の要旨は次の通り。

私は、いま14歳と11歳になる子供を育てながら、25年間働いてきました。

1990年のバブル絶頂期に東京の大学を卒業し、神戸の本社に入社しました。入社当初は自分のキャリアをどうするのか、深くは考えていませんでした。

そんな私もいろいろなチャレンジを与えていただきました。課長職のブランドマネージャーに昇進し、その1年後に主人と結婚しました。主人も東京の人間で、外資系の広告代理店に勤めていましたが、転勤で関西に来て、そこで知り合って結婚することになりました。

■夫の転勤で別居生活

1年後に転機が訪れました。主人が転勤で東京に帰ることになったのです。当時のP&Gはマーケティング本部が神戸にしかなく、東京にあったのは営業拠点だけでした。(消臭剤の)ファブリーズをブランドマネージャーとして担当していて面白かったこともあり、急に仕事を辞めて付いていくことはせず、とりあえずは別居することになりました。

上司はシンガポール人で、とても親身に相談に乗ってくれました。夫も外資系なので「香港や台湾、韓国、シンガポールあたりに2人で移ればいいじゃない。僕が掛け合うよ」「せっかく外資系にいるんだから海外に出てみたら」と言われ、もう目からウロコが出るほど驚きました。彼がアジアの国をいくつか回ってきた経験があったということもあります。そのときの日本のディレクターにはそういう発想が少なかったと思うんです。

ただ、その時は「海外にチャレンジできる」という自信がなかったことや、仕事が面白かったということもあってお断りをしました。けれども、私にとってのエボックメイキングな出来事で、彼がいなかったら今の私はいなかったかもしれないと思っています。

別居期間は2年でしたが、子供を幸いなことに授かりました。そのときファブリーズを全国に拡販しようという一番忙しい時でした。部下も増え、会社に迷惑を掛けるかもしれないけれど、どう上司に言おうか考えました。上司はシンガポール人から替わったカナダ人男性でしたが、事情を伝えたら、第一声が「コングラッチュレーションズ(おめでとう)」でした。そして、「いつ生まれるの?体は大丈夫なの?」「当然帰ってくるよね」「どういうふうな形で帰ってきたいの?」「どれぐらい休みたいの?」と言われました。

今から思うと、「おめでとう」というのは、上司として絶対に言わなきゃいけないことですね。私は、すぐに担当を外されるのではないかとかとドキドキしていたので、本当にうれしかったです。その時のP&Gのマーケティング部門には、子供を産んで仕事に戻ってくる人がなく、そのロールモデルがなくて私は不安になっていました。

最初の子を1人で何のサポートもなく育てるっていうのは無理だと思い、「とりあえず産休に入らせて下さい」と答えました。「その間に主人の仕事の状況も変わるかもしれないので、また相談に乗ってください」とも言いました。育休は6カ月取ったのですが、幸運だったことに、私が産休と育休に入っている間に、P&G本社がペットフード会社を買収し、その日本支社が東京にあったのです。そのペットフード会社が、マスマーケティングができるある程度シニアの人が欲しいということで私に白羽の矢を立てていただきました。

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ハフィントンポスト日本版1周年記念イベントの聴衆者=5月28日、東京都千代田区、時津剛氏撮影

■育休から復職、東京で家族と生活

復職して、P&Gからの出向社員第1号として東京のその会社に行きました。割と典型的な日本の会社でした。でも、「申し訳ないのですが6時半には絶対帰ります」と最初に伝えると、社長もサポートしてくれました。第二子も授かりました。上司に「産後2カ月で復帰するので、そのまま(ポジションを)空けておいて下さい」と言ったら、「2カ月だったら長い休暇って思えば大丈夫かな。おめでとう」と言われました。

主人の実家の隣に家を持ち、おばあちゃんらにも助けてもらいながら子供2人を育ててきました。するとまた、大きな転機がやってきました。4年間ぐらい東京にいましたが、ディレクターの在任期間は3年から5年ぐらいですが、4年目に上司から「次はどうしたい?」と聞かれました。家族の関係で東京の方がいいというのは分かっていたので聞いたと思うのですが、ディレクターの仕事は東京にはそんなにはなく、神戸だとたくさんあったため、「できれば神戸に来たほうがいいんじゃないのかな」みたいな話をされたんです。

主人とも、いつかはこういうことを聞かれる時が来るだろうと話していましたが、神戸に行くならまた別居生活をしなければいけない。子供は私が連れて行こうと思っていたのです。でも、「どうせ別居しなきゃいけないなら海外へ赴任しよう」と思ったのです。アメリカやシンガポールなら割と自由でサポートを受けやすい。子供にとっても、海外の経験や英語の点で有利だし、私のキャリア的にも大きな組織を動かす勉強をしたいと思いました。

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講演するP&Gジャパン執行役員の石谷桂子さん=5月27日、東京都千代田区、時津剛氏撮影

■アメリカに子供と転勤、7年過ごす

上司は面食らっていたのですが、「家族でそういう結論を出したならサポートしましょう」ということになり、2006年からアメリカP&Gのペットフード部門でグローバルな戦略を担当することになりました。子供を2人連れて主人は日本です。P&Gは、今では若いときから社員を海外経験させていますが、私の時はまだまだで、行かせてもらえるのは千載一遇のチャンスでした。「頑張ろう」と思いました。

アメリカには7年間いましたが、同じベビーシッターさんに手伝ってもらいました。私が出張に行っている際に「預かってあげるわよ」という知り合いのお母さんもできました。主人も年3回は来てアメリカ旅行したりクリスマスなどのイベントを過ごしたり、私も出張で日本に子供を連れて行ったりしました。同じ経験や同じ思い出を作るということを通じて、家族の絆が弱まらなかったと思っています。

日本に帰ってきたのは1年前の4月です。子供たちは日本に帰るのを嫌がったのです。7年も経っていると完全に中身はアメリカ人みたいになっています。日本の学校はちょっと可哀想かなと思い、インターナショナルスクールに2年間だけ入れましょうと言って納得してもらいました。

上司からは「東京からでもいいよ」と言われたのです。7年も日本にいなくて新しい仕事を受ける時に、組織の70パーセントが神戸にあるのにも関わらず「東京」と言うのは体面が立たないと思いました。それで、「週1日は東京で働かせてください、その代わり週4日は神戸に行きます」と言って家族を説得したのです。「じゃあ子供をどうするんだ」という話になり、P&Gのある神戸の六甲アイランドにインターナショナルスクールがあるので、そこに住んでその学校行かせようかなと思ったのです。

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石谷桂子P&Gジャパン執行役員と、ハフポストの長野智子・編集主幹=5月28日、東京都千代田区、時津剛氏撮影

■別居の夫、今度は子供と生活

でも、よくよく考えると出張もあり、14歳と11歳の子供だけを家に置いていくわけにはいかなかった。7年間は私1人で面倒を見たので、今度は主人に見てもらうように言ったら、本当に面食らっていました。「いきなりティーンエイジャー。無理だと思う。あなたの方がいいと思うんだけど」と言われたのです。「いや、今度はちょっとやってみてください。小さくないのでそんなに手間がかからないから大丈夫よ」と言いました。

夫と子供2人の生活が始まりました。私は週4日間、月曜から木曜は独身生活をして、たまには飲みにも行ったりもします。あとの3日間は家族で過ごします。隣のおばあちゃんの力も週1日は借りているのですが、主人も週1日、ごはんを作ります。水曜日は上の娘も作るようになりました。母親がいないなりに協力してやってるようで、本当にうれしいと思っています。

別居生活を推進しているわけでは全くないのです。でも、目の前にチャレンジがあったとき、女性だからできないとか、子供がいるからできないと考える前に、どうやったらできるようになるかと考え、家族と話し合う。結婚した当初に「別居する」なんて言ったら受け入れられなかったと思うのですが、私の仕事に対する情熱や、夫のやりたいことを尊重していくうちに、そういうやり方もあるかなと、やってみて駄目ならもう一回考え直せばいいよという考え方が、家族の中にもついてきました。また、私がそういう選択をしたことによって、「そういうやり方もあるのだな」と社内で思ってもらえて、様々な選択をする人たちが出てきました。よかったと思っています。

皆さまも、これだからできないと決めつけるのではなく、「何ができるか」「家族や自分のキャリアを考えたときに何が一番いい選択なのか」「未来にとっていい選択なのか」を考えていただけたらと思います。

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石谷 桂子(いしたに・けいこ) (P&G ジャパン執行役員・ブランド・オペレーションズ&マーケティング担当) 1990年、P&G宣伝本部に入社。洗濯関連製品、ヘルスケア製品、ファブリーズ日本導入等を担当後、2001年マーケティングディレクターに就任。アイムス・ユーカヌバ等のペットケア製品を担当後、2006年よりアメリカオハイオ州シンシナティ本社に赴任。2012年までペットケア部門のグローバルフランチャイズグループにてブランド・製品戦略を担当。2013年1月に日本に戻り、ブランド・オペレーションズ&マーケティング担当執行役員に就任。

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