暴徒化抗議デモ「黄色いベスト運動」でマクロン政権「危機直面」--渡邊啓貴

多くの国民に「暴力はよくない」という思いと同時に、マクロン政権に対する不満を共有する気持ちがある。
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GEOFFROY VAN DER HASSELT via Getty Images

【パリ発】 12月2日朝、エマニュエル・マクロン大統領は、主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)が開催されていたアルゼンチンのブエノスアイレスから急遽帰国、そのまま凱旋門広場を訪問した。凱旋門広場はシャンゼリゼ通りを上りきった広場で、無名戦士の墓があり、国民的記念日には追悼の炎がともされる。

 その前日の土曜日(1日)、パリで「黄色いベスト運動」の抗議運動が暴徒化し、シャンゼリゼ付近を中心に警察・治安部隊と衝突したからである。店舗や銀行の玄関、ガラスが割られ、凱旋門にも落書きがされ、信号機や街灯が破壊され、たくさんの自動車が路上で放火され炎上した。略奪も起きたという。680人以上が拘束され、260人以上が負傷、そのうち20人以上が治安当局の負傷者だった。南仏ではデモの巻き込まれた死者が出ており、この抗議運動が始まったから3人目の犠牲者となった。治安部隊はこの日4000人動員された。たまたま出張でパリに滞在していた筆者も、この光景を眼前にして衝撃を受けた。

 軽油・ガソリン燃料費値上げや燃料税の引き上げに抗議するため、蛍光色の安全ベストを着た市民らによる「黄色いベスト運動」のデモは、11月以来3回目だ。最初の11月初旬のデモでは全国で40万人が参加した。先週末のデモは16万6000人、今回は13万6000人で最も動員数は少ないが、もっとも激しい抗議行動となった。

 土曜日のデモは暴徒の大団円となった。シャンゼリゼと凱旋門付近で暴徒の蛮行が吹き荒れた。高級住宅街として知られるクレベール通りでは特に被害が大きく、無関係の住宅での火災も発生し、治安当局は投石や暴力をふるうデモ隊に防戦を強いられた。美術館では作品が破壊され、みやげ物店などでは盗難も多発した。

 ミシェル・デルぺッシュ・パリ警視庁長官は、「予想外の大きな暴力沙汰だ。この数十年来ない規模」、と事態の深刻さを吐露した。マクロン大統領は「暴力は絶対に受け入れられない」「暴力犯罪者たちはカオスを望んでいるのだ」と激しい口調で述べた。

 エドゥアール・フィリップ首相はポーランドでの「気候変動枠組条約締約国会議(COP)」の会合をキャンセル、マクロン大統領とともに週末はパリにいることを印象付けた。国家の一大事に国家元首が不在にすることは事態の深刻さを認識していないことを印象付ける。ともかくそれは回避した形だ。

 かつて1968年「5月革命」とも言われた青年・学生と労働組合の反政府抗議行動がやはり暴動化したときに、当時のシャルル・ドゴール大統領は外遊中で、ジョルジュ・ポンピドー首相もルーマニアへ外遊に出かけていた。その際、ドゴールは「子供の火遊び」と軽くあしらおうとしたが、その姿勢が反政府行動の火に油を注ぐ結果となり、直後の総選挙では勝ったが、翌年の国民投票で敗北し、退陣を早めた事件となった。その経験からの緊急対応だった。

定着した「エリート側の大統領」イメージ

 しかし日曜日の朝、メディアで映像が流されたマクロン大統領のパリ緊急帰国は、決して成功したとは言えず、人心を取り戻すまでにはいたらなかった。

 治安部隊とデモ隊が激しく衝突した凱旋門近くのクレベール通りでは日曜朝に治安部隊が整列し、マクロン大統領を迎えた。マクロン大統領は丁寧な姿勢で治安部隊員に慰労と労いの言葉をかけていたが、そのとき周囲を取り巻き、この「政治的セレモニー」を傍観していた市民たちの間から、誰からともなく「マクロン退陣」という声が上がった。連鎖的に声はあちこちで大きくなり、マクロン大統領もこのセレモニーを早々に切り上げなければならなかった。

 左翼でも右翼でもなく、これまでの既成大政党の政権でもないことで、人心を刷新し、国民に期待を持たせたマクロン大統領だったが、多くの国民が「裏切られた」と感じていることを象徴する出来事だった。

 ニコル・ベルベ法務大臣は、解決には「緊急事態宣言しかない。しかしその段階にきているとははっきり言えない」と言葉を濁しつつ、危機感を募らせる。クリストフ・カスタネール内務大臣も、緊急事態宣言の可能性を示唆した。早期の緊急対応が必要なことは確かだ。マクロン大統領は、日程は未定だが、議会でのデモ抗議者たちとの面談を約束した。

 今回の暴動の背景にある国民の不満は、燃料価格高騰と燃料税引き上げが口火となったが、EU(欧州連合)財政基準で緊縮財政を強いられた国民の不満だと言えよう。中産階層の没落、貧富の格差はフランスでもよく指摘される。

 デモ参加者が、購買力の低下を声高に叫ぶ背景はそこにある。今春の国鉄の民営化に対する鉄道組合抗議ストは政権への大きな打撃とはならなかったが、法人税引き下げの一方で社会保障費の軽減、解雇時の企業の罰金上限制定などは富裕者びいきの政策と受け取られている。今回の暴動は、次第に国民感情も限界に近づいていることを示した形となった。金持ち大統領、エリート側の大統領としてのイメージは定着した。

77%の国民が運動を支持

 日曜日の朝、シャンゼリゼ近くで店のガラス窓を破壊された店主は、「週末あわてて戻ってきた」とこぼしたが、抗議デモの過熱化にはあまり触れなかった。

 多くの国民に暴力はよくないという思いと同時に、マクロン政権の現状に対する不満を共有する気持ちがある。マクロン大統領に対する支持率は、11月には20%台にまで低下した。最も人気のなかったフランソワ・オランド大統領(2012年5月~2017年5月)でさえも、これほど早く30%をきったわけではなかった。77%の国民が「黄色いベスト」の運動を支持するという調査データもある。

 また、デモ参加者の大部分が30~40歳代と労働中堅層が多く、彼らの不満が大きいことは明らかだ。知り合いのソルボンヌ大学の教授も、「学生の一部が騒ぎ始めている。来週は授業に支障が出るかもしれない」と筆者に伝えてきた。

「黄色いベスト運動」の人たちは、左右どちらでもなく特定の政治集団などに率いられた人たちではない。ばらばらの階層や職業の人たちである。しかもパリだけではなく、デモは全国に広がっている。この運動のインターネットサイト『怒るフランス』へのアクセスは、日増しに増えている。

 マクロン政権の危機、そう言ってよい。(渡邊 啓貴)

渡邊啓貴 東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。1954年生れ。パリ第一大学大学院博士課程修了、パリ高等研究大学院・リヨン高等師範大学校客員教授、シグール研究センター(ジョージ・ワシントン大学)客員研究員、在仏日本大使館広報文化担当公使(2008-10)を経て現在に至る。著書に『ミッテラン時代のフランス』(芦書房)、『フランス現代史』(中公新書)、『ポスト帝国』(駿河台出版社)、『米欧同盟の協調と対立』『ヨーロッパ国際関係史』(ともに有斐閣)『シャルル・ドゴ-ル』(慶應義塾大学出版会)『フランス文化外交戦略に学ぶ』(大修館書店)『現代フランス 「栄光の時代」の終焉 欧州への活路』(岩波書店)など。最新刊に『アメリカとヨーロッパ-揺れる同盟の80年』(中公新書)がある。

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(2018年12月3日
より転載)