北方領土「共同経済活動」に蠢く「期待」「計算」「疑心暗鬼」--名越健郎

秋葉剛男外務審議官とモルグロフ外務次官による本交渉が3月中旬に東京で始まる。

成果に乏しかった昨年12月のプーチン・ロシア大統領の訪日で、唯一のサプライズが北方4島での共同経済活動に向けた協議開始だった。

「特別な制度」を協議する秋葉剛男外務審議官とモルグロフ外務次官による本交渉が3月中旬に東京で始まる。

ロシア側は当初、ロシアの法律の下で実施すると牽制し、交渉難航が予想されたが、ここにきてハードルを下げつつあり、早期合意を目指したい構えだ。背景には、ロシアの財政難や北方領土開発の難度の高さがありそうだ。

「日本人は兄弟姉妹」

プーチン訪日について、モスクワでは「プーチン外交の大勝利」(イズベスチヤ紙)、「G7の制裁による封鎖を突破」(コメルサント紙)、「日本資本を極東に引き込み、中国資本の影響力を抑制」(ベレンジエフ・プレハノフ経済大学准教授)などとシニカルな見方が多かったが、極東では日露関係進展を前向きに歓迎する見方が支配的だった。

サハリン州選出のカルロフ下院議員は「日露関係は関係拡大の新段階に入った。日本の投資、技術をサハリン州に誘致することが発展に弾みをつける」と歓迎。

極東の知事らも「82の経済協力文書のうち、6つはヤクート(サハの旧名)にかかわるもので、サハ共和国は日露関係改善で積極的地位を占めたい」(ボリソフ・サハ共和国首長)などと手放しで評価している。

地元メディアによれば、サハリン州では首脳会談をめぐる円卓会議が開かれ、「プーチン大統領は日本で極めて温かく歓迎された」「サハリンは水産加工、養殖、林業、エネルギーなど日本の高い技術の進出を待ち望んでいる」といった意見が出された。

長年北方領土に居住したプロトニコフ・ユジノサハリンスク市議会副議長は席上、「私は南クリル(千島)の住民を代表して話したい。

クリルの住民は今、日本のプレゼンスを受け入れる用意がある。住民は日本人を兄弟姉妹のようにみなしている」と述べ、共同経済活動への期待を表明した。

「トロイの木馬」

サハリン州当局は4島での共同経済活動に向けて、日本人の受け入れ準備を進めている。

プーチン訪日後の12月17日、大統領に同行したサハリン州のコジェミャコ知事は都内で、高橋はるみ北海道知事と会談し、「われわれは南クリルでのプロジェクト実現に向け、日本企業が参加する機会を提供する用意がある。

日本人を島に受け入れる準備を始めており、高橋知事がまずビジネスマンらと南クリルに来てほしい」と述べた。

高橋知事は「共同経済活動は政府の管轄」とかわしたが、サハリン州は既に、共同経済活動に関する提案をロシア外務省に提出し、同省と協議を重ねている。

サハリン州では2年前、ホロシャビン前知事が巨額の収賄で逮捕され、連座した州幹部が大量に失脚した。秋田犬を2匹飼い、日本名を付けているコジェミャコ知事は、前知事と違って親日的発言が目立つ。

ウラジオストクのヤコブチュク・イノベーション発展研究所所長は地元メディアで、「共同経済活動では、日本企業に対して広範な優先権やアクセスが与えられるだろう。

ロシアの法律に従うというのは建前で、実際には日本に特恵的な条件が与えられ、いずれ島の日本化が進むだろう」と述べ、「特別な制度」の協議でロシアが譲歩するとの見方を示した。

これに対し、保守派の間には警戒感が強く、コシキン東洋諸国大学教授はネットサイトの「REGNUM」で、「経済力でロシアをしのぎ、財政も豊かな日本は数年内に島の全経済を手中に収めるだろう。

日本人居住区を作り、ロシアの主権を奪ってしまうだろう。クリルを日本に明け渡すプロセスとなりかねない」とし、「クリルにおけるトロイの木馬」と警告した。 

「不正腐敗」に消える開発予算

サハリン州が共同経済活動に熱心な背景には、連邦政府が財政難を理由に、クリル社会経済発展計画への支出を今年から3年間停止する方針を示したことも影響している。

ロシア政府は15年7月、07年に始めた同計画が15年で期限切れとなるのを受けて、計画を25年まで延長。新計画の総予算も700億ルーブル(約1368億円)と前計画の280億ルーブル(約547億円)を大幅に上回った。

政府はこのうち4割を連邦予算から支出するとしていたが、経済苦境に伴う地方交付税縮小などから3年間の支払い停止を決めたようだ。

連邦予算凍結方針が12月20日、サハリン州議会の委員会で報告されると、議員らは沈黙し、凍りついたという。

議員の間で、「この20年間で初めてのことだ」「日本が助けてくれるだろう」といったやりとりがあったという。

その後、連邦政府は今年度分については8億ルーブル(約15億6000万円)を支出すると伝えたが、連邦政府が北方領土開発に対する関心を低下させているのは明らかだ。この数年続いた複数の閣僚の北方領土視察も、16年は1度も行われなかった。

サハリン州政府は北方領土のインフラ建設について「既にいくつかのプロジェクトが資金不足に陥っており、計画は見直しを強いられている」と報告した。

連邦政府が支出縮小を決めたのは、開発予算が地元の不正腐敗に消えていることへの懲罰という意味合いがあるかもしれない。

国後、色丹、歯舞を管轄するソロムコ南クリル地区長が昨年11月、公共工事をめぐる不正の疑いで捜査当局に拘束され、職務執行停止となった。ブイシロワ地区議会副議長も通貨密輸容疑で逮捕された。

「サハリンインフォ」(16年11月30日)によれば、サハリン州検察当局は14-16年の3年間で、クリル発展計画の支出に際して、60件以上の不正行為を摘発し、17件を立件。

裁判所の審理で20人が懲戒処分となり、うち16人は50万ルーブル(約98万円)以上の罰金を科せられたという。

これらは氷山の一角とみられ、巨額の開発資金がロシア特有の不正腐敗に消えている可能性が強い。島に進出する日本人が、こうした不正に巻き込まれる可能性もないとはいえない。

未知の実験

大統領訪日時に発表されたプレス向け声明によると、両首脳は関係省庁に対し、4島周辺での漁業、海面養殖、観光、医療、環境などの分野で共同経済活動の条件、形態の調整に関する協議を開始するよう指示し、共同経済活動が「平和条約の締結に向けた重要な一歩になり得る」と明記した。

ロシア側では、外務省、極東発展省、サハリン州、税関当局などがチームで準備を進めている。

日本側でも、共同経済活動の具体策を協議する省庁横断の「共同経済活動関連協議会」の初会合が2月7日に開かれ、座長の岸田文雄外相が準備を急ぐよう指示した。協議は3月中旬から断続的に開かれる見通しだ。

在京ロシア筋は、「共同経済活動は島を協力と平和の土地にする雰囲気づくりを進めるものだ。まず具体的に小さなプロジェクトから始め、大きなものにつなげたい。最初に何をやるかを決め、それから制度を作ればいい」と述べ、先にプロジェクトの協議から入る考えを示した。

日本側は、日本の法的立場を損なわないよう、先に法制度を整備したい構えで、このあたりで難航するかもしれない。

ロシア側は1998年に合意された4島周辺での漁業協力の枠組みを発展させたい意向だが、陸上での共同経済活動は難題が増えそうだ。保守的なロシアの税関や国境警備隊が抵抗勢力になるとみられる。

仮に4島で共同経済活動が進んでも、それが領土帰属問題の解決にどうつながるのか不透明だ。戦後初めて日本人、日本企業が4島に進出する共同経済活動は、未知の実験場となる。(名越健郎)

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名越健郎

1953年岡山県生れ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長を歴任。2011年、同社退社。現在、拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授。著書に『クレムリン秘密文書は語る―闇の日ソ関係史』(中公新書)、『独裁者たちへ!!―ひと口レジスタンス459』(講談社)、『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。

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(2017年2月27日フォーサイトより転載)

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