不燃、無毒、安価な"水"をベースとした新たなリチウムイオン伝導性液体「常温溶融水和物(ハイドレートメルト;hydrate melt)」を、東京大学大学院工学系研究科化学システム工学専攻の山田淳夫教授、山田裕貴助教らの研究グループが発見した。この伝導性液体は、リチウムイオンの輸送特性も高く、電気的安定性にも優れ、3V以上で実用化されているリチウムイオン電池の電解液である有機溶媒に置き換わりうる。
火災、爆発の危険性を極限まで低下させ、低価格の次世代リチウムイオン電池の開発につながると期待される。成果はNature Energy 10月号(8月26日オンライン掲載)に発表された。開発に至る経緯、新たな伝導性液体の特徴、今後の研究の方向性などについて、山田教授、山田助教に聞いた。
山田助教(左)と山田教授(右)
―― まずは、研究のきっかけからお聞きします。
山田教授: 我々の研究室は2009年4月に発足した新しい研究室です。私はもともとソニーで13年間にわたりさまざまな材料技術の研究に従事し、その後東工大での6年間の准教授を経て、東大に着任。一人でゼロから研究室を立ち上げました。主に低コストで高性能な正極材料の研究に取り組んできましたが、東大着任に当たり異なる視点の研究者と仕事をしたいと考え、翌年採用したのが山田助教です。
ちょうどそのころ立ち上がりつつあった文部科学省の国家プロジェクト「元素戦略」の電池分野を統括するリーダーに任命され、山田助教とも議論を重ねた結果、プロジェクト研究テーマの1つとして、今回の成果の端緒となる濃厚電解液系の物性評価に着手することにしました。
山田助教: 私がこの研究室に着任したのは2010年10月です。それまでは京都大学で、電極・電解液界面でのリチウムイオンの移動特性などの基礎研究を行っていました。東大で研究を始めるに当たり、山田教授が長年蓄積してきた電極材料に関する豊富な知見や優れた特性を生かせる、より安定で安価、かつ高性能な電解液が開発できないものかと考えました。
電解液のリチウムイオンの濃度は、伝導度が最大となる1ℓ当たり1mol程度が最適というのが常識でした。ところが注意深く調べてみると、1ℓ当たり4~5mol程度の高濃度にすると電流負荷特性や電気化学的安定性が大幅に向上する場合があることがわかったのです。このメカニズムの全容はまだ解明されていませんが、組成や構造が異なる全く新しいタイプの電解液として大きな可能性を感じました。
―― その後、高濃度の電解液開発に本格的に取り組んだわけですね。
山田助教: 最初は、リチウムイオン電池で実用化されている有機溶媒系で高濃度化を探りました。現在主流の炭酸エチレン系の有機溶媒には、1mol程度のLiPFなどのリチウム塩が溶けていますが、さまざまなリチウム塩と溶媒の組み合わせを高濃度領域で試しているうちに、次々に興味深い現象が見いだされ、その背後にある本質も明らかになりました。
そこである時、有機溶媒の代わりに水を溶媒にしたらおもしろいと思ったのです。2013年頃のことですが、それが今回の成果の出発点です。
図1:水系の電解液を使った今回の研究成果のイメージ
2種類のリチウム塩と水を混ぜた、ハイドレートメルトを電解液にすることで3.1Vのリチウムイオン電池の可逆作動に成功した。さらなる高電圧作動の可能性も秘めている。
山田教授: 私が技術の将来性を評価する基準は、本質的な素性の良し悪しです。企業勤めが長かったため、成功した技術、失敗した技術の双方を数多くみてきました。シンプルな技術と複雑な技術が競合した場合は、必ずシンプルなほうが生き残ります。素性のよいシーズは時間とともに検討事項が絞られ、10年くらいでものになることが多いです。
一方、素性の悪いシーズは開発の途上で次々に課題が立ちふさがり、検討事項ばかりが増えていつまでたってもものにならず、現場の士気が下がっていきます。
空気電池、硫黄電池、多価イオン電池、全固体電池など次世代電池と呼ばれている技術は、実は40年以上も前から提唱され研究が進められてきたものですが、本質的課題を克服できず、実用化には至っていないのが現状です。高濃度電解液の開発においては、技術的に難しいことは一切していません。たくさん溶かしているだけですから。
にもかかわらず、溶液構造が変化して特性が劇的に改善するという点で、素性がとてもよいと思いました。特に不燃、安価、無毒、豊富な水をベースにブレークスルーを実現できれば、非常に大きなインパクトをもたらすと考え、割り当てる研究リソースを増やす判断をしました。
―― 水にリチウム塩を高濃度に溶かすのは大変だったのではないですか?
山田助教: これまで水系のリチウムイオン電池の研究は盛んに行われてきました。しかし、有機溶媒に比べ、電圧耐性が低く(電圧が高くならない)、低い電圧(1.2V程度)でも水素、酸素に電気分解されてしまうことが最大のネックでした。
つまり、普通の水が残っていてはだめなのです。有機系での経験から、塩を高濃度化するとすべての溶媒分子がリチウムイオンと相互作用するようになり、溶媒としての元々の性質を失うことが本質であることがわかっていました。当然、水系でもリチウム塩を高濃度に溶かすことを試みましたが、お察しの通り、これは困難を極めました。
さまざまなリチウム塩を試しましたが、1種類のリチウム塩だけではだめで、2種類のリチウム塩を一定の割合で混ぜることで初めて、すべての水分子が孤立してリチウムイオンと相互作用しながら液体となる「常温溶融水和物(ハイドレートメルト)」ができることを発見しました。
通常水分子が孤立した状態は常温では固体ですが、「LiTFSI(リチウムビス(トリフルオロメタンスルホニル)イミド)」と、「LiBETI(リチウムビス(ペンタルフルオロエタンスルホニル)イミド)」を最適な割合で混合することで液化に成功しました。この際、最適な混合比を見つけるのに時間がかかりました。2つの固体が混ざることで融点が下がる、共晶という現象を利用しています。
図2:2種類のリチウム塩(LiTFSI、LiBETI)と極めて少量の水を一定の割合で混ぜると、常温で液体化したハイドレートメルトになった
このハイドレートメルトは、リチウムイオン電池の有機溶媒電解液と同様に高いリチウムイオン輸送特性と高い電圧耐性を備えている
―― その割合はどの程度ですか。
山田助教: LiTFSI 0.7 molに対し、LiBETIは0.3molです。ここに水2molを加えることでハイドレートメルトが生成します。このハイドレートメルトは、3V以上の高い電圧をかけても電気分解しないことがわかりました。
―― どうしてそのような驚くべき現象が起こるのでしょうか。
山田教授: 塩水や砂糖水をいくら濃くしても、しょっぱい、甘いという味そのものには変化ありませんが、今回の電解液は極限まで濃度を上げたことで、全く別の味になってしまった、と比喩するとイメージしやすいでしょうか。
溶液中の分子の連なり方が完全に変わってしまっているのです。ラマン分光法やスーパーコンピューター「京」による第一原理分子動力学計算により、すべての水分子がリチウムに配位していることが確認されました。
つまり、もはや通常の水の性質は示さないことになります。これが、電池の電解液としては大きくプラスに働いたわけです。このような見方をすると、今回発見したハイドレートメルトが、従来の水溶液の延長線上の濃厚派生物ではなく、全くの新材料として位置付けられることがよくわかります。
図3:ハイドレートメルトの溶液構造のイメージ図
すべての水分子とアニオン(陰イオン)はリチウムイオンに配位している。このため、通常の水溶液中では水素結合により集まって存在する水分子が、ハイドレートメルト中では孤立して存在している。
―― 電気的特性はいかがでしょうか。
山田助教: このハイドレートメルトを用いて、プロトタイプのリチウムイオン電池を作り、その電気的な特性を調べました。1つは正極にニッケル、マンガン酸リチウムLiNi>MnO、負極にチタン酸リチウム(LiTiO)を用いた高電圧の3.1 V級リチウムイオン電池。
もう1つは、正極にコバルト酸リチウム(LiCoO)、負極にチタン酸リチウムを用いた2.4 V級リチウムイオン電池です。設計通りの充放電特性が得られ、両電池とも100回以上の繰り返し充放電に対して安定動作することを確認しました。ハイドレートメルトが提供する耐電圧能力にはまだ余裕があり、4V程度まで電圧を高められる可能性もあります。
図3:正極にニッケル・マンガン酸リチウムLiNiMnO、負極にチタン酸リチウム(LiTiO)を用いた3.1V級リチウムイオン電池の特性(a)と、正極にコバルト酸リチウム(LiCoO)、負極にチタン酸リチウムを用いた2.4 V級リチウムイオン電池の特性(b)100回以上の安定動作を達成した。
―― 従来の有機溶媒を使ったリチウムイオン電池と比較していかがですか?
山田教授: 今回の成果は、これまで2V以下しか出せなかった水系電解液によるリチウムイオン電池の電圧を、有機溶媒を使った市販のリチウムイオン電池(2.4 ~3.7V)並みまで一気に引き上げたものです。エネルギー密度もkg当たり100Whを大きく超え、これも市販のリチウムイオン電池と遜色がなく、2.4 V級に限れば凌駕(りょうが)するレベルに達しています。
このことは有機溶媒に代わる電解液として、ハイドレートメルトの実用可能性が高いことを意味します。
図4:ハイドレートメルトを電解液としたリチウムイオン電池の電圧、容量、エネルギー密度(ピンク色の領域)
従来の水系電解液を用いた電池(青の領域)では達成できなかった、電圧2.4~3.1V、エネルギー密度100Wh/kgを大きく超えた。これにより、有機電解液を用いた市販のリチウムイオン電池(オレンジ色の領域)と同等の電池特性を実現したことになる。
―― 量産化への道はいかがですか?
山田助教: 既存のリチウムイオン電池の生産工程では、電池、電池材料ともに厳密に水を排除する禁水環境(ドライルーム)が不可欠です。しかし、我々の電解液ではこのドライルームを撤廃することができ、生産設備の大幅な簡素化に寄与するわけです。
こうした生産コストを大幅に削減することで、リチウムイオン電池の "価格破壊"につながると思います。2つのリチウム塩についても大量生産によってコストを大幅に抑えることは可能です。
―― 実用化は近そうですね。
山田教授: 溶媒が水に変わることで、電解液に有機溶媒を使ったリチウムイオン電池で最大の問題とされていた爆発、火災事故のリスクを限りなく小さくすることができます。
万一、事故などによって電解液の漏えいが起きても、無毒な水ベースの材料のため、人体や環境への影響、負荷は小さくなります。安全性のマージンを大きく取れる分、バッテリーマネジメントシステムも大幅に簡素化可能です。
おかげさまで、Nature Energy に成果を発表して以来、内外の関連企業などから非常に多くの反響をいただきました。本当に久しぶりに真に実用化に駆り立てられる技術に出会った、との声もいただいており、我々としてはうれしいかぎりです。
―― 競争は激しくなりそうですね。
山田教授: 競争はむしろ歓迎します。多くの研究者が関心を示し、このユニークな技術が広がっていくことを期待します。大学でできることは限られていますが、すでに100件近い関連特許を出願済みで、初期に出願した基本特許群が先日成立しました。
電池開発には、さまざまなノウハウの蓄積と投入も不可欠です。今後、どこまで性能が伸びていくのか、たいへん楽しみにしています。
―― 最後に今後の抱負を。
山田助教: 産学連携による実用化も大事ですが、大学の研究室なのでこうしたおもしろい特性の仕組み解明や、より機能性の高いハイドレートメルト材料の探索など基礎研究もしっかり行っていきたいですね。
山田教授: 電気自動車、家庭での大型蓄電池の普及や、すべてのものがインターネットとつながるIoT時代の電力システムの拡大に向けて、高度な安全性が担保され、高性能で低価格の蓄電池開発が求められています。
生産性を含め、非常に素性のよいシーズなので実用化への手応えはありますが、この先、どんな難題が待ち受けているかわかりません。課題に真摯(しんし)に向き合い、常に科学的な裏付けを取りながら、地に足をつけて研究していきたいと考えています。
Nature Energy 掲載論文
東京大学プレスリリース
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