変化を恐れるのは、リベラルではない!大阪ダブル選挙から、日本の「保守」と「リベラル」を考える

私は日本にも、大阪にも、変化が必要だと思っています。そしてそのために何より変わらなければならないのは、我が国のリベラルの在り方そのものです。
|

こんばんは、おときた駿@ブロガー都議会議員(北区選出)です。

いよいよ大阪ダブル選挙の投票日が今週末に迫りまして、

今のところの世論調査では維新リードの報道がなされています。

ご案内の通り、今回の選挙は候補者を見ると「維新VS自民」ですが、

事実上「維新 VS 維新以外全部」という構図になっておりまして、先日私も取り上げた

SEALDsのような、所謂「リベラル」勢力のほぼすべてが自民党に加担している情勢です。

こうした情勢や、そもそもの大阪改革の是非について、

今日は「保守」「リベラル」という政治思想から考えてみたいと思います。

そもそもの「保守」「リベラル」について、まずはざくっと解説しておきます。

※このテーマだけで本を一冊書けるので、一部分だと思ってください。

まず「リベラル」とは、かつては「進歩主義」とも言われたように、

未来の可能性を信じて変化を肯定していく考え方です。

日本語の「革新」とした方がわかりやすいかもしれません。

かつての絶対王政や宗教からの脱却に始まり、

女性蔑視や貧困の抑圧と闘い、変化を主導してきたのは

まさに「リベラル(革新)」という政治思想でした。

これに対して「保守」とはその名の通り、

歴史や伝統を重んじて変化を嫌う(緩やかな変化を好む)ものになります。

急激な変化はときに、社会に幸福ではなく混乱をもたらします。

斬新的な変化を否定するものではないものの、社会秩序や現実的な観点から

改革に歯止めをかけていくのが「保守」という政治思想と言えるでしょう。

リベラル(革新)は未来と変化を好み、保守は過去と現状維持を重んじる。

これがそもそものスタートになります。

以上を前提として支持層を大別すると、

リベラル:社会変革を望む人々≒社会的弱者

保守:現状維持でOKな人々≒富裕層、社会的成功者

というように区分できそうです。

今に不満があれば変化を望み、満足していれば現状維持を望む。

これはわかりやすい社会の摂理でもあります。

つまり「リベラル」は弱者と親和性が高く、彼らに寄り添う政治思想なのですね。

大事な点なので、ここは抑えておきましょう。

アメリカは特にわかりやすく、リベラル政党である民主党の支持層は貧困層・有色人種層で、

保守政党である共和党は富裕層・白人層が主な支持層であると言われています。

この区分けはまだ、日本でも大雑把には機能していると言えそうです。

ここまではだいたい世界共通の話。

しかしながら戦後、特に冷戦後において、

日本のリベラル(革新)は独自の路線を歩み始めます。

一言でいえば、変化に異常なまでに消極的になったことです。

海外に目を向ければ、「リベラル」勢力が改革を主導した例は枚挙に暇がありません。

そりゃそうです。もともとは「変化を好む」ことこそが、リベラルの本義なのですから。

ところが我が国では、経済政策における規制緩和や、社会保障における競争原理の導入など、

あらゆる政策においてリベラル勢力が「反対」「現状維持」を唱えてきました。

彼らと闘うことこそ、日本の保守改革の役割になっていたとすら言えるでしょう。

しかし、常識的な人であれば、誰しも気づいているはずです。

日本も、大阪を含む地方都市も、このまま持つはずがないことを。

少子高齢化・悪化する財政・激増する社会保障負担に、押しつぶされてしまうことを。

こうした状況下で、誰よりも変化を主張し改革を促すはずのリベラルたちは、

それでも現状維持とイデオロギー的な理想論の主張を繰り返しています。

弱者に寄り添うはずのリベラルは、弱者のための改革を時に遠ざけてきました。

もちろんそれを可能にしているのは、「将来世代へのツケの先送り」です。

弱者の味方の仮面を被った彼らは、自分たちは決して変わることのないまま、

将来世代にそっくりそのまま負担を押し付けているのです。

ここまでの内容を踏まえた上で、今回の大阪ダブル選挙を見てみましょう。

おおさか維新の党は、政治思想的には「保守(改革派)」に分類される政党です。

本来であれば、「前にすすめる」改革勢力に親和性こそあれ、

それに抵抗する(過去に戻す)のはリベラルではないはずです。

保守の欠点として

「懐古主義になり、過去を理想化する(昔はよかった論)」

というのがありますが、敬老パスの改革を元に戻すなんて主張に賛同するのは、

まさに典型的な保守姿勢と言えるでしょう。

なお、自民党は大阪では真性保守勢力なので、

彼らが改革に抵抗することには筋が通っています。

もちろん、変化や改革の方法は一つではありません。

異なるアプローチから対案を出し、新たな理想を提示できるのであれば

それこそがリベラルの存在意義になります。

ところが対案も対立候補も出さず、

あまつさえリベラル勢力が真性保守の後押しする。

この状況こそ日本の冷戦後リベラルが単なる反体制・反権力の思想であり、

「なんでも反対リベラル」「無責任リベラル」に成り下がっていることの、

何よりの証左ではないでしょうか。

私自身の政治信条を紐解いてみれば、「リベラル」に分類されるものは沢山あります。

それでも私が保守政治家を自称するのは、無責任極まりない今の冷戦後リベラルたちに

腹の底から感じる嫌悪感が一つの理由でもあります。

私は日本にも、大阪にも、変化が必要だと思っています。

そしてそのために何より変わらなければならないのは、

我が国のリベラルの在り方そのものです。

だからこそ日本の若者たちは、

冷戦後リベラルにまんまと取り込まれている場合ではありません。

おおさか維新の会がダブル選挙に二勝すれば、

日本の政治は「保守二大政党制」に向かうとの予測もあります。

その程度がまさに諸外国における、「保守VSリベラル」の対立軸になるのかもしれません。

逆におおさか維新が敗北すれば、「何でも反対」に味をしめたリベラル勢力は、

このままずっと反体制・反権力として影響力を行使し続けるのでしょう。

この国にいま必要なのは、どちらの未来か。

政治信条からもそんなことを考えて、大阪の皆さまはぜひ投票に行っていただき、

また大阪以外の方はこの選挙の行方に強くご注目いただければと思います。

それではまた明日。

(2015年11月17日「おときた駿公式サイト」より転載)