フェミニスト宣言のオバマ大統領が「女の子は控え目に」という偏見にNOを叫ぶ

ジェンダーの偏見は法律ですぐどうにかなる問題ではありません。だからこそ、オバマ大統領のようなリーダーが声高にフェミニストを公言し続けることが重要なのでしょう。
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オバマ米大統領が2016年8月4日、女性誌「グラマー」に寄稿した「これがフェミニストの顔」と題したエッセーが日本でも称賛の的になっています。

若い女性読者に向けてエールを送ると同時に、男性がフェミニストであることの重要性や、男女の固定観念に対してこれからもChangeしていかなければならないことを強く訴えており、大変素晴らしい内容です。

お隣のカナダでも昨年男性でフェミニストを公言するジャスティン・トルドー氏が首相に就任し、男女半数の内閣を実現しました。北米では政治家に限らず、男性のトップスターでもフェミニストを公言することは珍しくありません。

一方の日本ではどうでしょうか?残念ながらその気配すらありません。おそらく賞賛よりもバッシングのほうが多いようにすら思えてしまいます。

「女性活躍推進」という看板は掲げられてはいるものの、あれは現在のところジェンダー平等という人権的な観点から行われているものではないので、的外れと言えるでしょう。

なお、私もフェミニストを公言している男性の一人ですが、そのことを公言すれば「女に甘い男なんですね」のような返しが来ることも少なくありません。言葉の意味すらガラパゴス化してしまっているのです。

そのような日本と、政治家や芸能界のトップたちがフェミニストを公言しているアメリカを見比べていると、江戸時代にサスケハナ号に乗っているペリーを見て衝撃を受けた時からアメリカとの差は何も変わっていないのではないかとすら思えてしまいます。

また、このエッセーはどれも素晴らしいものばかりですが、「女の子は控え目に、男の子は積極的に育てようという姿勢は、ハッキリとものを言う女の子や涙を流す男の子を批判することであり、changeし続けないといけない」というフレーズには大変共感させられました。

彼が言うように、この「女の子は控え目に、男の子は積極的に」という偏見が、女性のパワーを削ぎ落し、自己肯定感や自己効力感を傷付ける一方で、男性のことも「男らしさ」という鎧に依存させてしまっており、共依存的でジェンダー不平等な社会を温存する一翼を担っていると考えられます。

先日もちょうど小旅行で足湯に寄った際に、熱がって入れない小さな男の子に対して「もう!男の子でしょ!?」って叱っていた親がいました。

このような誤ったジェンダー教育が男の子を男のプライドで塗りたくられた「ザ・オジサン」に育て上げ、女の子から自己効力感やチャレンジ精神を根こそぎ刈り取ってしまっているのです。

この偏見は法律ですぐどうにかなる問題ではありません。だからこそ、オバマ大統領やトルドー首相のようなリーダーが声高にフェミニストを公言し続けることが重要なのでしょう。

日本でも是非とも彼等のようなキーパーソンを登場させるために、機運を盛り上げて行く必要があると思います。

これに対して、民間部門においても、この偏見に対する取り組みが僅かではあるものの始まっています。

たとえば、ユニリーバでは「女性が自分への自信と自己肯定感を高め、自信の可能性を最大限に発揮できるようにする」ことを目的に、各種ワークショップを行う「ダヴ セルフエスティーム・プロジェクト」というキャンペーンを展開しています。

私も一度参加しまたが、大変有意義なワークショップで、参加者の人たちのイベント後の笑顔がとても印象的でした。

また、私自身も「すべっちゃう女子会」という企画を、株式会社MANABICIA代表の池原真佐子さんと一緒に始めることになりました。

SNSが発達して他人に良い顔を見せるコミュニケーションが中心になる中で、本当は他人には普段見せていない失敗こそが人を成長させる重要な経験ではないかと考え、自分の失敗をお互い披露し合って称え合い、受け入れ合おうという試みです。(※第1回は8月11日(木)に開催されます)

まだ取り組みは始まったばかりですが、「女の子は控え目に、男の子は積極的に」という偏見を解消するには政治だけでは解決できない問題です。今後も様々な取り組みが生まれて行く必要があるでしょう。

理想の社会の実現に向けて志を同じくする人たちと協力して行くと同時に、私も「I am a feminist」を声高に叫び続けて行こうと思います。

(2016年8月9日「勝部元気のラブフェミ論」より転載)