今年10月、『30代の働く地図』と題する本が出版された。全労済協会が2017年6月から1年をかけて開催した「これからの働き方研究会」の成果をまとめたものだ。研究会の主査であり、本の編者である玄田有史東京大学教授は「若者の働くことへのイメージが急速に変わりつつある。希望を持って働いていくためには何が必要なのか。その道標を求めて議論を重ねた」と振り返る。さて、どんな道標が示されたのか。玄田教授と神津会長が語り合った。
若者の「働く」現状とは
「働くことが怖い」
村上 玄田先生は、若者の「働く」をめぐる現状をどう見ていますか?
玄田 まさにそこが「これからの働き方研究会」の出発点なのですが、若者の働くことへのイメージが急速に変わりつつあると実感する出来事があったんです。
私は、研究が中心の社会科学研究所の所属なので、学部生とはふだんあまり接点がないんですが、3年前から去年まで法学部と経済学部で労働経済を教えることになりました。授業の感想や質問には必ずメールで答えるようにしていたのですが、多くの内容に驚かされた。「いつから働くことがこんなに怖いことになったのか」と...。ちょうど東大を卒業して電通に入社した高橋まつりさんの過労自殺が明らかになったりして、学生たちは他人事とは思えなかったのでしょう。寄せられるメールからは、「働くことが怖い」という思いが強烈に伝わってきた。
村上 恵まれている立場であるはずの東大生が、働くことが怖いと...。
玄田 衝撃でしたね。私が若者の研究を始めた1990年代は、「やりたいことが見つからない」「自分らしく働きたい」という悩みが多かった。2000年代に入ると、厳しい雇用情勢を背景に、職場に「居場所がない」「誰からも必要とされていない」と悩みが深刻化していきましたが、今やブラック企業や過労自殺など、働くことにまつわる悲惨な報道に毎日のように接する中で、若者は「働くことが怖い」という不安を抱えるようになっている。
そんな時、全労済協会から「これからの働き方研究会」へのお誘いをいただきました。現状については、メンバーの中でもいろいろな意見がありましたが、それは若者自身の問題というより、そう思わせている会社や社会全体の問題ではないかという認識を共有して研究会をスタートしました。村上総合局長にも、佐藤博樹中央大学教授とともに講師として参加していただきました。
村上 とても有意義な経験になりました。労働組合も、若い人たちとの接点を広げようと努力してきましたが、会長は、若者の現状についてどう考えていますか?
揺らぐ安心社会の基盤
神津 連合寄付講座などで学生と接して感じるのは、みんなすごく真面目だということです。鋭い質問を受けて考えさせられることも多い。真面目だからこそ、「働くことが怖い」というのも、今の職場や社会の状況への素直な反応だと思います。でも、そういう状況をつくってしまったのは、私たちの世代の責任です。
私が子どもの時は、日本が高度経済成長期を迎え、今日より明日は良くなるという豊かさ、将来への希望や安心を当たり前に感じることができた。ところが、ここ20年は、賃金も物価も上がらないデフレになって安心社会の基盤が大きく揺らぎ始める。非正規雇用が急増し、長時間労働が深刻化し、セーフティネットの脆弱さがあらわになったのに、それにどう対処するかというビジョンがいまだ明確に示されない。そんな現状が、若い人の気持ちの持ちようにつながっているのだと思います。連合は、2010年に「働くことを軸とする安心社会」を発表しましたが、それはまさに安心社会の基盤を再構築しようという提言なんです。
玄田 神津会長は、もし、若い人に「安心って何ですか?」と聞かれたら、なんとお答えになりますか。
神津 一言でいえば、「我慢しなくてすむこと」かな。やはり不安だから我慢してしまう。ブラックな職場で働き続けてしまうのも、辞めた時の不安が大きいからでしょう。でも、「安心」の一つの基盤である雇用のセーフティネットがきちんとあれば、我慢しなくても、安心して次のチャレンジができる。
村上 玄田先生なら、なんと答えますか?
玄田 安心とは、「なんとかなるという見通しを持てること」でしょうか。
社会科学研究所では、2005年から「希望学」を始めました。21世紀に入って、「希望が持てない」という人が増え、データでもそれが裏付けられた。そこで、「希望とは何か」というところから研究をスタートしたのですが、「将来、絶対大丈夫」と思えることを希望しても、現実にはむずかしい。人生にはいつ何が起きるかわかりません。災害も頻発する。そういう中でも、最悪の事態は防げるという見通し、なんとかなるという手応えを持てることが、今の時代では「希望」につながると思います。それはすべて自力でということではない。「あそこに相談に行けばなんとかなる、助けてくれる」と思えれば、希望も見えてくる。
神津 「なんとかなる」というのは、見通しを持ってそう思えるということですね。
玄田 そうなんです。沖縄に「なんくるないさ」という言葉があるでしょう。何もしなくてもいいという意味だと思われているけど、そうじゃない。一人ひとりができることを精一杯やれば、あとは神様が見ていてくれるという意味だそうです。
もう一つ、「希望」と「働く」ことは、密接につながっていることも発見しました。秋田県の藤里町は、人口3000人ほどで高齢化率4割の過疎の町です。介護事業を担う社会福祉協議会が、お年寄りに「心配なことは?」と聞いたところ、「子どもがひきこもっている。自分が死んだらどうなるのか心配でたまらない」という相談をいくつも受けた。実態を調査すると、その数100人以上。放っておけないと、カラオケ大会や卓球大会を企画したんですが、誰も出てきてくれない。ところが、社協が臨時アルバイトを募集すると、応募してきた人がいた。ひきこもっていても、本当は「働く」ことを求めているのだとわかって、働ける場をつくる取り組みを始めました。そば打ちやお年寄りの買い物サポートの仕事などを通じて、ひきこもっていた人たちは「自分は社会で必要とされている」と実感できるようになり、地域の宝になったんです。
神津 働くことを通じて、生きがいを持ち、社会に参加していく。まさにそこが連合の「働くことを軸とする安心社会」の最大のポイントでもあるんです。
玄田 働くことが怖いという若者に対して、「こうすれば大丈夫」という答えはない。でも、働く上での道標や地図のようなものがあればと思ったんです。地図には、答えは書いてないけど、どこに進めばどこにたどり着くのかは見通せる。
村上 そうでしたね。研究会では、「こうでなければ」という議論ではなく、「こっちにも行ける」「こんな考え方もある」という話をしながら、「働く地図」が描かれていきました。
神津 人生のある時期、時には道に迷いながらも、あちこち歩いてみるのは大事なことだと思います。
玄田 最近はスマホのナビ機能で、最短ルートが瞬時に検索できて、地図なんて古くさいというイメージがあるかもしれません。でも、地図には、ルートを自分の判断で選べる自由がある。思いがけない人や場所との出会いもあるかもしれない。
職業人生を自分の足で歩き続ける人たちのために、これからどんな通りや場所が現れてくるのか、その「働く地図」を示せればと、この本を編集しました。
これからの「働き方」の道標とは?
人生の選択を迫られる30代
村上 さて、その道標についてですが、ターゲットを「30代」にしたのは?
玄田 働く基本姿勢の転換は30代が握っていると考えたからです。30代は、仕事でもプライベートでも、転機となるさまざまな選択を迫られる年代。職場では、中堅として、若手とベテランの間で仕事が集中する。20代に身につけた経験や知識を武器に転職や独立を考えたり、勉強をし直したいと考える人もいるし、結婚や出産など人生の大きな選択も集中する。また、今の30代が社会に出た2000年代は、日本の伝統的雇用システムが大きく揺らいだ時期。若者に広がる働くことへの不安を払拭するには、今の30代が、前を向き、充実した職業人生を歩んでいく姿を見せることが大事だと考え、その新たな挑戦や選択のために必要な情報を「地図」にしようと考えたんです。ところで、会長の30代はいかがでしたか。
神津 20代の終わりに労働組合の役員になって、30代前半で「連合アタッシェ(外務省との間の官民交流の一環で外交官として在外公館に派遣される労働組合役職員)」として、バンコクの日本大使館に家族とともに赴任しました。主な仕事は、NGO向け小規模無償援助。スラムの生活改善、山村の井戸掘り、幼稚園建設など、人々の暮らしに密着した援助を担当して、「援助」とは決して「与える」ものではないと知りました。多くの得難い経験をしましたが、何より日本という国を外から見ることができて良かったと思っています。
玄田 私は、30代で初めて本を書いたんですが、30代って、良い意味でも悪い意味でも、自分の限界や立ち位置が見えてくる時期だと思うんです。簡単に夢を諦めるなとも言われますが、限界に向き合うことで、仕事や人生の戦略を立てられるようになる。弱みを認識することで強くなれる。
神津 若い人たちが「働くのが怖い」と思うのは、完璧じゃないと認められないと思い込んでいるからかもしれませんね。でも、人間誰しも弱点はある。互いに認め合えば、人間関係もうまくいく。
玄田 おっしゃる通り、限界を自覚することのもう一つの意味は、同じく限界を有する人々への共感と配慮の広がりを持てるようになることなんです。
村上 『30代の働く地図』で特に伝えたかったことは?
玄田 ぜひ全編お読みいただきたいのですが、いくつかポイントを紹介します。
「働き方改革」については、単に労働時間削減だけでなく、時間の使い方や自由度や選択幅を広げるなど、時間の質の改善こそ重要だと投げかけました。
「新しい働く場所」への道標も提示しました。転職、副業、兼業、さらに「テイラーワーカー」と呼ばれる、柔軟かつ短時間の新しい働き方について、その課題と可能性を示しました。
報酬と教育訓練については、実践的な短期講座を活用し、今の仕事に足りないスキルを速やかに補うことが、賃金を増やす効果を持つことも提案しました。これは非正規雇用で働く人たちにとっても、希望の持てる事実です。職場の労働組合活動については、村上さんが執筆されています。
働き方の見直しを実現するには、労使のコミュニケーションがますます重要になる。それが今回の研究会における最大の発見でした。
村上 研究会で働き方改革についてお話しする機会をいただきましたが、長時間労働の是正も、非正規労働者の処遇改善も、やはり職場のコミュニケーションが大事だと申し上げました。労使はもちろん、同じ職場で働く人たちが互いに知り合う横のコミュニケーションが職場のいろいろな力を引き出してくれると...。
神津 連合は10月から、適切に36協定を結ぼうという「Action!36」キャンペーンをスタートしました。36協定は、締結にあたって業務量の棚卸しや人員体制、労働時間管理について、労使で話し合うことにこそ意味がある。広く社会にアピールするために、3月6日を「36(サブロク)の日」として日本記念日協会に登録申請し、認定されました。
玄田 なるほど。まさにコミュニケーションを深めようという運動なんですね。
村上 最後に労働組合に期待することは?
玄田 村上さんが執筆した第11章に、非正規労働者から「労働組合に入ったら何をしてくれるの」と聞かれた組合役員が、「それを一緒に考えましょう」と答えたという話があります。私も、希望学の中で、「してあげる」というスタンスではダメだと気付かされたんですが、労働組合はそのことにとっくに気付いていたのだとうれしくなりました。
労働組合への期待は10数年来、変わっていません。「ウィーク・タイズ(緩やかなつながり)」を広げてほしいということ。労働組合って「一致団結!」のストロング・タイズのイメージが強いのですが、実は職場や職種を超えて横にも緩くつながれる組織。自分がモヤモヤと思っていたことを、みんなも思っていたと発見できる、そんな誰にでも開かれたつながりの場であってくれることを期待しています。
村上 ありがとうございました。
※この記事は、連合が企画・編集する「月刊連合12月号」をWEB用に再編集したものです。