Mike Powell via Getty Images
フィギュアスケートは、壮大なジャンプとその衣装や芸術性で、多くのファンを生み出してきた。
ソチオリンピックの直前、私たちが愛した過去のチャンピオン達を振り返ってみよう。
真のスターだった8人のフィギュアスケート選手がいる。強さとガッツ、そして演技力で愛された少女と女性、当時の姿ともに現在の姿を見てみよう。
ペギー・フレミング: 過去
Art Rickerby via Getty Images
フレミングは3度世界チャンピオンに輝き、1968年のフランス、グルノーブルオリンピックで金メダルを獲得した。その年、アメリカが唯一獲得した金メダルだった。\nフレミングは、紛れもなくアメリカのフィギュアスケート界が輩出した最初のスケートセレブリティだ。\n
ペギー・フレミング: 現在
Matthew Stockman via Getty Images
スケートを辞めた後、フレミングは、何年かABCスポーツでカラーアナリストとして働いた。\n2児の母 (今は祖母でもある) でもある彼女は、フランスでの金メダル獲得から30周年に発覚した乳癌との闘病でも注目を浴びた。\nJacksonville.comに語った挑戦は、彼女の過去の経験から覚悟は出来ていたという。\n「オリンピックに1人では勝てない、1人で癌を治すことも出来ない」とフレミングは言った。
ドロシー・ハミル: 過去
Getty Images
「ウェッジ」ヘアスタイルという、典型的なボールをおしゃれに象ったような髪型を何千人もの間に流行らせた火付け役だった。ハミルは19歳の時、インスブルック(オーストリア)にて、1976年のオリンピックゲームで金メダルを獲得した後、全米を虜にした。プロに転身した後、彼女はIce Capades(アイスショー)の主役となった。また、5回連続ワールドプロフェッショナルのタイトルを手にし、いくつかのゴールデンタイムのテレビ特番で主演もした。
Advertisement
ドロシー・ハミル: 現在
Getty
ハミルは現在50代半ばで、オリンピックとフィギュアスケート殿堂の両方に選ばれたが、乳がんで闘病し、彼女は生涯の苦難との戦いについて語った伝記を執筆した。彼女は敬虔な博愛主義者で、昨年の『ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ』の競技者でもあった。しかし、怪我のため、早々に身を引かざるを得なかった。\n
カタリナ・ヴィット: 過去
DANIEL JANIN via Getty Images
冷戦の過渡期の中、ヴィットはオリンピックで連続して1984年、1988年に、その当時の東ドイツとして、金メダルを獲得した。全盛期、ヴィットは、フィギュアスケートを思うがままにしていた。世界チャンピオンに4度、ヨーロッパチャンピオンに6度、そしてナショナルチャンピオンに8度君臨した。その後、彼女は1988年にプロ転身した。それはベルリンの壁が崩壊する1年前の事であった。\n
カタリナ・ヴィット: 現在
Franziska Krug via Getty Images
彼女のウェブサイトによると、ヴィットは今アイスショーとテレビ特番をプロデュースするプロダクション会社を経営しているという。彼女はまたフィギュアスケートコメンテーターとしても、トップレベルの大会(例えば、オリンピックや、ワールドチャンピオンシップ等。)において活躍し、演技にさえも挑戦することもあるという。ベルリンカテドラルの2009年のショーでは、主役を演じた。他のスケート界のスーパースターたちと同様、ヴィットは今40代後半で、自叙伝を書き、慈善基金を運営していると、ウェブサイトには書いてある。
Advertisement
クリスティー・ヤマグチ: 過去
JUNJI KUROKAWA via Getty Images
ヤマグチは、1992年のオリンピックで金メダルを手にし、ほどなくペアからシングルに転身した。特筆すべきは、カリフォルニア出身の彼女は、生まれつき内反足で、スケートは子どものころにリハビリの一部として始めたものだった。
クリスティー・ヤマグチ: 現在
Adam Taylor via Getty Images
2002年にプロスケーターとしてのキャリアを終えたが、ヤマグチは現在40代となり、今でも「Always Dream」基金を運営し続け、様々な国家のスケート団体のためのスポークスパーソンとして活躍している。2006年には、第6シーズンを迎えた「ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ」で勝利し、また1つトロフィーを彼女のコレクションに加えることになった。
ナンシー・ケリガン: 過去
Chris Cole via Getty Images
あぁ、ナンシー。1992年のオリンピックで銅メダルを獲得した後 ( 同期のアメリカ人選手、クリスティー・ヤマグチが1位だった )、有名な話ではあるが、彼女はその2年後、ライバルスケーター、トーニャ・ハーディングの元夫により負傷した。膝を負傷させられたにも関わらず、マサチューセッツ出身の彼女は1994年、ヴェラ・ウォンの衣装で銀メダルを獲得した。
Advertisement
ナンシー・ケリガン: 現在
Elsa via Getty Images
オリンピックの後も、好調なウォルトディズニーワールドの支援やいくかのアイススケートショーでの主役といったように、ケリガンはとても人気があった。近年では、3人の子どもを持ち、40代半ばとなった彼女は、短い生中継の「Skating with Celebrities」やウィル・フェレルのスケート映画「俺たちフィギュアスケーター」に出演し、再び注目の的となった。\nトーニャ・ハーディングとナンシー・ケリガンのスキャンダルは、ESPNのドキュメンタリーがアメリカの反応と共にその出来事を再度検証した事により、近年再度スポットを浴びた。
オクサナ・バイウル: 過去
Bob Thomas via Getty Images
バイウルは1994年のリレハンメルオリンピックで、弱冠16歳で、ケリガンについに勝利した。 その前に、バイウルはワールドフィギュアスケートチャンピオンシップと、ウクライナナショナルチャンピオンシップで優勝をおさめていた。
オクサナ・バイウル: 現在
Mike Coppola via Getty Images
バイウルは現在30代で、2つの自叙伝を書いており、自身のウェブサイトによると、ジュエリーとスケートのアパレルブランドを立ち上げ、数々のスケートイベントにも顔を見せている。Wrapのレポートによると、彼女は最近、彼女の前のエージェンシーを訴えるという事でもニュースを賑わせた。\n
Advertisement
タラ・リピンスキー: 過去
Getty Images
弱冠15歳でリピンスキーは1998年の長野オリンピックで金メダルを獲得し、記録上、冬季オリンピックゲームで個人で金メダルを獲得した最年少の選手となった。
タラ・リピンスキー: 現在
Noel Vasquez via Getty Images
リピンスキーは15歳でプロになり、17歳でワールドプロフェッショナルチャンピオンを獲得した。しかしその後、臀部のけがにより、伸び悩むこととなる。リピンスキーはここ数年スケートコメンテーターで、次の冬季オリンピックのアナリストになる予定だ。31歳で、Extra TVの特派員でもある。
ミシェル・クワン: 過去
JEFF HAYNES via Getty Images
クワンは5度にわたりワールドチャンピオンとなり、1998年は( リピンスキーに次いで )銀メダルを獲得、2002年には銅メダルを手にし( 同期のアメリカ人サラ・ヒューズが1位を獲得)、アメリカのフィギュアスケート界で最も注目を浴びた選手となった。2006年、クワンは、ニューヨークタイムズには「10年以上にわたるアメリカのフィギュアスケートの顔」と呼ばれたが、悪化する怪我の為、最後に出場するつもりだったオリンピックから身を引いた。
Advertisement
ミシェル・クワン: 現在
Mike Coppola via Getty Images
2006年以降、クワンは、法律と外交の学士及び最終的には修士の学位を取るために学校に戻った。最近結婚をしたばかりで、33歳の今は国務省で、広報外交業務と広報業務の上級顧問として働いている。
ハフィントンポスト日本版はFacebook ページでも情報発信しています。
ハフィントンポスト日本版はTwitterでも情報発信しています。@HuffPostJapan をフォロー