俳優の故石原裕次郎さんを支えた石原プロモーションの元専務、小林正彦さんが10月30日朝、虚血性心不全のため都内の病院で死去した。80歳だった。日刊スポーツなどが報じた。
三重県生まれで、日活ホテル入社。日活撮影所俳優課に異動。担当ではなかったが、裕次郎さんからたびたび応援に呼ばれるようになった。裕次郎さんが63年に石原プロを設立した後も、作品の製作担当として実務面の指揮をとった。
69年「栄光への5000キロ」でアフリカロケの準備などに奔走し石原プロ入り。「西部警察」などドラマの制作も手掛けた。
(石原プロ番頭、小林正彦さん死去 西部警察手掛ける - 芸能 : 日刊スポーツより 2016/11/03 09:56)
小林さんは「コマサ」の愛称で親しまれ、石原プロの「名物番頭」として活躍した。
2009年7月5日にあった裕次郎さんの二十三回忌では、国立競技場内に裕次郎さんが眠る横浜・総持寺の本堂を再現し、12万人のファンを呼び込む一大イベントを執り行った。
9月1日の退院を前に報道陣にVサインして元気な姿を見せる俳優の石原裕次郎さんと、石原プロの小林正彦専務(右)=東京・新宿区の慶大附属病院、1981年08月30日
俳優の故石原裕次郎さんの二十三回忌祭典で国立競技場で行われた法要を終え会場を後にする石原まき子さん(右端)ら。左端は舘ひろしさん(東京・国立競技場)撮影日:2009年07月05日
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