今、私の手元には「日本国 千円」と刻印されたメダルがある。まるで記念硬貨のような姿だが、財務省は「そんな硬貨は発行していない」と回答。あらゆる手段を講じて調べたが12月17日現在、このメダルを誰が何のために作ったのか、全く分かっていない。
この上は、博識な読者の皆さんのお力を借りるしかない。そう思って、この記事を書くことにした。もしこのメダルについて、何かご存じの方がいたら、筆者(kenji.ando@huffpost.jp)までご連絡ください。
「謎のメダル」を入手した人物に話を聞いた
私がこの「謎のメダル」を調査することになったのは、10月14日にTwitterに投稿された2枚の写真がきっかけだった。
都内のファミレスで10月中旬、この「謎のメダル」の写真を投稿した男性に会って話を聞くことにした。彼の名前は「ハリジャンぴらの」さん。メダルは2009年ごろ、都内のNPO法人で福祉関係の仕事をしていたときに入手したものだという。
「千代田区内の高齢者が引っ越す際の家財整理をNPOが手伝った際に、大量の古銭が見つかったんです。本人から依頼されてNPOで古物商で換金したのですが、どうしても2枚だけ引き取ってくれませんでした。それが、このコインです。そのままだと捨てることになりそうだったので、自分がもらいました。当時もネットで情報を探したが、全く情報がないので変だなあと思い、灰皿に入れて保管していました」
正体が分からないまま、10年が経った。「昭和65年発行の1万円硬貨」という実在しないコインが使われた事件をTwitter上で知人と話していて「そういえばうちにも謎のメダルがあったな」と思って、写真を投稿した。
「正体不明のものでもネット上の集合知で正体が解明できるのでは……」と思ったからだったが、全く手がかりが見つからず当惑しているということだった。
「知人からは1万円で譲ってくれとも言われましたが、貴重なのでそのまま持ってます」
重量感ある「謎のメダル」
筆者は数年前までノンフィクション・ライターをしており、「封印作品の謎」シリーズの単行本を何冊か出している。
話を伺ったところ、「ハリジャンぴらの」さんは「封印作品の謎」を愛読しているとのことで、「安藤さんなら、このメダルの謎を解明してくれると信じてます!」と熱い目線を注がれた。そして「1枚お貸ししますので、調査に使ってください」として、2枚のうち1枚を私に手渡した。これは責任重大だ……。
家に帰って、改めて「謎のメダル」を観察してみた。500円玉より一回り大きいサイズをしているが、もっと金色っぽい。重量感があり、ずっしりしている。
片方の面には青森県の下北半島の上に、青森県の県鳥「ハクチョウ」らしき物が飛んでいる図案が描いてある。上部には「日本国」、下部には「千円」と刻印されている。年号はどこにも書かれていない。
裏返すと、そこには石油コンビナートのようなコンテナや鉄塔が建ち並ぶ図案があった。その周囲に「むつ小川原国家石油備蓄基地開発記念」と刻印されている。どうも青森県内の石油基地に関するメダルのようだ。これだけ手がかりがあれば、特定はすんなり行くかも……と思っていたが、甘かった。
関係各所に聞いてみたが収穫ゼロ
まずは貨幣の発行を管轄する財務省や、メダルと関係がありそうな青森県などに聞いてみた。
「日本で発行された貨幣ではありません。そのため、千円の価値がある貨幣として使用することはできません」(財務省・通貨企画調整室)
「青森県がこのようなメダルを発行した記録は見あたりません」(青森県・エネルギー開発振興課)
「他の方からも問い合わせをいただいてますが、弊社が発行したものでなく、これに関する記録も残っていません」(むつ小川原石油備蓄株式会社)
想定はしていたが、日本で正式に貨幣として発行されたコインではなく、青森県が発行した記念メダルではないことも明らかになった。
こちらも手がかりなしだ。「謎のメダル」は、ネットオークションで何度か取引された形跡はあったが、市場ではほとんど流通していないようだ。都内の古銭商の鑑定士に見てもらったが「20年以上も鑑定してきましたが、こんな物は初めて」という返事だった。
高度経済成長期の国家プロジェクトが背景に?
八方ふさがりになってしまった。最後の手がかりとなるのは、メダルに記載された「むつ小川原」という文字だ。過去の新聞や雑誌を調べてみると、「むつ小川原開発」とは、青森県六ケ所村を中心とした地域に巨大石油コンビナートの建設を目指した国家プロジェクトだったことが分かった。
そもそもの始まりは、まだ日本が高度経済成長をしていた1969年にさかのぼる。政府が策定した「新全国総合開発計画」の中で、「陸奥湾、小川原湖周辺、八戸、久慈一帯に巨大臨海コンビナートの形成を図る」と定められた。
これを受けて1971年、国や県が出資する第3セクター「むつ小川原開発株式会社」が設立された。同社が六ケ所村の約5280ヘクタールに及ぶ広大な土地を買収し、進出する企業に売却することになった。
しかし、1973年と79年の石油ショックを受けて、想定されていた石油関連企業の誘致は頓挫した。広大な空き地が残されたが、国家石油備蓄基地(263ヘクタール)が1985年に完成している。核燃料をリサイクルする「原子燃料サイクル施設」も誘致された。
原野商法との関わりが?
むつ小川原開発に関する記事を調べている中で、気になる記述が見つかった。以下は、朝日新聞の1987年5月10日の東京版朝刊の記事からの抜粋だ。
核燃料サイクル基地など国の開発計画を宣伝に悪用し、青森県むつ・小川原地区の山林を高く売りつける商法の被害が、関西を中心に分かっただけでも約40億円にのぼることが、「悪徳土地取引被害救済全国連絡会」(代表世話人、甲斐道太郎大阪市立大教授ら)が9日、名古屋市で開いたシンポジウムで明らかにされた。
大阪に本社を持つ業者らが小川原地区の山林や原野を訪問販売で売り出したのは1980年のことだったという。当初は石油備蓄基地、その後は核燃料サイクル基地などの建設計画を挙げて「いい投資になる」と誘った。しかし、実際には開発対象から外れた利用価値のない土地を、相場の10倍から30倍の法外な価格で売っていたという。
もしかして……。と、ピンと来たことがあった。「謎のメダル」には「むつ小川原国家石油備蓄基地開発記念」と書かれている。ということは、石油備蓄基地のプロジェクトが開始しているが、施設が完成していない時期の物の可能性が高い。
そうなると、「謎のメダル」は、石油備蓄基地の建設が決まった1979年から、完成する1985年の間に作られたものではないだろうか。小川原地区の土地を売る原野商法をしていた業者が「こんな石油基地が完成して、記念貨幣も出ますよ」などの言葉で、記念品として詐欺の被害者に渡していた可能性もある。
私は1987年当時、むつ小川原の原野商法について調査した村本武志弁護士に取材したが、「残念ながらこれに関しては、情報を持ち合わせておりません」とのことだった。
もしこのメダルを通貨として使用した場合は通貨偽造罪に問われるのかと村本弁護士に質問したところ、以下のような返事だった。
「このメダルに関しては、誰がどう見ても“真正な通貨”と誤解する外形と品質とまでは言えないため、通貨偽造罪は成立しないと考えられます。ただし、通貨と誤解させるような使用法をした場合には、詐欺罪に該当する可能性はあると言えます」
――
このメダルについて、何かご存じの方がいたら、筆者(kenji.ando@huffpost.jp)までご連絡ください。