本人のセクシュアリティを第三者に暴露する「アウティング」を理由に、当時25歳のゲイの一橋大学院生が転落死してしまったのが2015年の8月。
翌年に遺族が起こした裁判報道をきっかけに、アウティングの危険性は広く知られることとなった。
事件からもうすぐ3年を迎えようとしている。先日、アウティングをしてしまった同級生とは「和解」という形で裁判が終結したが、もう一方の相手である大学との裁判は継続中だ。
責任を認めず、問題をうやむやにしようする一橋大学。裁判の争点はどこになるのか、遺族は何を望んでいるのか。今日、明治大学で一橋大学アウティング事件裁判の報告会が行われた。
大学の対応は適切だったのか
事件の経緯や裁判については、以下いくつかの報道にまとめられている。
本件の原告代理人の南弁護士は「(亡くなったAさんに対する)大学の対応が適切だったのか、Aさんがどんどん追い詰められていることになぜ気づくことができなかったのか」が裁判の争点となるという。
Aさんはアウティングをされて以降、ロースクールの担当教授、ハラスメント相談室、大学の保健センターの3箇所に相談をしている。
アウティングをされてから自死してしまうまでの約2ヶ月間「まともな対応はされていませんでした」。
Aさんがハラスメント相談室に相談した際、専門相談員は「ハラスメントというよりも学生委員会での対応が良い」と業務報告をしている。つまり、この件はハラスメントにはあたらないという見解だ。また、相談員はAさんに「あなた自身が自分のことを堂々とすれば傷つかなくなるよ」とアドバイスしたという記録がある。
また、保健センターに相談した際は「性同一性障害の医療支援をしているクリニックへの受診を進められた」という。
そしてロースクールの教授は、Aさんからの相談を受けて、メールでAさんとアウティングをしてしまった同級生、両者の話を聞いたが「人間関係のトラブル」として特に何も対応をしなかった。
さらに、Aさんが自死して以降、大学から遺族に対する最初の説明は「ショックなお知らせがあります、息子さんは同性愛者でした」という言葉だったそうだ。しかも、遺族が大学側の対応がどのようなものだったか聞いても一切答えられず、同級生にも遺族と会うことを止められ、情報を遮断されていたという。
まとめると、大学側はセクシュアリティについての適切な情報は持っておらず、アウティングの危険性も把握していなかった。それにより、今回の事件を単なる人間関係のトラブルと位置付け、SOSを求めたAさんをむしろ追い詰めてしまった。さらには、遺族に対して説明責任を果たさず、責任を転嫁し、事実を隠蔽しようとしていると捉えられてもおかしくない。
自身もゲイであることをオープンにし、アウティングされた経験を持つという明治大学の鈴木教授は「一橋大学の掲げるポリシーの中に『豊かな人権感覚を有する法律家の育成』とあります。教育をしている側にこの感覚が果たしてあるのか、これは非常に皮肉だと思います」と話す。
どんな形で終わっても、兄は戻ってきません
報告会では、原告であるAさんの遺族からビデオメッセージが放映された。
Aさんの母親は「6月、7月はフラッシュバックで体調が悪くなりますが、これも息子が生きた証だと思います」と話す。
Aさんの妹は「被告学生や一橋大学の対応には何度も涙をながし、心が壊れる思いでした」と話す。
「和解でも戦いでも正直複雑です。どんな形で終わっても、兄は戻ってきません。でも、戻ってこなくても兄が残した『弁護士になって人を助けたかった』という思いを引き継いで、兄が生きた証を残していこうと思います。
被告大学は、あれから社会はどう変わったか、大学のある国立市がなぜ動いたのか、他の他大学がなぜ動いたのかを考えていただけなければならないと思います」。
彼は私でした
Aさんと同じ一橋大学の卒業生で、自身もゲイであることを公表しNPO法人の代表をつとめる松中権さんが登壇。
「考えれば考えるほど胸が苦しくなって、悲しさと怒りがグチャっと混ざったような感情が喉につかえて、苦しくなります」。
「一橋法学部でゲイ、それだけでなく(LINEでアウティングをされたやりとりを見て)状況のすべてが、私でした。過呼吸で吐きそうにながらパソコンに向かっていました」。
松中さんはゲイであることを隠して一橋大学での4年間を過ごした。大学4年の頃、周りが就職活動をしている中、わらをも掴む思いで、逃げるようにオーストラリアに留学した。
そこでの経験をきっかけに卒業後電通に入社、その後カミングアウトして働けるようになった。
「本当に自分はラッキーだな。周りの人にも恵まれて」そう思いながら、LGBTについてポジティブに伝える活動と仕事とを二足のわらじで続けていた矢先、このニュースを知り「(自分の中の)愚かさに、その薄っぺらさに、その自己中心的な発想に、落胆しました」。
人権を主張すること、それを守る制度を求めること
この事件をきっかけに、自分の中にある一つの感情に向きあうことになった。
それは、「人権を主張すること、それを守る制度を求めること」。
これまでは、そういった主張に対して、どこか「かっこ悪い」「そんなことをしたら、理解を広げるどころか、壁を作られてしまう」と思い逃げてきたという。
「どこかカッコ悪いなんて言ってられないのです。大切な大切な、いろんな将来の可能性を抱えた、ひとりの若者の命が失われたのです。
そして、彼は私、だったかもしれないし、彼は明日の私かもしれない。彼は私の大切な誰かかもしれないし、彼は誰かにとっての大切な誰かかもしれない。彼は自分の人生を自分らしく生きたいと願う全ての人なのです」
松中さんは、どんな人であろうと、性的指向や性自認によって差別をしてはいけないという法制度を整えていくべきだと考える。
「理解を広げることで安心した場所をつくることと同時に、何かがあった時に頼れる、そんな何かを事前に食い止められる、安全な場所であることも大切です。安心と安全の両輪が必要なのです」
自分は偶然生きられているだけかもしれない
同じLGBTの当事者に対しても「もし、自分はラッキーだな、色々あるけど幸せに生きられているし、と思っている方がいらしたら、それは、ただただ、自分の周りの小さな社会にいる人たちのおかげで、偶然生きられているだけかもしれない、と、考えてみる時間を持ってもらえると嬉しいです。
当事者の方々だけではありません。たまたま、自分の身近な大切な人たちが、偶然幸せに生きていられるだけ、幸せに生きているように見えているだけかもしれないと。
社会は勝手には変化しません。変えたいと願う人の、小さな勇気と行動が集まって変わっていくものです」。
「ひとつの大切な命が失われました。もう二度と、繰り返してはなりません。私たちの時代で、終わりにしましょう」
大学に求めること
一橋大学アウティング事件の、大学の対応と責任の所在についてを問う証人尋問は、東京地裁で7月25日(水)午前10時から行われる。
筆者自身、自分と同世代のゲイの当事者がアウティングによって命を落としたというニュースを見て、暑い夏の夜だったにもかかわらず寒気がしたことを今でも鮮明に覚えている。
Aさんがアウティングされて自死に至るまでの2ヶ月をどんな思いで過ごしたかは誰にもわからない。ただ、その間に何か一つでも、Aさんの命を繋ぎ止めるためにできたことはあったのではないか。そう思うとやりきれない気持ちになる。
どんな結果になってもAさんは戻ってこない。しかし、少なくともAさんを追い詰めてしまった大学がその責任を真摯に認め、それに対する謝罪や経緯の説明を、遺族や大学関係者に共有すること。そして、再発防止策を講じることをAさんと同じ当事者のひとりとして求めたい。
(2018年7月16日fairより転載)