10月11日、南米ブラジル、世界最大のアマゾン川流域の都市マナウスで、ITU(国際トライアスロン連合)主催のパラトライアスロンのレースが行なわれ、日本から佐藤圭一(35歳・エイベックス所属)が出場した。結果はクラスPT4出場選手15人中3位だった。
気温は34度、水温26度。多くの脱落者がでるような炎天下でのレースだった。
ーーマナウス行きを決めた理由は?
「南米に行ける、リオパラリンピックのポイント対象のレースでポイントを稼げる、また何より、エドモントンでは出場できなかったパラエリートのレースで、今の自分がどこまで通用するのか試せるシーズン最後のチャンスだった。また、2016年のパラリンピック開催国ブラジルの国内強化具合を肌で感じられる良い機会になるに違いないと思ったから」
佐藤は、左腕欠損の選手として2010年バンクーバーパラリンピックからクロスカントリースキー、バイアスロンに日本代表として2大会連続出場。スキーのトレーニングで鍛えた体力を生かして、今年5月はじめてトライアスロンの選手としてITU世界トライアスロンシリーズ横浜大会に出場した。デビューしたてだが、国内大会のうち得意のアップダウンのあるコースで、ついにライバルでベテラン・古畑俊男を抜いて優勝した。
「マナウスのコースは比較的フラットだった。ただスイムからバイクへのトランジッションが250mの坂(100mの砂浜と150mの石畳)を登るようになっていて、一番のポイントになると思った。先月、エドモントンでのグランドファイナルで世界トップの状況はわかっていた。今の自分の実力では歯が立たないだろうと現実を受け入れ、自分のレースに集中することにしてのぞんだ。
不得意なスイムは様子を見ながらスタート、体力を使わず、新調したオーダーメイドのウェットスーツをレースで試す計画だった。暑いのでノーウェットの選手もいたけど、自分はウェット着用。スイムではダントツのマルセル・コレット(Marcelo Collet/ブラジル)を目標に、優勝したクリス・フロスト(Chris Frost/イギリス)についた。後半クリスより先にスイムを終えることができた。
登り坂250mのトランジッションは、思った以上に気温が高い上、ウェットスーツで駆け上がり心拍数が上がった。結果、クリスとほぼ同時にバイクスタート。この時点で、カラダにいつものキレがない事を感じたのと、ヨーロッパ勢のバイクの強さも頭にあり、クリスが見える位置を保ってバイクを終えられれば良しと割りきって漕いだ。
ランの頃にはすでに暑さにやられていた。脚の痙攣を抑えながら、走り切れるのかどうかの瀬戸際だった。後ろから追ってくる選手に拾われないよう必死で逃げ切り、フィニッシュした」
タイムは2位のマルセルより17秒遅い1時間10分27秒だった。出発前に十分な準備がなく、トレーニングも思うようにできなかった。2日間のフライトで疲れたうえ、大事な自転車がロストバゲージで一日遅れて到着した。現地ではポルトガル語が主流で、突然のスケジュール変更もたびたびあったという。アマゾンの雄大な眺めとは裏腹にかなり心細かったようだ。
幸運なことは、日系ブラジル人の夫婦が佐藤のサポートボランティアをしてくれたことだった。以前に佐藤はスキーでも世界トップのロシアやウクライナ代表の練習に混ぜてもらうなど、見知らぬ環境の中で必要な情報を得て力にすることに長けていた。そうした世渡りを心得ていた佐藤だからこそ、ブラジルでの大会に挑戦したのだろうと思われる。
「レース内容は悪く、悪条件の中だったが、独りで遠征できたことがとても良い経験になった。また、リオ前に露店や外で売られている食べ物は口にしない、ロストバゲージが届くのに2日以上かかる場合があるというブラジル事情を知ることができた事は、大きい」
表彰後には、ブラジル選手だけの年間表彰式を開催し、選手の競技への意欲高揚が図られていた。
地元開催で多くの選手が出場したブラジルでは、強化対策も抜かりなくしっかりしていた。刺激的状況を目の当たりにした。
「日本はいまだTRIカテゴリー制(旧カテゴリーで世界ではレースがなくなりつつある)で、国内大会もパラカテゴリーがあったりなかったりという状況。完全に世界から遅れている。
一方ブラジルは、監督、コーチともに必ず同じメンバーの帯同者がいて、チーム体制が整っている。ヨーロッパ勢に負けないサポート体勢で、選手はレースに集中できているようだった。日本のように生温くはなく、厳しい環境をもつブラジルでは、まだまだ新しい、強い選手も出てくるだろう。今回はヨーロッパ勢の参加が少ない中だったので、3位になれたが、世界のベストメンバーなら入賞すらできていなかった」と素直に振り返る。
結果よりも、ブラジルに来て、現地を自分の肌で感じ、レースを経験できた事は何より佐藤の励みになっているようだ。