文通相手から35年ぶりの手紙。受験生のお兄さんは夢をかなえて天文学者になっていた

天文ファンの少年同士の交流が時を超えて再開。心温まるエピソードが、Twitterで話題になっています。
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望遠鏡で天体観察をする少年のイメージ写真
inhauscreative via Getty Images

文通相手から約35年ぶりに手紙が届いた。当時受験生だったお兄さんは、夢をかなえて天文学者になっていた。宇宙好きの青年たちの時を超えた交流がTwitterで報告された。「このような素敵な人生の物語に巡りあえるとは……」などと、話題になっている。

  

■35年ぶりの手紙を興奮気味に報告。文通相手も名乗り出る

手紙が届いたことを報告したのは、奈良県でソフトウェア開発会社を経営するエンジニアの上田直生さん。12月15日に「今日はとても嬉しい事がありました」と報告した。

1980年代の中学生時代に天文雑誌を通じて文通していたお兄さんから35年以上ぶりに手紙が届いた。上田さんは興奮冷めやらぬ様子で「なんとそのお兄さんは夢を叶えてすごい天文学者になられており、著書を送ってくれました。凄すぎる!!!!それより覚えていてくれてて、とても嬉しい!」と続けた。

翌16日には、文通相手の「お兄さん」もTwitterで名乗り出ることになった。相手は兵庫県立大学天文科学専門員で理学博士の鳴沢真也さんだった。地球外文明を探査する「SETIプロジェクト」の第一人者としても知られ、「ぼくが宇宙人をさがす理由」(旬報社)などの著書も出している。

鳴沢さんは大学受験生だった頃に、雑誌で知り合った中学生の天文少年と文通をしていた。今夏の帰省時に当時の手紙を発見。懐かしくて手紙を出したらコンタクトができたという。「彼も驚き、喜んでくれた。今は3児の父、エンジニアで天体観測も続けているそうだ」と感慨深げに綴っている。

2人の報告にSNS上では「このような素敵な人生の物語に巡りあえるのがTwitterの醍醐味」「双方のツイートを並んで拝見して鳥肌立ちました。素敵過ぎます」「きっと、素敵な文通をされていたからこそ、再び繋がったんですね」と祝福する声が相次いでいる。

 

■手紙が届いた上田さん「以前に本も読んでいたが文通相手とは気づかなかった」

 

約35年ぶりに手紙が届いたエンジニアの上田さんは、ハフポスト日本版の取材に以下のように答えた。 

「鳴沢先生からの手紙は実家に届いたのですが、近いので連絡があった日に封筒を取りに行きました。手紙を読んで感激したテンションのままツイートしてしまいました。手紙を受け取る前に、名前からFacebookで鳴沢先生を探してメッセンジャーで連絡しています。私は天文学者になれなかったのですが、あの時のお兄さんは天文学者になったのか、と大変感激しました。実は鳴沢先生の本も読んだことあったのですが、昔の文通相手とは夢にも思わず、全く気付くことなかったです」

 

■文通相手の鳴沢真也さん「天文を続けていると聞いてすごく嬉しい」

 

一方、天文学者になった文通相手の鳴沢真也さんも、35年ぶりの交流について以下のようにコメントしている。

 

―― 文通をしたきっかけは?

「周囲に天文に興味有る知人がいないので、アマチュア向け天文雑誌の読者のコーナーで募ったら、上田君が手紙をくれました。上田君も当時周囲に天文仲間がいなかったので、意気投合したわけです。当時は、周囲の知人学友が天文のことで勘違いしていることで笑いあったり、ちょうどハレーすい星が接近する頃でしたので、それについても手紙をやり取りしました」

 

―― 約35年ぶりに手紙を出そうと思ったのはなぜ?

「この夏帰省時に、古い書類の整理をしていて、手紙をみつけました。『そういえば、文通していたな。今は、どこで、なにをしているのかな?』と懐かしくなりました。その時に、手紙を書こうと思いました。それで12月に拙著が出るから、その時に本も送って手紙を書こう、と思い、それで今のタイミングとなりました」

 

――手紙はどうやって上田さんに届いたのですか?

「もしかして、今は家族ごと引っ越していて『手紙と本がつくかな?』と不安でしたが、ご実家に送ったら、ご家族が上田さんに連絡をしてくれました。上田さんはfacebookで私を検索してmessengerで私とコンタクトしてくれました。『もしかして子供時代に天文雑誌経由で文通して頂いてたお兄さんでしょうか』『あー! 上田さん! そうです! そうです! コンタクトできて嬉しいです!!』と、なったわけです」

 

―― 久しぶりに文通を再開されてコンタクトが取れて、どのように感じましたか? 

「元気でなにより。3人のパパになっているというので、へー、というか時の流れを感じたというか。今回はじめて知ったのですが、私が過去に出していた拙著も読んでくれていたそうで、うれしいです。当時、上田君は、工作がすきで望遠鏡を自作し、カメラ冷却の電子回路図も描いてました。私は親に買ってもらった望遠鏡で観察するばかりでしたので、いたく関心しました。今回手紙を出す時も『ひょっとして今はエンジニアかなにかになってるかな?』と思ったら、やっぱりでした。『栴檀(せんだん)は双葉より芳し』とは、まさにこのことだ、と思いました。天文も続けているそうで、それを聞いてすごく嬉しいです」