ここ数年、AI(人工知能)が大ブームになっている。テーマにした本がベストセラーとなったり、毎月のようにメディアで特集が組まれたりと話題の中心になっている。
ところがよくよくみると、議論はAIが人の仕事を奪うのか否か、言い換えれば、やってくる未来はバラ色か悲観かといったところに終始している。
NTT研究企画部門のトップにして、工学博士号を持つ川添雄彦氏はこう断言する。「すべてのテクノロジーは問題を解決し、人間の生活を豊かにするためにあります。『次の時代』のキーワードは感動です」
一体、どういう意味なのか? 現場の第一線を知り尽くした技術者の言葉から、楽観と悲観を超えたリアルな未来像が見えてくる。
――AIやICTという言葉が広がり、技術の進化とどう向き合えばいいのか。楽観論と不安論が交錯しています。
川添 1998年にNTTは一つの夢を叶えました。それは腕時計型の携帯電話です。昔のSFや特撮なんかで使われていた「未来の技術」を象徴するような電話でした。世界中から人が集まるウィンタースポーツの祭典のなかで、運営スタッフがそれを使って通話する姿を見たときに、これが技術者が見たかった光景なのだと思ったものです。
そこからさらに技術は進化していますが、本質的な考え方は変わっていません。
小型のデバイスに様々なファンクション(機能)を詰め込むこと。そして、人と人が伝えたいメッセージをいろいろな形でやりとりするということです。
進化の最たるものがスマートフォンです。1998年の時点ではアプリという言葉はまったく使われていなかった。20年後に誰もがスマホを当たり前のように使う時代がやってくると予想していた人もほぼいないですよね。
それが今はどうでしょうか。みなさん、どこでもインターネットにつながりスマホを持っていることが普通になりました。
今後の技術的進歩もいまスマホをつかってやっている情報収集やメールの送受信、メッセージのやりとり......。こうしたものが今後、ますます便利になっていくと考えればいいと思います。
より具体的に言えば、こんな方向性になるのかなと思います。
まず、アプリの存在を意識せずにしたいことが遂げられる「アプリフリー」です。例えば「あの人に何かを知らせたい」という思ったとき、どのアプリをどう操作するかを意識しなくても相手にメッセージが伝わるようになる。無駄な選択や操作を減らしていく方向に時代は向かっていくでしょう。
そして、今よりもはるかに早いWi-Fiにどこでも自動的に接続できるようになる時代もやってきます。より手間を省き、インターネットに接続して、誰かに何を伝えるということが簡単になっていくということです。
技術に対する不安というのはいつの時代もつきものですが、変化があっても人間がやりたいことの本質は変わっていないということが大事なのです。
――AIの進化はどう考えたらいいのでしょうか?
自動翻訳の技術で考えればわかりやすいと思います。10年前と比べて、自動翻訳の技術は格段に進歩しています。特にここ数年の進歩はみなさんも体感しているのではないでしょうか。
今の技術で進歩しているのは、答えが一つしかないAIです。自動翻訳も微妙なニュアンスを別にすれば「正しい訳」があり、それを提示してくれる技術です。私は、答えが一つしかないAIはいずれ各社でさほど変わらないといったところまで進歩すると考えています。
今は差があるように見えても、基本的な考え方やディープラーニング(深層学習)といった機械学習の手法は同じです。自動翻訳はこれからも発達していき、海外旅行もすべて日本語で話すだけで問題ないといった時代がやってきます。答えが一つしかないAIは私たちが日常的に使う技術となって、生活に溶け込んでいくでしょう。
NTTもスマホのインターフェースに使われる音声認識技術で世界1位という評価をいただいていますが、これもディープラーニング(深層学習)を使ったものです。今後も高精度化が進んでいくことは間違いないと考えています(http://www.ntt.co.jp/news2015/1512/151214a.html)。
答えが一つしかないAIはいずれ各社で変わらない精度になると予測しているという話をしました。次に大事なのは、本当に差を生む技術は何か?という問いです。時代は次へと向かっています。
――それは何だと考えているのでしょうか。
感動を生むAIです。言い換えれば、答えが複数ある複雑な問題について人間の思考を助けるAIです。
例えば、和食の朝食って美味しいですよね。ご飯があって、お味噌汁があって、アジの干物や海苔、梅干しがある。これって何で美味しいかといえば、味のないご飯を自分で味をつけながら食べていくからです。口中調味と呼ばれているものですね。
ご飯をアジで食べて、咀嚼しながら味噌汁を飲む。次は梅干しで......といった感じで食べて、「わぁ美味しいな」と感動するわけです。
これがAIと何が関係あるのかといえば、人間は単一の情報を得て感動するわけではないということがわかるからなんですね。
和食の朝ごはんのように複数の情報を組み合わせることによって、人間は感動する。情報を組み合わせるとは、自分でストーリーを作ることです。人はストーリーに感動すると言うことができるでしょう。
私はAIやICTといった技術の究極的な目標は人間が幸福に生きることを支えることにあると考えています。
味の記憶というのは忘れがたいものです。私の父は認知症患者で、直前に食べたものをすぐに忘れてしまうのです。ところが祖父の仕事の関係で、父が幼少期を過ごした台湾で食べたビーフンの味は覚えていて「あぁあれをまた食べたいなぁ」と言うことがあります。
私は食×ICTの研究にも興味があるのですが、それは認知症患者の記憶をテクノロジーから支えるといったことができると思っているからなのです。記憶というのは不思議なもので、父もそうですが直近のものを忘れても過去の感動を覚えながら生きている。
認知症だから忘れていくのは仕方ないと考えるのではなく、複雑な体験から生まれる感動をどう記憶するのか、それを再現できないのか。どのような技術でそれは可能になるのかを考えていく。そこが大切なのだと思っています。
――感動を生むテクノロジーというと、他にどのような分野で開発が進んでいくと考えられますか。
私はあるフィギュアスケーターがトップレベルの大会で披露した演技に感動したんです。
彼女はいろんな思いを込めて臨んだ集大成の大会で、前半のショートプログラムで大きく出遅れてしまった。それにもかかわらず後半のフリーで会心の演技を披露して、最終的には6位になりました。彼女のフリーの演技に感動したという人は世界中でも多かったと思います。
では、私たちは何に感動したのでしょうか。目の前の演技だけではなく、彼女が子供の時から歩んできた道のり、大会に賭ける思い、ショートプログラムの失敗というストーリーを共有していたからこそ感動したんですよね。
たとえ失敗して、メダルまで挽回できない差がついていたとしても目の前の演技に全力で取り組むという姿に感動したという人もいるでしょう。これもストーリーを組み立てて感動しているのです。
世界中の人もアスリートの姿から何らかのストーリーを読み取り感動する。ここにヒントがあります。
――スポーツで感動というと日本人選手がメダルを取ったというところがフォーカスされがちですが......
そういうことだけで終わらせるのはもったいないですよね。例えば世界中からトップアスリートがやってくる。会場に入ると、例えばスマホに自動的に目の前の選手が過去にどんなストーリーを持っているか、情報が表示される。
コンパクトにまとめた動画が流れてくる、テキストで情報がはいってくる。複雑な情報を自動的に組み合わせて、目の前の競技をより楽しめるテクノロジーというのも可能になるでしょう。
アスリートへの技術支援も研究が進んでいくでしょう。AIやICTの進化で、個々人に最適化された練習プログラムを組んでいくことができるかもしれない。
ちょっと想像してみましょう。決して恵まれた練習環境があるとはいえない国に生まれたアスリートに技術的なサポートをする。そのアスリートが成長し、世界の大舞台に挑戦していく過程をまとめた情報が競技場にいる人たち、テレビなどで観戦する人たちに届く。国を超えて多くの人が感動すると思うのです。
テクノロジーが進化することで、自国選手を応援するというストーリー以外でもよりスポーツを楽しめるようになる。国境を越えて選手のストーリーを共有して、幅広く楽しめる。自国偏重ではなく、スポーツそのものを楽しむ、アスリートその人を応援するという流れが作れると思うのです。
――だからこそ、人はなぜ感動するのか。どういった記憶、情報を組み合わせてストーリーを作るのか。その研究が必要になる。
その通りです。感動を生むテクノロジーというのが次の競争のステージになると思います。私はテクノロジーというのは、人を不幸にするためではなく、人の生活を豊かにするためにあると考えています。
記憶や複数の情報を組み合わせて生まれる感動を忘れない、再現するというのが大事になると考えているのもそのためです。
認知症だから、恵まれない環境に生まれたからで選択肢を消していくのではなく、テクノロジーでより豊かに生きていくことをサポートしていく。
いろいろな考え方をもった人々が、笑顔で健康な暮らしができる社会というのが一つのコンセプトになるでしょう。そのような社会を実現するには、まだまだ今のコンピュータ性能の延長線上には解けないような課題があります。
問題は多岐にわたり、複雑です。感動を生むテクノロジーを、笑顔で健康な暮らしができるテクノロジーを作っていくのは人間でしかできないのです。
次の競争が生まれる研究はまだまだ始まったばかり。私たちも「これから」が楽しみです。