沖縄県読谷村~日本最大の村の挑戦②~

国吉氏の事業が成功した裏には、塾1期生の強力な支援があった。
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この記事では、読谷村の村おこしで重要な役割を果たしてきた人々を取り上げたい。

村観光協会のホームページには、「汝の足元を掘れ、そこに泉あり」とある。沖縄学の始祖・伊波普猷が好んだニーチェの名言だが、そこに込められているのは、地域の潜在的な魅力を引き出そうする読谷村民の強い志である。

読谷村では、人材もまた「足元に」豊かに存在し、官民の連携による村おこしを支えてきた。読谷村教育長の松田平次氏によれば、同村民は伝統的に教育熱心で、たとえ貧しくとも、子どもにはできるだけ教育を受けさせようとする家庭が多いという。長い地道な教育の蓄積が豊富な人材を生んだのである。

<むらおこし塾の創始者:西平朝吉氏>

まず、西平朝吉氏を取り上げよう。西平氏は、長く読谷村商工会事務局長を務めた人物だが、知恵者・仕掛け人であると同時に、まとめ役でもあった。

1980年代、役場と民間の関係は疎遠であった。西平氏は、村の活性化には官民にまたがる人的ネットワークの創出が不可欠であることを痛感し、1991年、「むらおこし塾」を始める。役場や民間から40歳以下の意欲に燃える村民有志が集まり、講義と討論・懇親会、合宿などを行った。塾は、異業種の若手が本音で村の将来を熱く語り合う貴重な場となった。

塾は8期実施され、卒塾生は150名に上る。塾生の同期生意識は強く、卒塾後も定期的に会合を持ち、やがて、塾生ネットワークを活かして、さまざまなプロジェクトを立ち上げていく。その代表例が、1期生の国吉眞哲氏が開業した「体験王国むら咲むら」だ。

<体験型観光の先駆け:国吉眞哲氏

1993年、NHKの大河ドラマ『琉球の風』撮影用に、琉球王国時代の街並みを再現したオープンセットが読谷村に作られた。放送終了後、セットは、村役場、商工会を経て国吉氏に無償で貸し付けられた。当時、修学旅行が平和学習から体験へと移行しつつあることに着目した同氏は、施設を単純なテーマパークから体験型へと転換する。

「むら咲むら」では、琉球舞踊、陶芸、沖縄空手、マリン体験など100種類以上の沖縄文化を体験できる。沖縄ブームも後押しして、読谷村では有数の人気スポットになり、体験型観光施設の先駆けとなった。年間利用者数は22万人を超える。

国吉氏の事業が成功した裏には、塾1期生の強力な支援があった。施設の無償貸し付けに至る複雑な手続きを引き受けたのは、村役場で働く職員の同期生・石嶺傳實氏(現村長)たちであったし、「むら咲むら」を運営する企業への出資者の多くも、同期生であった。

<交流重視の教育民泊:大城光氏

塾4期生・大城光氏が代表を務める「ちゅらむら読谷」は、「教育民泊」を運営する。いわゆる「民泊」とは異なり、修学旅行生が村民の家庭にホームステイするものだ。

「よみたん民泊協力会」(以下、協力会)に所属するホストファミリーは、読谷村に関わる専門知識や得意分野を持つ。修学旅行生たちは、農作業、三線演奏、戦争跡地巡り、沖縄料理など、希望する体験ができるよう、各ファミリーに4~5名ずつ振り分けられる。

教育民泊が目ざすものは、生徒たちと村民との「交流」である。この民泊のために読谷村を訪れる修学旅行生は年間17,000人。民泊体験を通した読谷村民との交流の記憶は、参加者の心に深く刻まれ、その多くが読谷村を再び訪れる「リピーター」になる。

行政や観光協会は、広報や、民泊の初日に催される入村式での挨拶や会場提供、協力会が実施する研修への講師派遣など、協力会からの要請に応じて民泊事業に協力する。また、協力会員は、食材など必要な材料をすべて村商工会メンバーの店で購入するなど、村民に少しでも利益を還元するよう努めている。

<情報ハブのFMよみたん:仲宗根朝治氏

2008年開局以来、「FMよみたん」の社長を務める仲宗根朝治氏は、塾3期生である。同氏は、重要な情報が必ずしも村民全体に伝わっていないことを痛感し、村役場や商工会、塾同期生の支援を得て、2008年に㈱FMよみたんを設立した。開局当初から、このコミュニティ放送局は、交通情報や防災情報、イベント情報、観光情報など、村民にとって重要な情報を流し、村の情報ハブになっている。

「FMよみたん」の最大の特徴は、行政や議会と村民をつなぐパイプ役であることだ。村長は毎月1回、村会議員も全員が必ず年に2回、その他、話題によって適宜、役場の担当職員が、1時間のインタビュー番組に出演する。リスナーからの質問や意見も番組内で紹介され、双方向の放送になっている。

ほとんどの地方自治体では、行政と議員が住民全体に直接政策などを説明する機会は少ない。行政は政策の具体的な説明には消極的になりがちで、議員は自分の支持基盤とのみ情報交換する傾向がある。行政の事なかれと議会の形骸化が起きやすい所以である。読谷村では、FMよみたんが存在するため、役場と議会の説明責任と透明性が確保されている。

<行政と民間の関係:依存ではなく自助努力>

ここまで取り上げてきた3つの事業の共通点は、役場からの補助金に依存せず、自助努力の姿勢が明確であることである。また、読谷村役場も、民間を支援する際には、補助金などより、広報、手続き、アドバイスなど、間接的なサポートに重きを置く。官と民は、互いの役割と立場の違いを明確に認識しながら連携しているのである。

このように、読谷村役場が民間事業に直接関与することは少ないとは言え、重要な局面では村民支援のための労を惜しまない。かつて倒産寸前であった漁協の再建を主導したのは、村役場職員の山内嘉親氏(現ゆたさむら推進部長)である。消沈する漁協関係者を激励し、さまざまなアドバイスを提供して黒字化を実現した、役人らしからぬ役人・山内氏の姿は、読谷村役場を象徴するものである。

<岡目八目の御意見番:小平武氏

ところで、「挑戦①」で紹介したように、読谷村の人的ネットワークは、村外から移住してきた人たちにも開かれている。

中でも、東京出身でありながら、読谷村商工会の副会長、村観光協会初代会長を歴任した小平武氏の存在感は際立つ。同氏は、既に30年前から観光こそ読谷の生きる道であると提言してきた。同時に、地元民が大手資本の施設で奴隷のように働く「観光植民地」の危険性を指摘するなど、商工会・観光協会の「御意見番」でもあった。

<今後の課題>

ここで、読谷村が直面している人材に関する課題もいくつか挙げておきたい。

まず、若い人材の問題である。「挑戦①」と今回の記事で取り上げた多士済々の人材は皆50歳代~70歳代である。将来の読谷を背負う若い世代の人材育成が課題になっている。

次に、国際的な人材の必要性である。読谷村と観光協会は、将来を見据えて外国人観光客の誘致に動いている。だが、外国人観光客は言語だけでなく、マナー、食習慣、嗜好性が日本人とは異なる。国際的なマインドとスキルを持った人材育成は待ったなしである。

第三に、外資を含めた大資本の動向に詳しい人材の重要性に触れておきたい。読谷村は大規模投資の対象になってきており、豪華なホテルなどが建設されつつある。だが、このような宿泊施設が村民にとって新しい刺激となりプラスに作用するのか、あるいは、読谷村が「観光植民地」への道へ進むのか。大資本にしっかり対応できる人材が求められる。

今後、読谷村はこれまでとは違った困難に直面するかもしれない。だが、村民たちは、ともすれば大型公共工事の誘致や補助金獲得を志向する沖縄の風潮に流されず、知恵を集め、独自の道を切り開き続けるに違いない。

★参考

2018年5月18日(金)に放送された「FMよみたん」の番組のURL(YouTube)を下に記します。筆者(目黒博)が仲宗根朝治社長のインタビューを受けたものです。少し聞きにくい部分もありますが、ご視聴いただければ幸いです。