[ワシントン 2日 ロイター] - バラク・オバマ氏が2008年の米大統領選に出馬した際、海外における米国の戦争を終結させ、武力に頼らずに紛争を解決することを訴えた。
その意味で、2日にまとまったイランの核問題をめぐる枠組み合意は、オバマ米大統領にとって外交上、就任以来最大の成果だと言えるだろう。大統領の外交政策については、これまでのところ評価はまちまちだが、今回のイラン合意でレガシーを残すことができるかもしれない。
側近によると、オバマ大統領は就任以来の約6年間、アフガニスタンを除いて、イラン問題にもっとも長い時間を費やしてきたという。
米国内に目を転じると、共和党が上下両院で過半数を占め、次期大統領選も近づくなか、オバマ大統領が最後の2年間に国内政策に関して目覚ましい成果を上げることは難しい。こうしたなか、6月末までに最終合意にこぎ着ければ、オバマ大統領の立場は大いに強まるだろう。
イラクからの軍撤収(2011年)やシリア空爆見合わせ(2013年)では、オバマ大統領は国内の保守派から痛烈な批判を浴びたが、イラン核問題解決の最良の道は外交と考える信念は揺らぐことがなかった。
オバマ大統領は2日、イラン枠組み合意後に記者団に対して「議会が合意を無効にすれば、責められるのは米国だ。国際的な結束が崩壊し、対立が拡大する」とけん制。「米国民も理解している。だからこそ、国民の過半数はイラン核問題で外交的な解決を支持している」と述べた。
オバマ大統領は、米国と当時のソ連との間における核軍縮協議で功績のあったニクソン大統領、レーガン大統領を引き合いに出し、外交の重要性を強調。さらにケネディ大統領の名言である「恐怖から交渉をしてはいけない。しかしまた、交渉するのを恐れてもいけない」を引用した。
<オバマ外交の勝利>
オバマ大統領はイラン核協議で、側近らと定期的に連絡を取るなど詳細な部分にまで関与した。特に重視していたのは、イランが秘密裏に核兵器を開発しないよう、厳格な査察や監視体制を敷くことだったという。
その背景には北朝鮮の核問題をめぐる苦い記憶がある。北朝鮮は1994年、核開発プログラムの凍結などについて米国と合意(米朝枠組み合意)したが、その後、北朝鮮が密かにウラン濃縮プログラムを推進しているとの疑惑が濃厚となり、合意は実質的に崩壊した。
米政府高官は、今回のイランとの合意について「オバマ大統領は査察体制について、極めて詳細な部分にまで踏み込んで議論した」と述べた。
歴代の米政権下で外交官を務め、現在はランド研究所に所属しているジェームズ・ドビンズ氏は、敵国にも外交で臨むというオバマ大統領の姿勢の勝利だと話す。イランとの枠組み合意は「友人と話をするよりも敵と話す方が大切、ということの正しさを裏付けた」と述べた。
ただ、イランとの協議はこれで決着というわけではない。6月末をめどに最終合意をまとめ、イランがウラン濃縮制限などの条件を履行していることを確認し、欧米が制裁を解除するまでには紆余曲折が予想される。
イランとの協議で米交渉団のメンバーを務め、現在はブルッキングス研究所に所属するロバート・アインホルン氏は、オバマ大統領の外交の勝利を宣言するのは時期尚早と指摘、「(オバマ外交の)正当性が証明されたとはまだ言えない。あと数カ月は厳しい交渉が続く」と述べた。
(Arshad Mohammed記者 翻訳:吉川彩 編集:山川薫)