朴槿恵大統領、あなたは韓国を沈没させる船長なのか

セウォル号の事故は、大韓民国号が今のままでは沈没するかもしれない、絶体絶命の危機に瀕していることを示しています。船長の役割が今まで以上に重要な時です。
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沈んだ船の中に300人以上の若い命が閉じ込められているのに、ただの一人も救助できないまま右往左往しながら、すでに10日も過ぎてしまいました。その間、私たちは、大韓民国という国の恥ずかしい素顔を世界中にさらしました。産業化と民主化を同時に成し遂げ、先進国の入り口に到達したと誇る私たちを、世界は今、鼻で笑い始めたのです。セウォル号の事故から対応に至るまで、常識的に理解できないことが次々と続いているからです。

おととい会ったフランス人の友人は、次々と質問をぶつけてきました。どうして船長と船員が乗客を捨てて、最初に脱出できるのか、どうして学生は船が傾いて沈んでいるのに、じっとしていろと言われて船室の中にいられたのか、どうして白昼に沈んだ船から、ただの一人の命も救えないのか、どうしてあの悲惨な状況で、政府当局者が犠牲者の家族たちと記念写真を撮り、現場でラーメンを食べようなどと思えるのか、どうして国民の安全に最終的な責任を負うべき大統領が、すべてを乗組員のせいにするような発言をできるのか、そしてこんな無責任で無能な政府を率いている大統領の支持率が、どうして70%もあるのか、どうして記者たちは確認もしない内容を報道することができるのか...。

とても恥ずかしくてまともに言い訳もできずにいる間に、その友人は、フランスでは到底想像もできないことだと首を振りました。

フランスでは到底想像もできないというセウォル号の惨事は、しかし今まで私たちの社会に積もり積もった悪弊を思えば、予期されたことだったと言っても過言ではありません。金銭万能主義、政経癒着、いい加減さ、人権軽視、意識の低い公務員、詰め込み教育、信頼できないメディアなど、すべては韓国社会で何度も指摘されてきたことであり、セウォル号の惨事でそのすべてがセットとして一気に噴出してしまったのです。

すでに多くの方々がこれらの問題をさまざまな角度から分析したので、この場では繰り返しません。ただし、「大韓民国号」をあと4年近く率いていかねばならない船長・朴槿恵大統領にいくつか苦言を申し上げたいと思います。今、国民はセウォル号の事故から、同じように沈没しかけている大韓民国号を見ています。そして船長が、果たして大韓民国号の沈没を防ぎ、港までたどり着けるか不安に思っています。

朴大統領は、セウォル号沈没のニュースが伝えられた直後、周囲が止めるのを押し切って救助現場に出向き、一人の命も無駄にしないよう救助に万全を期すべしと命じました。行方不明者の家族は、そんな大統領を信じてひざまずき、最善を尽くしてくれと訴えました。苦しむ国民のそばに近寄って慰めようという大統領の気持ちはとても大事です。

問題は、気持ちだけではだめだということでしょう。朴大統領の指示にもかかわらず、沈没事故後、一人の命も救えませんでした。現場の救助活動や政府の対応は、構造的な難局に陥ってしまいました。大統領が氷のような声で「仕事をしない公務員は厳重に責任を問う」と警告しても、何も変わりませんでした。なぜでしょう? 政府の組織構造が根本的におかしい上、大統領の顔色を伺うことだけに熟達した官僚たちは、自ら判断して動く能力を失っているからです。

問題となった災害対応組織の混乱が、李明博・前大統領の時代に始まったことはよく知られています。「消しゴム政権」と呼ばれるほどに、金大中、盧武鉉政権のすべてを消し去ることに汲々としていた李明博政権は、盧武鉉政権時代に作られた国家安全保障会議事務局を廃止して、2万8千ページの災害管理マニュアルを休止しました。朴槿恵政権では事務局は復活しましたが、災害管理は安全行政省が、軍事・安全保障は大統領府が管轄する二元構造を採用しました。世界のほとんどの国が国家安全保障を、人間の安全保障を含む包括的な概念に拡大している中で、韓国政府がなぜこんな選択をしたのか疑問でしたが、盧武鉉政権当時に危機管理センターの扱いをめぐって大統領府関係者が論争したという話を聞き、推して知ることができました。

盧武鉉政権では、消防安全本部を消防防災庁に改編してすべての災害に対応し、防災システム全体を点検、制御する危機管理センターを置くことにしました。しかし、この危機管理センターをどこに置くかで議論になったそうです。当時の議論に詳しい方によると、大統領府関係者はほとんどが首相傘下に置くべきと主張したそうですが、盧大統領が「国家的危機が発生したとき、国民は最終的な責任を誰に問いますか? 当然大統領でしょう」と、大統領府の国家安全保障会議の傘下に置くことに決めたそうです。大統領府関係者は、災害の責任を大統領が問われないようにしたのに対し、盧大統領は、国家的災害に対するすべての責任を大統領が負うべきと考えていたのです。朴槿恵政権が二元構造を採用したのは、危機の責任から大統領を守ろうという考えから始まったようです。沈没事故で首相が引責辞任を表明したのも、その延長線でしょう。

しかし盧大統領が言ったように、国家的な災難に直面した国民が見つめるのは首相でなく大統領です。また、今回の事故でも確認されたように、官・民・軍の力を総動員しなければならない国家的な災難を、一介の部署レベルで制御するのは難しいことです。すべての情報を管理する大統領府が、組織が正常に機能しているかを確認し、調整する役割を果たすべきなのは当然です。この政権は、国民の生命と安全よりも、大統領の安全を守ることの方が重要だったのではないでしょうか?

もう一つの問題は朴大統領のリーダーシップです。危機管理は、組織とそのメンバーの柔軟性が絶対に必要です。マニュアルは大原則でしかなく、マニュアルだけで対応できる状況はまずありません。ところが政府にはそんな柔軟性がありません。大統領がつまらないことまで指示を出したら、長官や官僚は自らの役割を狭く解釈するしかありません。官僚の機能不全は彼らのモチベーションが欠けているせいもありますが、活動の幅を制約する大統領のリーダーシップも少なからぬ理由です。

セウォル号の事故は、大韓民国号が今のままでは沈没するかもしれない、絶体絶命の危機に瀕していることを示しています。船長の役割が今まで以上に重要な時です。船長は評論家ではなく実行する人です。危機の瞬間に進んで舵を握り、部下を動かし、組織を機能させなければなりません。いくらすべてのメディアが擁護しても、何もしないのに働いているふりをして国民をだませる時期は終わりました。大雨の中でセウォル号の犠牲者を哀悼するために、修学旅行生が大勢犠牲になった高校がある安山市の体育館を訪れた人々や、まだ漆黒の海の中に閉じ込められた家族を待ちわびる人々が望むのは、責任感を持って、国民の血の涙を拭こうと真摯に努力する大統領です。