「ワンオペ育児」CM、もぐらたたきが止まらない

「おとうさん」はどこに行ったのか。
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Getty Images

■「あたしおかあさんだから」の炎上

なんだかもぐらたたきみたいだなあと思う。「出前館」と「森下仁丹」の宣伝にひっかかるところがあるのでコラムを書こうと思っていた矢先に、元「歌のおにいさん」による「あたしおかあさんだから」という歌が炎上した。ハフィントンポストによると、歌詞に「あたし おかあさんだから/眠いまま朝5時に起きるの」と子育て中の母親の姿を書き連ね、「ワンオペ育児賛美」などと批判を受けている。

それより目立たなかったのか、特に話題になっていないが同工異曲なのが「出前館」や「森下仁丹」のCMだ。「出前館」のCMは、正月にのんびり眺めたテレビに繰り返し流れていた。西原理恵子の「毎日かあさん」とのコラボレーション企画で、こんなセリフが流れる。

「家事なんて、いい。食事手作りじゃなくてもいい。こんなにだっこしてほしがっているんだから。たまにはいいんじゃない?」「毎日、かあさん。ときどき、出前館」

この動画には、「うちのかみさんはCM見て泣いていました」「毎日ご飯支度を頑張ってくれている嫁さんに見せたいCMです」などと好意的なコメントがいくつかついている。もっとも、当の「かみさん」「嫁さん」からのコメントは見当たらない。

女性の友人の一人は、実家でこのCMを見て「おかしい」と言ったら、何がおかしいのかわからない父親と話がかみ合わなかったと言っていた。退職世代の親ならわからなくても仕方がないかもしれない。だが、いままさに子育て中のみなさん、いいんですかこれで。

この家族、最後の食事の場面には夫が登場する。夫が食事作りか子どもの世話のどちらかをすればいいではないか。それとも夫は帰りが遅いという設定なのだろうか。帰宅した時にご飯の準備ができてないと気が済まない夫なのか? 妻が専業主婦またはパートという設定だとしたら、「食事も育児も手抜きするな」という社会的圧力が見え隠れする。「たまにはいいんじゃない?」という言葉で救われる人もいるだろうけれど、裏返せばこのCMは、「たまにではなくしょっちゅう総菜を買ってすませている私はやっぱり悪い母親なんだろうか」という「呪い」のメッセージとなる可能性を含んでいる。

■「おとうさん」はどこに行ったのか

もう一つ。森下仁丹の「テニアンゼリー」の広告サイト。子育て中の女性のこんなセリフが並んでいる。

「いつからだろう。朝いちばんから疲れていて...

子どもがどんどん野菜嫌いになる。お弁当は冷凍のものばかり。栄養よりも速さ。

片付かないまま寝てしまう。休日に休みたいとしか思えない」

「私だって、元気があれば。朝からすばやく、ていねいに。

忙しい平日のための、おいしい準備もちゃんと。

ていねいに作れば、野菜も笑顔で食べてくれる」

サイトでは、「仕事を持つ忙しいお母さんが睡眠時間を十分に取るのは大変」だとし、「朝、目覚めた時の疲労感や眠気を軽減したい人」向けに、商品を宣伝している。結びの言葉は「母としての自信と、本当のあなたを取り戻しましょう」だ。

ここにも、「仕事を持つ忙しいお母さん」はいるが、「お父さん」の姿はない。夫が妻と一緒に家事や育児をすれば妻は寝不足にならずに済むのではないか。夫は長時間労働で家事育児ができないのだろうか。それに、食事を手作りすることが「母としての自信」「本当のあなた」だと決めつけることに、制作者は疑問を持たなかったのか。

■CM制作者の腕前見せて

2016年、「働くママたちに、よりそうことを。」と題したサイボウズのCM動画が炎上した。昨年も、「その時間が、いつか宝物になる。」というセリフで締めくくるムーニーのCMや、「日本のお母さん」と題した味の素のCMに賛否両論が集まった。

パターンはすべて同じだ。仕事と家事育児に大変な女性たちの苦労をねぎらうという表向きのメッセージの裏に、「子育ては母親がするもの」という役割分担意識をはりつけている。制作者にはその意図がなかったとしても、そう受け取られても仕方がないつくりになっている。

女性によるワンオペ育児を前提としたCMや動画が、夫婦で子育てするのが当たり前になりつつある社会にそぐわなくなってきたことは言うまでもない。なのになぜ同じようなことが繰り返されるのか。おそらくどの制作者も、女性の日常的な悩みやつらさに焦点をあてた応援歌を作ろうとしたのだろう。だが、その「悩み」の理解が一面的で、「女性は仕事と家事育児で大変」という言説の表面的なわかりやすさに寄りかかっている。しかも、個人にのみ焦点をあてていて、彼女と家族をとりまく社会への視線、さらには家族、職場、社会がいまどの方向に変わろうとしているかについての認識が欠けている。だから、「女性の現状の美化」「性別役割分担の固定化」と受け取られてしまうのだ。

こういうCMを見るたびに、男女を入れ替えたらどうなるかを考えてみてはどうかと思う。それでも共感を呼ぶCMになるのか、どうなのか。男性が家事をするCMには、たとえば三菱電機のエアコンのCMがある。とても自然で、見ていても気持ちがいい。

さらに一歩進めて、仕事も育児もがんばる男性に焦点をあてたら、「自分たちの気持ちを本当にわかってくれる」と、女性にもウケるCMになるかもしれない。それを見て居心地の悪さを感じる男性もいるかもしれないけれど、そんなハードルを上手にクリアする制作者の腕前を、見てみたい。

(2018年1月17日「http://www.jichiro.gr.jp/column/fair/7484」より転載)