「萌えおこし」と「オタフォビア」の間

この問題に限らず、碧志摩メグ公認撤回論を主張される方も、そして何より志摩市の担当部署の方々も、ぜひ冷静に議論してほしい。
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「碧志摩メグ」というキャラクターが一部で話題になっている。三重県志摩市が地域振興のために作った公認キャラクターで、海女という設定だ。

志摩市の海女は、少なくとも今では漁業従事者としてというより観光客向けのサービスとしての位置づけの方が大きいだろう。このキャラクターは、そうした観光需要を喚起するためのご当地キャラということになる。いわゆる「萌えおこし」、つまり萌えキャラで地域おこしというわけだ。

ところが、このキャラクターに対して、海女文化を侮辱するなどの理由で、批判の声が上がっている。

「ロリコン、性差別」「海の文化バカにするな」サミット開催地・志摩で海女の萌えキャラ大炎上」(Yahoo!ニュース個人 木村正人 2015年8月26日)

来年、伊勢志摩サミット(主要国首脳会議) が開催される三重県志摩市公認の海女の萌えキャラ「碧志摩(あおしま)メグ」が、「胸や太ももを強調しすぎ」「海で生きてきた海女の伝統と文化をバカにしている」と大論争を呼んでいる。

デザインは一見してわかる通りアニメキャラ風であり、体形や肌の露出などが批判の対象となっている。これに対して、表現の自由などの理由でこれを保護すべきという反対論も出ている。この種の問題で賛否が分かれた場合、折り合うことはあまりない。相手の言い分に耳を傾けることは少なく、どう転んでも相手を批判(ときには罵倒)することばばかりが残る。こうなってしまうのは、どちらの立場も「正義」を背負っていると考えているからで、少し引いて考えてみる方がよいと思う。

というわけで、ひとくさり考えてみる。いつも「文章が長い」と批判されるので結論部分を先に書いておくと、「地元の方々がよく話し合って決めるべき。ただしあくまで冷静に、相手の立場や考え方を十分尊重して」ということだ。

このキャラクターが市の公認になったのは2014年10月、翌15年春ごろから抗議のメールや文書が届き始めた、という。

三重県志摩市の海女「萌えキャラ」は女性蔑視 「サミット」開催時に海外首脳に見せられない??」(J-Castニュース2015年8月7日)

母親が海女だというある女性は、若い女性の体だけをアピールしているようなもので、子供に見せられないし、海女という職業や文化の誤解につながる、と主張した。「伊勢志摩サミット」を控えているのに各国首脳にこんなキャラがあるのを知られるのは恥ずかしい、といった抗議を繰り返し、15年6月末から母親と一緒に発起人となり公認から外すための署名活動を始めた。

ここでいう「署名活動」かどうかはわからないが、この件に関しては、Change.org上で署名運動が行われている。

これに対して、反対運動への反対の署名も行われている。全部調べたわけじゃないのであくまで見つけた範囲ということだが、たとえば表現の自由の観点から反対の署名を集めているのがこれだ。

どちらの言い分もさもありなんという感じではある。わかる部分もあるがそうでない部分もあるということだ。撤回論の根幹部分は、いわゆる萌えキャラをわざわざ市の公認にすることはないのではないか、ということだろう。「海女」は昔の「海女もの」映画を見ればわかるように、かねてから性的な視線で見られる部分があった。だからこそ許せない、という要素もあるだろう。

とはいえ、あの絵柄が「胸や太ももを強調しすぎ」とは正直思えない。あの種の絵柄を見慣れている者とそうでない者との間で意見がちがうのはやむを得ないことだとは思うが、少なくとも「海で生きてきた海女の伝統と文化をバカにしている」とか「各国首脳にこんなキャラがあるのを知られるのは恥ずかしい」とかいうのは少し言い過ぎのように思われる。萌えキャラは日本文化の中心ではないだろうがまぎれもなくその一部であり、日本社会に広く受け入れられている。文化的価値が低いと主張するなら、かつて浮世絵もそう考えられていた、と付言しておこう。それは時代によって変わるものだし、そもそも人によってちがうのだ。

この署名運動の提唱者は、このキャラクターが女性を性的関心の対象にする表現であると主張している。その背景に、こうした絵柄自体に対する嫌悪感があるのは否定できまい。しかし、実際のところ、こうした表現が女性全般に嫌われているかというと、どうもそうではないっぽい。もちろん作品やキャラクター、あるいは展開のやり方によってもちがうだろうが、たとえば「けいおん!」や「ラブライブ!」などではファンの男女比は半々に近いとする調査結果がある。こうした絵柄を「かわいい」と思う女性も少なくないだろう。

その点では、表現の自由を掲げる擁護論には一理ある。人の好みは多様であり、各人が自らの嫌いな表現を排除せよと主張し、それをすべて受け入れていけば、やがてあらゆる表現が抑圧されることになる。だからこそ、自らの自由を守るためには、自分の嫌いな表現をこそ守る必要があるということだ。

いまは必ずしもそうでもないが、「オタク」ということばはかつて、明確に差別用語だった。特に1989年の連続幼女殺人事件のあとしばらくは、マンガやアニメ、ゲームなどのファン全般が犯罪者予備軍であるかのような言説がメディアでも繰り返し流され、その影響は今でも残っている。

一方で、萌えキャラのような表現が、次第に社会に許容されつつあるのも事実だ。それは近年の児童書の挿絵をみても、若年層女性のファッションを見てもわかる。実際の海女の服装と違う点は別として(個人的には実際の海女の服装そのままの方がいいと思うが)、碧志摩メグのデザインが「胸や太ももを強調しすぎ」というのは、社会に広く流布するこの種の表現を見渡せば、あまり適切な指摘とは思えない。

とはいえ、それを市の公認キャラクターというかたちで行わなければならないのか、というと、そういうことでもないだろう。今回、現役の海女たちからも反対の声が上がっていると聞くが、このキャラクターを公認とする際、事前に聞いたりはしたのだろうか。苦情が寄せられた際、真剣にその声に耳を傾けなかったとも報じられているが、どのようなやりとりがあったのだろうか。

「コンテンツツーリズム」は近年多くの自治体の関心の対象となっており、事例や学術研究の集積が進んでいる。自治体の中で、萌えキャラを公認キャラクターとして採用している例も少なからずある。Wikipediaにはいくつかの例が載っているが、他にもいろいろあるだろう。これらがすべて、そのようなていねいなプロセスで採用されたものということはなかろうが、だからといって、実際に摩擦が生じた今回のケースで同様にしておけばいいというものでもない。昔の海女映画を苦々しく思っていた方もいるだろうし、そもそも行政が公認する以上、住民の総意を反映したものであるべきなのは当然だろう。

その意味で、今回のケースは、反対派が署名運動に至る前によく話し合うべきだったのではないかと思う。行政側は、萌えキャラを活用しようと考えた経緯や萌えキャラの効果などについてもっと説明する責任がある。たとえば京都の地下鉄キャラクター「太秦萌」は、京都市交通局の「公認」だが、最近ライトノベル化が発表されるなど、定着をみせている。そのうち「聖地巡礼」のような流れも出てくるかもしれない。すべてがこうなるとは限らないが、萌えキャラ活用の効果の1つではある。

もちろん、それも一般化はできない。海女にしても、NHKの朝ドラ「あまちゃん」で注目を浴びたこともあり、関心は以前より高まっているということもあろうが、その関心も、かつてのように性的な要素を強調したものではなくなってきているだろう。もし碧志摩メグを不快と感じる地元の方々が多いなど、弊害の方が大きいという判断であれば、「公認」を取り下げることもありうべしとは思うが、より実際的には、その前に何らかの「調整」の余地もあるのではないか。

たとえば「胸や太ももを強調しすぎ」であることが問題であるならば、それを少し弱める表現にできないかは検討されてしかるべきだろうし、「若い女性の体だけをアピールしている」と感じるならば、年配の海女のキャラクターも登場させたらどうかなどを考えてもよかろう。このキャラクターが女性にも受け入れられやすいものとなるなら、どこかで折り合う余地があるのではないかと思う。いずれにせよ、ていねいな対話が求められる。

ただし、このようなやり方は、お互いが冷静に話し合う土壌があることが前提だ。こうしたテーマではしばしば、「オタフォビア」としかいいようのないものや、それに対する反発など、激しい言説の応酬がみられる。どんなに根拠のある(と自らが思う)意見でも、こうした態度では合意形成は難しい。

その意味で、Change.orgで行われている署名運動の中では、次のこれが最もバランスのとれたものだと思う。

この署名の趣旨はこの文章と概ね共通している。碧志摩メグの取り扱いは地元の方々の協議で決すべきであり、当該キャラへの反対運動とオタク文化への差別を結びつけないようにしてほしい、というものだ。これを提起している「コンテンツ観光と地域コンセンサスを考える学生有志の会」は関西の学生グループだそうだが、おそらく「オタク」の側に近い立場であろう。そうした立場の学生たちがこうした冷静な主張をしていることは高く評価すべきかと思う。

この問題に限らず、碧志摩メグ公認撤回論を主張される方も、そして何より志摩市の担当部署の方々も、ぜひ冷静に議論してほしい。それで公認を維持するも、修正するも、撤回するも、いいように決めればよい。何なら某梨キャラのように「非公認」キャラクターにするという手だってあろう。観光振興で街を盛り上げたいというのは地元の方々に共通する願いだろうから、それに沿うように、自分たちで納得いくように決めてほしい。お互いの立場や主張を尊重して話し合えば、何らかの着地点が見いだせると思う。

そしてそれは、「オタフォビア」とは切り離すべきだ。海女の方々が性的視線にさらされて苦しんできたのと同じように、オタクたちも差別的視線に苦しんできた。こうした機に乗じてこれ幸いと流布される根拠のない差別的言説や良心の呵責が微塵も感じられない罵倒は、まぎれもないヘイトスピーチの一種だろう。自分の嫌いなものに対してこうした主張を平気でする人が少なくないのにはいつも驚かされるが、こうした表現スタイルは、その主張の内容は別として、公的な言論空間で許されるべきものではない。

(2015年9月7日「H-Yamaguchi.net」より転載)