北朝鮮「ミサイル発射」の衝撃(下)総参謀長も処刑「恐怖政治」続く

北朝鮮指導部は決して「一心団結」の状態ではなく、恐怖統治による不安定化の兆候をみせている。
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朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は2月9日に、光明星4号の打ち上げ成功を祝う平壌市軍民慶祝大会が2月8日に市民、軍人約15万人が参加して行われたと報じた。

同紙は、この報道の中で、この大会に参加した幹部を「金永南(キム・ヨンナム)、黄炳瑞(ファン・ビョンソ)、朴奉珠(パク・ポンジュ)、金己男(キム・ギナム)、崔泰福(チェ・テボク)、朴永植(パク・ヨンシク)、李明秀(リ・ミョンス)、楊亨燮(ヤン・ヒョンソプ)、金元弘(キム・ウォンホン)、金英哲(キム・ヨンチョル)、郭範基(クァク・ボムギ)、呉秀容(オ・スヨン)、金平海(キム・ピョンヘ)、盧斗哲(ロ・ドゥチョル)、趙然俊(チョ・ヨンジュン)、金永大(キム・ヨンデ)」の順番で報じた。

李永吉総参謀長も処刑か

北朝鮮ウォッチャーはこの出席者名を見て奇異な感じを受けた。党政治局常務委員の金永南最高人民会議常任委員長、黄炳瑞軍総政治局長、党政治局員の中で上位幹部の朴奉珠党書記、金己男党書記、崔泰福党書記までは順当だった。その後に軍幹部の名前が来るのも通常だが、朴永植人民武力部長に続いて、李永吉(リ・ヨンギル)総参謀長の名前がなく、引退したはずの李明秀大将になっていたからだ。

北朝鮮軍部のトップ3のポストは軍総政治局長、人民武力部長、総参謀長だ。通常、李明秀氏の名前があった序列には総参謀長の名前があるはずだ。李永吉総参謀長が解任され、李明秀大将がカムバックして総参謀長に就任した可能性が出てきた。そして、北朝鮮の各メディアは2月21日、金正恩第1書記が軍の訓練を視察したことを報じる中で、李明秀氏を「朝鮮人民軍総参謀長で陸軍大将の李明秀同志」と紹介し、李明秀氏が軍総参謀長に就任したことを確認した。

韓国の聯合ニュースは上記の大会が報じられた翌日の2月10日、複数の対北消息筋の話として、2月初めに李永吉総参謀長が「宗派分子および勢道・不正容疑」で処刑されたことが明らかになったと報じた。韓国の各メディアも一斉に同じように報じた。おそらく、ニュースソースは情報機関の国家情報院筋であろう。

昨年5月ごろに粛清、処刑された玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力部長に次ぐ粛清、処刑である。金正恩第1書記は昨年秋ごろから、更迭した幹部を復帰させたり、階級を降格させた軍幹部を元の階級に戻したりするなど権力安定化の傾向をみせていた。しかし、李永吉総参謀長の処刑が事実なら、金正恩第1書記が依然として「恐怖統治」を続けているということになる。

「党内に残る勢道と官僚主義」を集中的に批判

これで注目されるのは2月2、3の両日、平壌で開催された「朝鮮労働党中央委員会と朝鮮労働党朝鮮人民軍委員会の連合会議拡大会議」である。党機関紙「労働新聞」など主要メディアは2月5日にこの連合会議の開催を報じた。この会議は1月6日の核実験、そして2月2日に国際海事機関(IMO、本部ロンドン)へ人工衛星打ち上げを通告した直後の開催であったが、この連合会議では核実験や人工衛星打ち上げについてはまったく言及されていない。

李永吉総参謀長処刑を明らかにした消息筋は、処刑時期をこの連合会議前後としている。連合会議での討議内容を見ると、この会議が李永吉総参謀長の粛清と密接に関係していると考えられる。

北朝鮮で「党中央委員会」と「党朝鮮人民軍委員会」が連合会議を開催するのは初めてで、それだけ深刻な課題があったということだ。「党朝鮮人民軍委員会」というのは、朝鮮人民軍内部にある党組織である。

「労働新聞」は、この連合会議で「党内に残っている特権と特勢、勢道と官僚主義が集中的に批判され、これを徹底的に克服するための課業と方途が提示された」と報じた。

金正恩第1書記はここで「全党、全軍がわれわれの一心団結を破壊し、むしばむ勢道と官僚主義を徹底的になくすための闘争を強力に展開していかねばならない」と強調した。

この上で、金正恩第1書記は「全軍に最高司令官の命令一下、1つになって動く革命的軍風を打ち立て、党の命令、指示を最短期間内に最後まで遂行しなければならない」とし、「人民軍隊は最高司令官が指し示す1つの方向だけに進まねばならない」と強調した。軍は「党の軍」であり「首領の軍」でなければならないという方針の貫徹を求めた。

この会議では核実験もミサイルも人工衛星も討議されていない。ひたすら軍内部の党の方針、最高司令官の方針貫徹を要求した会議であった。

この日の連合会議では演壇の上には向かって左から金己男党書記、趙然俊党組織指導部第1副部長、郭範基党書記、黄炳瑞軍総政治局長、金正恩第1書記、崔龍海(チェ・リョンヘ)党書記、金英哲党書記、呉秀容党書記、金平海党書記、金京玉(キム・ギョンオク)党組織指導部第1副部長の11人が並んだ。

黄炳瑞軍総政治局長だけが軍服だった。崔龍海党書記は革命化教育を受けて復帰したばかりだが、金正恩第1書記の横に座り存在感を示した。党書記に就任したばかりとみられる金英哲氏も人民服姿で注目されたが、これについては後述する。

ここで強調された「勢道」とは派閥のことであり、張成沢(チャン・ソンテク)党行政部長の粛清の際にも使われた粛清対象への非難の用語だ。玄永哲人民武力部長の粛清の際にはこうした会議は招集されなかったが、玄永哲人民武力部長に続く、李永吉総参謀長の粛清で生まれる軍内部の動揺や不満を抑え込むための会議であったとみられる。

「連合会議で緊急逮捕された李永吉総参謀長」

韓国の北朝鮮専門サイト「デイリーNK」は2月11日、平安南道の消息筋の話として、李永吉総参謀長はこの連合会議で緊急逮捕されたという衝撃的な話を報じた。平壌の4.25文化会館で開かれた連合会議で、「反党、反革命分子、李永吉を逮捕せよ」という命令で、金正恩第1書記の護衛警察である「蒼光保安署」の要員が一般席の前方に座っていた李永吉総参謀長に駆け寄り、手錠を掛けて連行したという。逮捕されたのは、李永吉総参謀長ら数人の将校だった。この平安南道の消息筋は、この連合会議に参加した幹部から詳しく聞いた話とした。

この消息筋によると、この会議には約6000人が参加したが、一部の参加者たちは何のために開かれた会議なのかよく分からないまま出席していたという。大多数の参加者は総参謀長が連行されていく姿を見て、不安と恐怖に襲われた。消息筋は、李永吉総参謀長は普段、党でだけ活動してきた崔龍海党書記(前軍総政治局長)や黄炳瑞軍総政治局長、趙然俊党組織指導部第1副部長らの党幹部が、急に軍の階級章を付けて軍を統率することに不満を漏らしていたという。こうしたことを理由に「軍に対する党の領導を拒否した罪」を着せられたとした。彼の罪として「党の唯一的領導体系」と「唯一的領軍体系」に背く「特権と特勢、勢道と軍閥官僚主義」が挙げられたとした。

張成沢党行政部長が、2013年12月に開催された党政治局拡大会議の場で、その罪状を挙げて批判され連行されたように、李永吉総参謀長が粛清されたという話である。

野戦軍人の粛清と、金正日時代の幹部のカムバック

李永吉総参謀長の粛清が深刻なのは、李永吉氏は玄永哲人民武力部長と同じように、金正恩第1書記自らが登用した軍幹部であったことだ。

李永吉氏は1955年生まれ。60歳を過ぎたばかりで、高齢者の多い北朝鮮の軍幹部では比較的若い方だ。2002年に中将に昇進し、2003年には南浦地域を担当する第3軍団長になり、2012年には中部戦線を担当する第5軍団長を務めるなどした野戦軍人だ。

このころから金正恩第1書記の評価を受け、2013年には総参謀部作戦局長に起用され、同年に総参謀長に就任した。金正恩第1書記の現地指導など公式活動にもしばしば同行した。2014年には党政治局員候補にも選出された。韓国統一部の統計では、金正恩第1書記の公式活動への同行は、2013年は第7位で43回、2014年には第4位で42回、2015年も第5位で28回と、金正恩第1書記の信任が厚い軍幹部とみられていただけに、北朝鮮軍部に与える衝撃は大きいとみられる。

金正恩第1書記が今年元日に錦繍山太陽宮殿を訪問した時にも同行した。しかし、北朝鮮が1月6日に4回目の核実験を行い、1月10日に報道された、金正恩第1書記が人民武力部を祝賀訪問し演説を行った際にこれに参加したのを最後に、北朝鮮メディアで名前が報じられていなかった。

先に粛清された玄永哲人民武力部長も軍団長などを務めた野戦軍人だった。北朝鮮軍部は現場で訓練された野戦軍人と、軍総政治局などの勤務の長い政治軍人の2つの潮流がある。政治軍人の方が世渡りが上手な側面があるが、北朝鮮では「軍への党の指導」は当たり前のことである。特に金正恩政権になりその傾向が強まっており、李永吉総参謀長がそうした雰囲気を知らなかったはずはない。彼の容疑は、彼を排除しようとした勢力によってつくられた可能性もある。

一方、新たに総参謀長に起用された李明秀大将は金正日時代に、玄哲海(チョン・チョルヘ)、朴在京(パク・ジェギョン)両氏とともに金正日総書記の現地指導に最も頻繁に同行した「軍人3人組」の1人である。1934年2月生まれの82歳で、2000年に大将に昇格し、2007年に国防委員会行政局長、2011年4月に人民保安部長に就任したが、2013年2月に解任された。ミサイル部門に精通した軍幹部といわれ、金正恩第1書記の核・ミサイル重視路線で、いったん引退した李明秀大将を現場に再起用した可能性が指摘されている。

金英哲氏の党書記就任確認

本サイトの「北朝鮮『対南担当』は誰に(下)韓国が恐れる強硬派『金英哲』就任も」(2016年2月3日)で指摘したように、金英哲偵察総局長が軍服を脱いで、党書記に就任していることが確認された。

朝鮮中央通信は2月11日、「ラオスを訪問する朝鮮労働党書記、金英哲同志を団長とする朝鮮労働党代表団が11日、平壌を出発した」と報じ、金英哲氏の党書記就任を確認した。しかし、朝鮮中央通信は金英哲氏がどの分野を担当する党書記かについては言及していないし、党統一戦線部長に就任しているかどうかにも言及していない。

上記の報告で書いたように、金英哲氏は南北関係に精通した軍人である。その意味では、この党書記就任というのは、党中央委書記兼党統一戦線部長であると思われる。ただし、気になるのは対南(韓国)担当の党書記がなぜラオスに党代表団を率いて行くのかという疑問だ。偵察総局長なら軍同士の交流もあるだろうが、対南担当書記がラオスを訪問するというのにはやや違和感がある。しかし、現在、国際担当党書記の姜錫柱(カン・ソクチュ)党国際部長はガンで闘病中であり、同氏の代わりにラオスを訪問した可能性はある。

これに先立ち、先述のように、朝鮮労働党中央委員会と朝鮮労働党朝鮮人民軍委員会の連合会議拡大会議が2月2、3日の両日、平壌で開催された。この連合会議で金英哲氏は、人民服姿で座っていた映像や写真が報じられた。金正恩第1書記の左隣に崔龍海氏が、その隣に金英哲氏が座った。金正恩氏の右隣に座った黄炳瑞軍総政治局長が次帥の階級章を付けた軍服姿であったことを考えれば、金英哲氏が偵察総局長から労働党の幹部に転出したことを示唆していた。

さらに党機関紙「労働新聞」は2月9日に、光明星4号の打ち上げ成功を祝う平壌市軍民慶祝大会が2月8日に市民、軍人約15万人が参加して行われたと報じる中で、この大会に参加した幹部の名前を先述のように報じたが、金英哲氏の後に名前のある郭範基党書記、呉秀容党書記は政治局員であり、この序列からすれば金英哲氏は政治局員クラスに遇されている。昨年末の金養建(キム・ヤンゴン)党統一戦線部長の死亡にともなう国家葬儀委員会の序列では金英哲氏は52番目だった。しかし、国葬委で序列14位だった金元弘国家安全保衛部長と15位だった郭範基党書記の間に入ったことを考えれば、金英哲氏の序列が昨年末の52位から15位に急上昇したといえる。

しかし、2月15日に行われた金正日総書記の誕生74周年の慶祝中央報告大会では、金英哲氏の名は政治局員候補の金平海党政治局員候補の後にある。これをみれば党政治局員候補の扱いだ。軍部から党書記に起用され、まだ序列が安定していないとみられる。 

核・ミサイル発射の陰にある権力内部の葛藤

これまでの動きを見てみると、金正恩第1書記は昨年10月30日に36年ぶりの第7回党大会開催を発表した時点で、4回目の核実験、事実上の長距離弾道ミサイルの発射を決意したとみられる。昨年10月の党創建70周年に中国共産党の劉雲山常務委員の訪朝で修復に向かうとみられた中朝関係を一時的に悪化させても、党大会への成果として「水爆」「人工衛星」を強行した。しかし、その内実は、第4回目の核実験ではあっても「水爆」とはみられず、「衛星」を軌道に乗せたが、前回と同じように信号は発信されていない。しかし、それを「完全に成功」と包装し、金正恩第1書記の指導力強化にひた走っている

金正恩第1書記は、党大会で自らの権力基盤を固めるために、敢えて国際的な孤立の道を選び、国内的な統制を強化している。

しかし、その権力内部の構造は盤石ではない。第4回目の核実験を準備していたのに、その核実験の担当部署である党軍需工業部の部長は金春燮(キム・チュンソプ)氏から李萬建(リ・マンゴン)平安北道党責任書記に交代し、引退したとみられる朴道春(パク・ドチュン)氏が再び軍需工業部門にカムバックした。

そして、年末に穏健派とみられた金養建党統一戦線部長が交通事故で死亡、軍部の強硬派とみられて、工作機関のトップだった金英哲偵察総局長がその後任の対南担当書記兼党統一戦線部長に就任したとみられている。

軍部では現場を知る野戦軍人である李永吉総参謀長が「勢道と軍閥官僚主義」の罪名を着せられ粛清、処刑されたのがほぼ確実だ。

北朝鮮指導部は昨年8月の韓国との「8.25合意」以降、馬園春(マ・ウォンチュン)国防委設計局長や韓光相(ハン・グァンサン)前党財政経理部長ら解任された幹部が復権し、階級を落とされた軍人が元の階級に戻るなど「安定化」の傾向を見せていた。崔龍海党書記も解任され、革命化教育を受けたがすぐに復権した。しかし、それも一時期の流れだった。10月末に党大会開催を決めると、再び、金正恩第1書記の指導力強化のための「恐怖統治」へと戻っているようだ。

4回目の核実験やミサイル発射の陰で、北朝鮮指導部は決して「一心団結」の状態ではなく、恐怖統治による不安定化の兆候をみせている。その中で特に憂慮されるのは、金正恩第1書記に「外交」を助言する有力幹部がいないことだ。父の金正日総書記は挑発路線を取りながらも着地点を考え、局面展開を図る術を知っていた。しかし、この30歳を超えたばかりの最高指導者の不安定性に世界が振り回されている。

この不安定な最高指導者に「制裁」だけで、有効な対応ができるとも思えない。閉鎖国家では外部からの「圧力」や、その結果としての「孤立」は独裁者の権力をより強化する。犠牲になるのは人民だ。国際社会も一方的な圧力や、一方的な対話ではなく、複合的なアプローチが求められているように思う。

平井久志

ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。

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(2015年2月23日「新潮社フォーサイト」より転載)