【ノーベル賞】「人のまねをするとそこで終わり」 大村智さんが語った人生訓の数々

記者会見では、人生を支えてくれた共同研究者や亡き妻への感謝、そして人生訓がにじみ出た。
Open Image Modal
Kitasato University Prof. Emeritus Satoshi Omura speaks during a press conference at the university in Tokyo, Monday, Oct. 5, 2015 after learning he and two other scientists from Ireland and China won the Nobel Prize in medicine. The Nobel judges in Stockholm awarded the prestigious prize to Omura, Irish-born William Campbell and Tu Youyou - the first-ever Chinese medicine laureate, for discovering drugs against malaria and other parasitic diseases that affect hundreds of millions of people every year. (AP Photo/Shizuo Kambayashi)
ASSOCIATED PRESS

2015年のノーベル医学生理学賞を受賞した北里大学特別栄誉教授の大村智さんは、定時制高校の教師を経て研究者になった異色の経歴の持ち主。10月5日夜の記者会見では、人生を支えてくれた共同研究者や亡き妻への感謝、そして人生訓がにじみ出た。

■「すべて微生物の皆様がやっている仕事を勉強させていただいた」

科学者として最高の栄誉にも「本当に私がこのような賞を頂いていいのかなという思いがあります」と謙虚な姿勢を貫いた。「私の仕事は微生物の力を借りているだけであって、私自身が難しいことをやったりしたわけじゃない。正直言って、微生物がやってくれた仕事を整理したようなもの」と話し、数十人単位となる共同研究者とのチームプレーの成果を「みなさんが心を一つにして大きな目的に向かって歩んでくれた。これが非常に幸せなこと」と喜んだ。

全国を回って土を集め、何千株という菌を分離し、培養した結果が5、6年後に分かる。「一人でできる仕事じゃありません。私はこの研究のやり方、日本に向いているんじゃないかと思いますね。ある国になると『オレがやったんだ、オレがやったんだ』と集まってくるけど、共同研究になりませんよね。誰がやったかわからないけどみんなで喜ぶという研究ができた」といい「肩書はスペシャルコーディネーター」と笑った。

■「とにかく科学者は人のためにならなきゃだめだ」

幼少期、小学校教師として忙しかった母の代わりに面倒を見てくれた大村さんの祖母が「とにかく人のためになることを考えなさい」と繰り返したといい「研究者になりましても、分かれ道に来たときはそういう基準を考えた」。また「日本というのは微生物をうまく使いこなして今日まで来た歴史があります。農業生産にしても、本当に微生物をよく知って、人のためにという伝統があるんですね。そういう環境に生まれたことはよかったと思います」とも述べた。

■「楽な道、楽な道を行くと本当のいい人生にならない」

山梨大学を卒業して東京都立墨田工業高校定時制の教師となった大村さん。働きながら懸命に勉強する夜間の学生の姿に感銘を受けたと話す。「夜間の工業高校だから、近辺の工場から仕事を終えて駆け込んできて勉強する人がほとんど。あるとき期末試験の監督をしていると、飛び込んできた(生徒の)一人が、手に油がいっぱいついていた。私は一体何なんだ。ショックだった。もっと勉強しなきゃいかん。本当の研究者になろうと思った」。昼は東京理科大の大学院、夜は教員、夜中に次の授業の準備をする日々は過酷で、妻に「やせ衰えて半分病人のようだった」と言われたというが、スキーの長距離に比べれば「まだ楽だと思ってやっていた」。

会見中にかかってきた下村博文・文部科学相との電話でも当時の体験に触れ、「若い子供たちのために、将来に向けた、たとえば教員そのものの力をつけるような何かをやるとか、先生の教える力をもっと重視してお金を使うとか。研修会やるとか、活発にやっていただいたらいいと思います。大学まで来て、私に言わせれば遅い。もっと子供の頃からそういう心を持たせないといい研究者にもなれない」と要請した。

■「人のまねをするとそこで終わり。超えることは出来ない」

高校、大学時代にスキーに熱中し、国体にも選ばれたという大村さん。強豪に学ぼうと合宿で訪れた新潟で、こう言われたという。「自分たちも北海道に勝つために、北海道に行って練習した。ところが何回行っても負ける。『北海道に行くのはやめて、自分たちで練習方法を考えないと勝てない』。だから自分たちで考えて、北海道に勝つようになった」。科学も同じだと述べた。

東京理科大学の修士課程を修了した大村さんは、山梨大学の発酵生産学科で有機化学を研究した。「培養液の中で砂糖やグルコースが1、2晩であとかたもなくアルコールになっている。有能な有機化学者でも1晩でできない、生物はすごいと思った。そして北里研究所で、微生物と化学の(自身が研究した)両方の力を生かそうと、研究にのめりこんだ」。独自の道を探ったことが、輝かしい業績につながった。

■「成功した人は、人より倍も3倍も失敗している」

記者会見場に詰めかけた多くの学生に、失敗を恐れないよう説いた。

「やったことはだいたい失敗するわけでしょう。思ったよりはるかに難しかったり、うまくいかなかったり。しかしうち5回、6回、7回やっているうちに、びっくりするぐらい上手くいくときがある。その味を味わうと、あとは何回失敗しても怖くない。それが研究の楽しさですよね。1回失敗してそれでだめだと思ったらだめですね。失敗したからよかった、これは絶対役に立つと思いながら続けることが大事ですよね」

「いろいろやりたいことはあると思うけど、これやると失敗する、じゃなくて、やってみようという気を絶えず起こさなきゃだめ。成功した人は失敗を言わないですよ。でも人より倍も3倍も失敗している。だから1回失敗したからって、若い頃はどうってことないよ。とにかくやりたいことをやりなさい」

記者から「学生に何か一言」と問われた大村さんは「努力もう一晩」と笑顔を見せた。

■「16年前に亡くなった家内、何より喜んでくれるだろう」

真っ先に報告した人の名前を聞かれ、「心の中で」亡き妻・文子さんの名前を挙げ「研究者としていちばん大事なときに支えてくれた」と振り返った。早くから「あなたはノーベル賞をもらう」と言われていたといい、一夜明けた自宅前では、12月の授賞式に「写真ぐらいは持って行きたい」と報道陣に語った