謎の国、恐ろしい国、自由のない国。そんなイメージでよく語られる北朝鮮にも人々の暮らしがあり、喜怒哀楽にあふれた日常の営みがある。写真家、初沢亜利さんの写真集「隣人。38度線の北」(徳間書店)には、色眼鏡ではうかがい知れない隣国の表情があふれている。
初沢さんに聞いた。
――なぜ、北朝鮮の写真集を出そうと?
隣の国で独自の政治体制を構築している国がある。ちょっと見てみたい、そんな当たり前の市民感覚ですよ。
2002年、日朝首脳会談を契機に拉致問題のニュースがあふれましたよね。見ていて発した違和感が発端です。世の中が急激に右傾化していて、ナショナリズムが高まり、そんな世論が形成されていく。結果として反北朝鮮になっていくのも、単に面白がって敵対視して済む話ではないだろうと。
北朝鮮の本はたくさん出ている。文章で読んで知識はわかっても感覚ではとらえられない。言葉では形式的なことしか言わないし、言わせても無理がある。写真がいちばん効果的に伝えられる、写真で見せるのに最も適している気がしました。
10年たった2012年に写真集を出そう、と目標を立てたんです。2002年だとまだ、日本社会は聞く耳を持たないだろうけど、10年たてば日本の世論も一定の落ち着きを見せているだろうと思ったから。
――北朝鮮の写真や映像は、それまでにもいろいろありましたが?
どれも一面的な気がしました。頭の中で「北朝鮮はこうだ」という前提に立っている。実際に見て、感じて撮っていない。ジャーナリズムと言われているにも関わらず、行く前のイメージが先行し、その中で撮っている。もったいない気がしました。当時、テレビでも、市民が楽しそうにしている映像が使えないという話を聞いて、ニュートラルに人々の生活が見てみたいと思ったんです。
それに、マスコミが伝えるのと同じ方向で撮っても仕方ないと思ったんです。それでは個人で国家に向き合う意味がない。市民が反北朝鮮感情を持っている中で、ニュートラルに姿を伝える。とりあえず、触れあって、戯れて、自分の目で見てシャッターを押してみようと。
――入国は難しいのでは?
朝鮮総連に企画書を持っていきましたけど、そもそも本国につなぐことすらしない。大学生に本を送るボランティアの団体にまぜてもらって最初に訪問したのが2010年でしたが、私だけ「カメラ持ち込み禁止」が条件でした。行く意味あるのか、と悩みましたけど、迷った末、カメラを持たずに行った。受け入れ先からは「本当に持ってこないとは思わなかった」と驚かれましたね。
でもそこからは、連日飲みニュケーション。拉致問題も核問題も語り合いました。表現の自由も思想・心情の自由もない国です。むろん、彼らだって「100%幸せです」とは思ってない。政治の不満や日常の不満、語りたくても語れないことがあり、どうにもならないあきらめがある。やがて打ち解けてくると「次回はぜひ、撮影に来て欲しい」とOKが出たんです。
――現地に行っても、好きなものを撮れるわけではないですよね。
常に「案内人」という名の監視役がついて、訪問許可が出たところを回るわけです。単独行動はできません。1回の撮影旅行で、60万円近いお金がかかります。何も撮らせてくれなかったらどうしよう、という不安は常にありました。朝こっそり、案内人の目を盗んで一人で出かけていって撮ろうか、と、毎日のようにベッドの中で考えました。でもそれでは信頼が崩れて、写真集の企画自体が流れかねない。
意に沿わない写真を見せて撮影対象に制限がかかったらどうしよう、という懸念もありましたが、とにかく前半は突っ込まず、あえて撮らないこともありました。我慢を続けながら、明日の取材範囲を広げていこうという心理戦でした。
信用してもらうために、データを見せることもありましたよ。トラックの荷台に載っている人や、地面に座り込んでいる人々の写真に顔をしかめることはありましたけど「消せ」とは言われませんでした。
撮らせてくれる範囲を広げる駆け引き、プロセスは魅力的でしたね。特権階層だけが住んでいる平壌だけ撮っても仕方ないと思っていたので、地方も回りたいと話していましたが、4回目でようやく、認められました。
写真家としての一つの実験でもありました。信頼関係のない国家に出向いて、どこまで関係を埋められるか。信頼を積み重ねた実験そのものです。
――この写真集を通じて訴えたいこととは何でしょうか。
僕は男ですから、女性の素朴さや恥じらいといったものが、気になって仕方ない。そんな、とっても自然なことをやっているだけ。
そんな、普通の人が生活しているということに気づいた上で、そこから今までの北朝鮮報道はなんだったのか、北朝鮮への固定観念を問い直して、あるべき日朝関係に思いをはせてほしい。隣にある国は、排除して済む問題でない。安全保障や拉致を抱えているが故に、きちんと見ないといけない。排除するほど国家としてリスクを高めることにしかならない。思考停止せず、対話できる必要性に気づいて欲しい。
10年たって、突っ走ってきた反北朝鮮感情で、拉致問題の解決は一歩も前進しなかった。忍耐強く、粘り強く、相手の都合をある程度理解しないと、忍耐は生まれない。彼らから見れば、中国とアメリカの核に囲まれ、不安な思いで過ごしている。「分かろうとしているんだな」と思ってくれれば、相手も気持ちを開いてくれる。信頼関係の深まりはすてきなこと。外交でも本当は必要なことじゃないかなと思います。
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