国民栄誉賞、どうやって選ぶの?「立ちションできない」と辞退した人も(画像集)

国民栄誉賞は、どんな基準で選ばれるのだろうか。
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9月13日、女子レスリングの伊調馨選手が24例目となる国民栄誉賞を受賞することが決まった。この賞の受賞は2013年のプロ野球の長嶋茂雄、松井秀喜両氏以来だ。この国民栄誉賞、どんな基準で選ばれるのだろうか。

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国民栄誉賞を受賞することが決まった伊調馨氏(中央)と、これまでの受賞者

■王貞治氏が初受賞。内閣の人気取りとの批判も

世界大百科事典・第2版(平凡社)によると、初めて国民栄誉賞を受賞したのはプロ野球・巨人時代の王貞治氏だ。通算最多本塁打が世界記録更新にあと一歩と迫った1977年8月30日の閣議の席上、福田赳夫首相が発案した。王の記録達成の瞬間に初めて適用されることになり、同年9月3日に王に初めて贈られた。

内閣府の公式サイトによると、国民栄誉賞は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えることを目的」としている。表彰の対象は、首相が「表彰することを適当と認めるものに対して行う」と記されている。

ただし、誰が受賞するかは明確な基準がないために批判の対象になりがちだ。「勲章・褒章がわかる事典」(講談社)では、「国民によく知られた人が選ばれる半面、明確な基準が設けられていないために恣意性がぬぐえず、当初から内閣の人気取りとの批判がつきまとっている」と指摘している。

■過去に断った人にはこんな人が

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1976年、MVPに輝いた阪急の福本豊選手(東京・後楽園)

国民栄誉賞を辞退した人もいる。阪急ブレーブスで活躍し、「世界の盗塁王」と呼ばれた福本豊氏は、1983年に当時ルー・ブロックが保持していた世界記録を更新する通算939盗塁を記録。その際、当時の中曽根康弘首相から国民栄誉賞を打診されたが、「そんなんもろたら、立ちションもできへんようになる」と固辞した

またメジャーリーグで活躍中のイチロー選手もマリナーズ時代に、受賞を2回断っている。2001年、日本人選手史上初の首位打者を獲得したことなどで当時の小泉純一郎首相から打診されたが、「まだ若いので、できれば辞退したい」と断った。2004年にも授与が検討されたが、「今の段階で国家から表彰を受けると、モチベーションが低下する」と再度固辞した。

■国民栄誉賞の受賞者一覧

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