2014【大阪の春】。レファレンダム―日本の国を変える「起算点」。

「大阪都構想」は財政的シュミレーションもなく、二重行政解消による節約効果も不確かで、堺市長選のドタバタぶりを見ても、実現へのプロセスも不透明の「行き当たりばったり」だとの批判もあります。
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「大阪都構想」は財政的シュミレーションもなく、二重行政解消による節約効果も不確かで、堺市長選のドタバタぶりを見ても、実現へのプロセスも不透明の「行き当たりばったり」だとの批判もあります。

「設計図なし、行き当たりばったりの限界ギリギリがいいものを生む。」

これは、アメリカ「TIME」誌の「最もクールな発明」に選ばれたロボット「クロイノ」の開発者である高橋智隆氏の開発ポリシーです。モノづくりの現場においては、机上で考案された設計図やマニュアルで行動するよりも、「行き当たりばったりの限界ギリギリ」で最適な「カタチ」を追求していく方が、結果的にいいモノになる場合が多い。

橋下市長の「戦(いくさ)感覚」や「ゲーム感覚」のような政治手法については、当然賛否はあるがこれまでの府政や市政において、様々のテクニカルな工夫で幾重の局面を乗り越えながら、政策の具現化を進めているのは紛れもない事実です。

 ただ、今回の市長選での法定協議会のメンバーの入れ替えの争点化も、「限界ギリギリ」の「職人技」の政治テクニックと言えますが、市長選の「テーマ」にはそぐわず、非常にわかりにくい。ここまでくるとさすがに「せこい(細かくてみみっちい)」感があり、「 限界ギリギリ」を超えているように思えます。

「大阪都構想」は「世界へ"大阪"を発信するため、大阪の統治機構を変える」ためのいわば「基礎工事」であり、「賃金上昇」や、「充実した福祉」、「庶民のくらしの向上」という、夢のプランではありません。

各党の「カジノ構想」や「リニア誘致」に対する批判も、骨格すらまだ見えない段階で、このような一面一面についての議論にはあまり意味があるとは思えず、その他「梅田に森」や「大阪城にモトクロス場」「道頓堀にプール」などはブレーンたちの手によるワイドショー向けの話題づくりの類いに過ぎず、とても本気の提案とは思えません。

当然、議論がボトムアップする過程で、このような基本理念と相関のない「アイデア自慢」のような政策は自然に霧消化し、より本質的で真剣な議論が積み重ねられていくのではないでしょうか。

海外のガイドブックなどを見ても大阪は人気の高い京都や神戸と逆に「大阪は観光するに値する街ではない。」「騒々しくて公害が多くごみごみした街。」「大阪はヤクザという巨大な犯罪都市の中心地。」などその評価は散々で、観光都市のイメージとしては深刻です。

しかし、「大阪都構想」の基本理念はハコものを中心とした個別・小規模な環境整備から広がるまちづくりではありません。また、バルセロナモデルなどに代表されるようなヨーロッパ都市再生のコラージュではなく、「地域の壁」や「縦割りの壁」を打破し、道州制の実施を念頭に、この国の在り方を根本的に変えようという「ビッグピクチャー」において、大阪が中核的な「アッセンブリー」としての役割を果たすことを目指しています。

「戦略的な広域行政の必要性は感じるが統治機構まで変える必要はない」。各党が「大阪都構想」に反対であれば、自らの大義やその実現可能性における信念に基づいて、選挙で堂々と主張するべきです。橋下市長も選挙の争点を区割りを進めることの是非や法定協議会の入れ替えのような些末なテーマではなく、「5区分離案」で「大阪都構想」の決着をつけるぐらいの覚悟を持って望むべきではないでしょうか。

すでにその機は熟していると言えます。 そして、有権者は自分たちに大阪のあり方についての「レファレンダム」=直接投票のチャンスが巡ってきたことを歓迎すべきであり、決してバラ色の「設計図」で判断するのではなく、果たして統治機構を変える必要があるのかどうか、「大阪都構想」の「基礎」と「骨格」についての「合理的な選択」を行なう必要があります。

大阪市民は「ふわっとした民意」などと揶揄されることなく、ひとりひとりの有権者が各党の主張を真剣に見極めて、将来、歴史を振り返った時に、2014【大阪の春】が日本の国を変える「起算点」になったと言われるような「大きな議論」をリードしていかねばなりません。