何かを成し遂げるのに、情熱は不可欠です。
たとえば舞台で存在感を出すために情熱が必要です。「失敗したくない」「自分をよく見せたい」といった自意識に打ち勝つために、圧倒的なレッスンと練習が求められます。ここに情熱が必須なのです。
記事で「どれだけ練習をしても根本となる情熱だけは学習することが出来ない」と言いました。では本当に情熱は学習できないのでしょうか?
だとすれば、情熱とは一体どこからやってきたのでしょうか?
そもそも情熱のある人とは?
まず情熱のある人とはどんな人でしょうか?
たとえば部活やスポーツに熱心に取り組んでいる人は、情熱がありそうですよね。毎日の練習に積極的に参加し、厳しいトレーニングにも耐えて試合に向かい努力を重ねる。情熱的という言葉がぴったりです。
他にも、俗にオタクと呼ばれる人にも情熱を感じます。アイドルやゲームなど趣向の違いこそあれ、1つの物事に対して並々ならぬエネルギーを注ぐ姿勢には情熱を感じずにはいられません。
情熱を燃やすに値する「何か」の存在
では、彼らは如何にしてこれほどまでの情熱を持ったのでしょうか?
それは、彼らにとって情熱をぶつけるに値する「何か」に出会ったからですよね。当然ながら、情熱を向けるに値するものでなければ、これほどのエネルギーを注ぐことはなかったでしょう。
つまり情熱を注げる対象に出会っているか?が重要な鍵になりそうです。
しかし現実には「複数の物事に対して情熱を燃やす人」「ひとつに激しい情熱を燃やす人」さらには「何にも情熱を燃やさない人」がいますよね。
これらの違いはどこからくるのでしょうか?
情熱の生まれる場所は「好奇心」
もしかすると、何にも情熱を燃やさない人はまだ、情熱を燃やすに値する「何か」に出会っていないのかもしれません。単に経験が不足しており、情熱を燃やすに値する「何か」に出会うためにもっと年月が必要と考えることもできるでしょう。
しかし年月がいくら経っても、やっぱり情熱を燃やす「何か」が見つからない。多くを見聞きしてもなお、情熱を燃やすほどの「何か」には出会えていないのはなぜでしょう?
実は、情熱を燃やすのも1つのテクニックだと思うんです。情熱を燃やせる人は、ハマりやすい人。言い換えれば上手にハマることが出来る人ではないでしょうか。
何事もはじめは上手くできませんよね。出来ないからといってスグに投げ出してしまったり、小器用にこなして「分かったつもり」になる人は情熱を燃やしにくい。基礎基本すら身に付かずに辞めてしまうのが関の山です。
「なぜ?」「どうして?」「もっと知りたい」と好奇心を持ち続けること。これこそが情熱を燃やすためのテクニックです。
情熱を燃やす「何か」を見つけられない人は、「何か」が目前で通過しているだけ。たとえ同じ出会いであっても、好奇心の乏しい人には情熱を燃やす「何か」が見えていないのです。
まとめ
好奇心を持てる人が情熱を燃やせる人と言えます。
「自分には関係ない、管轄外、ピシャッ!!」では、あなたの前に「何か」が現れても素通りしてしまいます。もう一度、足元から「なぜ?」「どうして?」「もっと知りたい」を探してみてください。好奇心の破片から情熱はやって来るものです。
情熱を注ぐ「何か」は、もしかしたら些細な日常に隠れているのかもしれません。
(2015年3月14日「なわとび1本で何でもできるのだ」より転載)