元プロレスラーで天龍源一郎さんとの名コンビ「龍原砲」で人気を集めた阿修羅原(あしゅら・はら、本名・原進)さんが4月28日、肺炎のため長崎県雲仙市の病院で死去した。68歳。スポニチなどが報じた。
ラグビー選手だった原さんは諫早農高―東洋大―近鉄とFWで活躍し、日本代表にも選ばれた。77年に国際プロレス入りし、78年6月29日の寺西勇戦で正式デビュー。リングネームは作家・野坂昭如氏から命名された。
国際プロレス崩壊後は全日本に参戦。天龍源一郎との「龍原砲(りゅうげんほう)」でPWF世界タッグ王座を獲得するなど、得意技のヒットマンラリアット、雪崩式脳天砕きを武器に一時代を築いた。だが、私生活の乱れにより88年11月に全日本を解雇された。91年にSWSで復帰。最後まで天龍と行動を共にし、94年10月29日に引退した。その後は母校の諫早農高でラグビー部のコーチを務めたが、3年半前に心筋梗塞を患い、闘病生活を送っていた。
(阿修羅原さん死去、ラグビー代表からプロレスへ…天龍と「龍原砲」 ― スポニチ 2015/04/29 05:30)
レスラーとして非凡だったが、日刊スポーツによると、素行に問題もあったという。諫早での全日本興行に穴をあけ、ジャイアント馬場さんの怒りを買い1984年に一時団体を離脱。1985年にフリーとして復帰したが、借金取りが会場に押しかける騒ぎを起こし、1988年に全日本を解雇された。
訃報を受けた天龍さんは、プロレス団体ノアの三沢光晴さんが2009年に亡くなった時にもコメントを出さなかったので「今回も辞退したい」としているという。
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