【3.11】七十七銀行女川支店の津波被害訴訟、人命よりも経済合理性が優先されるのか?

東日本大震災で569名(2014年1月31日現在)が死亡した宮城県雄勝郡女川町。被災時に、町内にあった七十七銀行女川支店の行員は支店の屋上に避難したものの、屋上を超える20メートル近くの巨大津波が襲い、12名が死亡・行方不明となった。銀行が安全配慮義務を怠ったとして、遺族は損害賠償請求の訴訟を起こしたが、2014年2月25日の一審判決では原告である遺族側の請求が退けられた。遺族は控訴したが、被告側にあたる銀行側の主張との溝は埋まらない。
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加藤順子

東日本大震災で569名(2014年1月31日現在)が死亡した宮城県牡鹿郡女川町。被災時に、町内にあった七十七銀行女川支店の行員は支店の屋上に避難したものの、屋上を超える20メートル近くの巨大津波が襲い、12名が死亡・行方不明となった。

銀行が安全配慮義務を怠ったとして、遺族は損害賠償請求の訴訟を起こしたが、2014年2月25日の一審判決では原告である遺族側の請求が退けられた。遺族は控訴したが、被告側にあたる銀行側の主張との溝は埋まらない。

対立の背景にあるものは何か。震災直後から、被災地の取材を続けるジャーナリストの池上正樹氏によるレポートをお届けする。

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職場で働いている間に万一のことがあったとき、従業員の命よりも「経済合理性」のほうが優先されるのか。

銀行管理下にあった従業員12人が、東日本大震災の津波で死亡、行方不明になった七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の惨事を巡り、3人の遺族が銀行側に計2億3500万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審の第1回口頭弁論が6月10日、仙台高裁(中山顕裕裁判長)で開かれた。

印象的だったのは、原告側が、企業の安全配慮義務違反を認めなかった一審の齊木教朗裁判長の判決に対して、強く怒っていたことだ。

「結論先にありきで、強引に原告らの主張を曲解し、証拠に基づかない認定や自らに都合の悪い証拠の無視、自らに都合のよい証拠には拡大認定を行い、理屈たり得ない理屈を平然と伏すなど、およそ証拠に基づく裁判とはいえない」

「公平な裁判をするべき裁判所として、あるまじき悪質さである」

原告側は、そんな異例ともいえる厳しい言い回しで、判決の速やかな破棄を求めていた。

震災当日、女川支店には、14人の行員らが出勤。地震の約10分後の14時55分頃、支店長が外出先から戻った。すでに6メートルの大津波警報が出ていたことから、支店長は15時前、高さ約10メートルの2階屋上への避難を指示した。

その後、子どもを心配した派遣スタッフの1人は帰宅。残りの行員ら13人が屋上へ避難していたが、約30分後の15時25分頃、行員らのいた屋上は津波にのみこまれて、全員が流された。

結局、津波にのまれて生還できたのは、行員1人のみ。4人が死亡し、8人が行方不明のままになっている。

女川支店は、1973年に建築された2階建て鉄筋コンクリート造りで、2階屋上の一部にある3階電気室屋上までの高さが13・35メートルあった。

2009年には、災害対応プランを改正。「屋上等の安全な場所」も追加して、避難場所の選択肢を増やしたとされる。被告は「宮城県地震被害想定調査で予想された女川町の津波の最大高さが5.3~5.9メートルだったことなどから、女川支店が津波避難ビルとしての適格性を有するもの」と判断したという。

今年2月、仙台地裁の判決で、齊木裁判長は、銀行が従業員3人に対して不法行為法上の安全配慮義務を負っていたとする一方で、遺族側の訴えを退けた。

そもそも、不可解だったのは、その判決理由にある。

例えば、こんなくだりだ。

「宮城県の地震被害想定調査では、同支店に予想される津波の浸水度が1~2メートルだったことや、建物が19.5メートルと相当な奥行きを有していて、内閣府の『津波避難ビルガイドライン』で損壊等しない構造物であるための要件と解される相当の強度があったと想定されることなどから、3階電気室屋上約13.35メートルの高さは、女川町の指定避難所とされていた(堀切山の)『秀工堂階段上』と大差のないものであって、“津波避難ビル”としての適格性を有していた」

しかし、内閣府の津波避難ビルガイドラインを読むと、

「津波避難ビル等の選定にあたっては、想定される浸水深が2mの場合は3階建て以上(想定される浸水深が1m以下であれば2階建てでも可)、3mの場合は4階建て以上のRCまたはSRC構造の施設を候補とするが、津波の進行方向の奥行きも十分に考慮しておく」

と記されている。

災害対応プラン策定時に、「女川町の津波の最大高さが5.3~5.9メートルであったこと」などを挙げていながら、「支店付近の浸水度は1~2メートルと予測されていたことが判明した」という被告の主張を引用するなど、裁判長はガイドラインに合わせるかのように、女川支店を「津波避難ビルであった」と推認していることがわかる。

そのうえで裁判長は、被告が

「各支店の立地状況や、津波到達予想時刻までの時間的余裕の有無等の具体的状況に応じて、人命最優先の観点から、一時的・臨時的な避難場所として迅速に避難し得る支店屋上をも避難場所として追加したというのは、合理性を有するものであったといえるから、災害対応プランにおいて、屋上を避難場所の1つとして追加したこと自体が安全配慮義務違反に当たるとはいえない」

として、支店屋上を避難場所に追加したことも“肯定”している。

また、支店長が屋上への避難を伝えた段階で、

「屋上を超えるような20メートル近い巨大津波を予見することは困難であり、屋上へ避難するという支店長の判断が不適切だったとはいえない」

などとして、指定避難場所の堀切山への避難を指示すべき義務がなかったと認定した。

この判決に対し、原告側は控訴理由書で、

「使用者の安全配慮義務は経済的合理性の観点から、合理的な防災対策や具体的状況に応じて合理的な避難行動をとることで足り、最悪の事態を想定して、より高い安全性を労働者に保障すべきものではないとするが、まったく独自の解釈である」

と、企業が人命を最優先にしていない安全配慮義務の解釈の誤りに言及する。

そして、「わずか260メートル先に、ゆっくり歩いても3分半ほどで到着できる高台である堀切山を避難場所としている女川支店の場合、新たに津波避難ビルを避難場所として指定する意味は皆無であり、内閣府津波避難ビルガイドラインの趣旨にも明らかに反する。津波避難ビルの要件は、女川支店にはまったく関係がなく、被告が避難場所の1つとして支店の屋上を追加したことを何ら正当化できない」と、ガイドラインに定められた津波避難ビルの理解の誤りを指摘した。

一方の銀行側は、控訴棄却を求めた。

■「裁判官には、現地に来てもらいたい」

この日の弁論には、当時25歳の長男、健太さんを亡くした田村弘美さん(51歳)が意見陳述。

「一審の判決は、人命よりも経済合理性が優先されることを正面から認めてしまっている。企業が営利を目的とする以上、自然災害で従業員は死んでも構わないと言われているようで、胸に突き刺さります。だから、私たちは、この判決を決して後世に残してはいけないと決意しました。高等裁判所で取り消してもらわなければなりません」

3階電気室屋上へ登るには、高さ3メートルの壁に張り付いた、幅50センチほどの垂直なハシゴを登らなければならなかった。しかも、登りきったところには、手すりもなく、搭屋のヘリにはフェンスもなく、強風が吹けば、振り落とされそうな場所だった。

「あのハシゴを、想像を絶する恐怖の中、よじ登らなければならなかったスカート姿の女性たち。あの寒さの中、最後に上着を脱ぎ捨てた男性行員…。その中で、家族に伝えなければならないという思いで“津波凄い”というメールを打った行員の気持ちを考えます。伝えたい一心でしたのでしょう。最後の無念が、この一文に表れています」

田村さんによると、この意見陳述書を書くまでに、3日もかかったという。

また、原告側は、現地での進行協議を申請。裁判官側も、新たな現地視察で実感する必要性を示しつつ、銀行側の意見も踏まえて、採用するかどうかを判断することになった。

その理由について、原告代理人の佐藤靖祥弁護士は会見で、

「原審の判決が、現地に行った人の感覚とは明らかに違う内容になっている。支店屋上の上にある塔屋は、銀行側も避難場所として考えていなかった。しかし、町の指定避難場所の堀切山の『秀工堂階段上』と高さを比べると、似たようなものだから、支店屋上に逃げてもいいじゃないかという判断になっている。でも、実際に現地に行くと、秀工堂階段上というのは、ただの通路。行った人であれば、まさか、ここにとどまろうとは思わない。上にさらに逃げることが前提になっている場所と高さを比べている。明らかにこれは、現地を見てきた人の判断ではない」

として、一審で現地に行かなかった裁判官が書いたのではないかと考え、今回は裁判官3人全員に来てもらいたいと訴えた。

陳述した田村さんも会見で、こう残念がった。

「女川支店のあの場所に立つ限り、目の前には、息子でも1分でも行ける高台があったのに…という思いが、消えないんです。裁判官には、もう一度、この場所に立って頂いて、周りの風景を見て頂くことで、体感していただきたい。その上で、銀行の屋上プランが妥当なものだったかどうだったのか、もう一度、深く審議して頂きたい。尋問を聞く限り、銀行の防災体制はぬるかったと思います。避難訓練も中途半端で、防災教育もなかった。当日、防災無線を聞くこともなかった。高台へ避難するという行動が、まったく考えられていなかった」

この国では、「経済合理性」という名の下で、人間として、想像するという何か大事なものを忘れてしまってはいないだろうか。そんな問いかけがいま、私たちの生きる社会に突きつけられている。

なお、遺族たちは、ネット上に「㈱七十七銀行女川支店被災者家族会」も開設して、情報発信を続けている。

第2回弁論は、9月25日の午前10時30分から行われる予定だ。

池上正樹

1962年生まれ。大学卒業後、通信社の勤務を経て、フリーのジャーナリストに。主に「心」や「街」をテーマに執筆。震災直後から被災地で取材。新刊は『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)。近著は『ダメダメな人生を変えたいM君と生活保護』(ポプラ新書)、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)、『ドキュメント ひきこもり~「長期化」と「高年齢化」の実態~』(宝島社)など。個人コラム『僕の細道

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