相対的剥奪と政治―韓国の朴大統領弾劾決議を読み解く

相対的剥奪という社会学の言葉を聞いたことがあるだろうか?1つの代表的な意味は「期待」に対し「実態」が劣るため、人々の不満が生じることを言う。
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相対的剥奪という社会学の言葉を聞いたことがあるだろうか? いくつかの異なる意味で使われるが、1つの代表的な意味は「期待」に対し「実態」が劣るため、人々の不満が生じることを言う。

社会的機会がより広く開かれると、なぜか人々の社会への不満が高まる。これは19世紀のフランスの政治思想家アレクシ・ド・トックヴィルの観察によるパラドックスだが、これを説明するフランスの社会学者レイモン・ブードンによる理論が重要だ。彼の理論の概略は以下である。

社会的機会がより平等になり、個々人の自己投資(典型的には教育投資)が社会的チャンスを増すという状態が生まれると、自己投資をする人の割合の伸びが、実際にチャンスを生かせる人の割合の伸びより上回ることが多く、その結果自己投資をしたにもかかわらず、投資を生かせない人々が多数生まれるため、社会的不満度の高い人々が増える、と。

ブードン理論を実現してしまった韓国

韓国社会(注1)は、まさにこのブードン理論を、絵に書いたように実現してしまった。

日本よりやや遅れて、1965年半ばに始まりOECD加入の1996年ぐらいまでに高度経済成長を経験した韓国は、大学進学率では日本や米国を抜き、現在大卒率は世界でトップになった。

だが労働市場でそれに見合う職が同等に増えたわけでは全くなく、結果として大卒者の就職率では逆にOECD諸国中最低の国となった。

つまり、教育投資はするがそれに見合う職が得られない度合いの高さにおいて、韓国は先進国中最も高い国となったのである。当然この相対的剥奪により若い世代の社会的不満は大きい。

それに輪をかけて韓国の若者の不満を高めているのが韓国企業の古い体質である。チェボルと呼ばれる韓国財閥企業は、日本の大企業と異なり、未だ創業者一族の力が非常に強い存在である。高等教育の普及とうらはらに、就職にいまだコネが強く利くのも特徴だ。

「労働貴族」ともいわれるが、財閥企業が自社の正規雇用者の子女を優先雇用する慣行も社会経済的地位の世襲化を生み、生まれで社会的チャンスが決まることを揶揄する流行語の「金のさじ」と「土のさじ」の区別も、こうした韓国社会への若者の批判の産物である。当然、エリートの傲慢さや、社会的機会の不平等に対する国民の怒りは強い。

朴槿恵(パク・クネ)大統領を影で操ったと批判された崔順実(チェ・スンシル)氏の娘の「梨花女子大学不正入学」問題も、そのコンテクストで理解する必要がある。

日本のお茶の水女子大学と比較される有名女子大の梨花大だが、実は私立大学である。私立大学が、寄付の多い卒業生の子女の入学優先度を上げたり、さまざまな特別枠により入学許可することなどは米国私立大学でもやっている(ただし差別は禁止、また入学させても成績が悪ければ卒業させない)。

入学の機会に多少の不公平が仮にあっても、それによる利益が大学の教育・研究の向上に役立つなら、不当ではないと考えられるからである。

上記の梨花大問題も、そのような「特別枠」だったのならば、「不正入学」として総長が辞任へ追い込まれたばかりか、その後逮捕・起訴されたことは明らかに行きすぎであろう。

これも崔順実氏の娘のブログでの「お前たちの両親を恨め」「金も実力のうちだ」などの暴言が火に油を注いだ結果でもあった。「ナッツ姫」同様、エリートの傲慢さが庶民の怒りをかったからだ。

彼女を、そして彼女を「不正入学させた」とする大学人を、学生や世論が許さず検察を突き上げた形だ。だが梨花大前総長らが刑事罰に値する不正な行為をなしたかは疑わしく、人権侵害となっている恐れも多分にある。

今回の朴槿恵大統領の弾劾も、崔順実氏の国政関与については、それが国政を捻じ曲げ、国民にとってマイナスとなるような、朴氏の背任行為があったのかどうかは明確でないまま、関与させたことのみで国民主権侵害とされたように思える。

重大な国家機密を漏らしたのでもなければ、大統領が「友人」と政策の話をしていたぐらいで弾劾は行き過ぎであろう。もう1つの収賄など刑法違反については、未だ贈賄側の罪も確定していない。だから憲法裁判所の弾劾裁定について保守派が国民の声をバックに法治国家を逸脱した決定をした、として批判したことにはそれなりの理由がある。

ただ、今回の決定には朴政権期間中に韓国知識人層に急速に浸透した考えが影響していると考えられる。それは、韓国は自ら民主化を勝ち取り「理想の民主主義制度を作った」と自認していたが、それは間違いであったのではないかという危惧である。

特に強い大統領権限は民主主義を危うくするのではないか、と。米国トランプ政権とその大統領令の乱発も彼らの意識には自らの制度の欠陥と重なって見えたであろう。

だから朴氏が検察の取り調べに対し、大統領特権で一切応じないという選択をしたとき、憲法裁判所は、「現在の不十分な民主主義制度」の是正の立場に立つか、是認の立場に立つかの選択をしなければならなかった。まさに超法規的決定である。

結果は「是正」の選択だったが、いずれの選択にせよ韓国には痛みを伴う決断であり、内政問題なので、その評価は韓国国民にゆだねたい。

相対的剥奪をもたらさずに、社会に活力を生む政治を

だが筆者は、こういった韓国知識人層との思惑とは別に、8割を超えるといわれた国民の朴大統領弾劾支持の背景を問題にしたい。なぜ朴政権批判はこんなにも高まったのか? 実はこれも先に述べた相対的剥奪の結果であったと考える。

政府も与党もマスコミも、政権成立以降朴槿恵氏の虚像を作ってきた。彼女は周りの人の意見を聞かず自分で物事を決める「不通」の人であることはよく知られていたが、朴氏は両親を暗殺されながらも、人に頼らず自らの信念で国のために献身しようとする「孤高の公主様(姫君)」として描かれてきた。

当然国民の期待と尊敬を一身に集める存在となる。それが今回の崔順実問題で、一転して「あやしげな新興宗教女性に操られる、頼りない女性」という「実態」が浮かび上がった。

高められた期待と、「実態」とのあまりの大きなギャップ。それに国民はだまされたと強い怒りを感じ、それが支持率の急落、そして彼女のさまざまな失態とあいまって、弾劾要求にまで突き進んだのだ。だが法には違反しないが真に罪深いのは虚像を作り、それにより政治を有利に進めようとした人々である。

これは日本にとっても単なる他山の石ではない。鳩山元総理は、実行可能性を詰めずに沖縄の基地県外移転を約束し、沖縄県民の期待を高まらせた結果、問題を大きくこじらせてしまった。

環境問題でも、実現可能性を無視して、国際的に高い達成目標を発表し、結局空約束となりこの問題についての日本の国際的信用を貶めた。これも「期待」を高めて、実態との差を大きくし、人々の不満を高めた結果となった例である。

国民の期待というのは諸刃の剣となりうる。国民の期待を生まない政治は社会に活力を生まない。一方、期待のみを高め、実現が伴わない政治は、相対的剥奪を強め、国民の不信不満を生む。ポピュリスト政治が結局失敗するのは後者のせいである。

日本は今逆に若者が夢を抱けず政治・社会への期待感を低め、相対的剥奪も少ないが活力も失う結果になっているように思える。国民の多くが実現可能な夢を抱くことができ、またその多くが実際にその夢を実現できる結果、社会的活力がある一方、相対的剥奪が少なく政治への不信・不満も少ない。そういう社会を生み出すことを、政治はまず心がけるべきであろう。

脚注

1. 字数の関係で、韓国に関する用語の説明は省略した。「ナッツ姫」「金のさじと土のさじ」「労働貴族」「公主」などについては、ネットに説明が見つかるので参照いただきたい。