本日はノーベル文学賞の発表があって、残念ながら村上春樹ではありませんでした。ものすごく好きという訳ではないのですが、彼は自分でも翻訳を手がけているので、自分の作品が翻訳されて世界中で読まれることを最初から想定した文章を書いているという点において、ノーベル賞を取れるのかどうかが興味深いと思えるので。
さて、自然科学系の3賞のうち、今年は物理学賞について3名の日本人(より正確に言うなら、2名の日本人と、1名のアメリカ国籍を有する日本出身の方)が受賞され、これで19名となってオランダより多くなったはずですが、人口を考えれば、ドイツの健闘が著しいですね(図は下記のサイトより引用)。
Here's A Beautiful Visualization Of Nobel Prizes By Country Since 1901
LEDを利用した青色発光ダイオードは、確かに街中にあふれているので、たまにはそういう「わかりやすい」ノーベル物理学賞も必要だったのかもしれません。
ここ10年くらいの生理学医学賞と化学賞は、どっちがどっちなのか、というところもありますが、今年の化学賞が「超高解像度の蛍光顕微鏡技術の開発」に対して授与されたのは、2008年に下村脩先生がオワンクラゲから緑色蛍光タンパク質を発見して、それが世界中の研究室で分子や細胞の標識に用いられるようになったことと類似の方向性のように思います。下村先生が発見したのは、1つの分子でしたが、その価値は、マーティン・チャルフィーおよびロジャー・チェンによる遺伝子操作技術と合わせて広い応用面があったことによって高まったものでした。1993年のキャリー・マリスも、ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)という、これまた分子生物学の研究室であれば、どこのラボでも日常的に行う技術の開発です。
分子の構造決定に用いられるX線回折法は、例えば1962年のジョン・ケンドリューによるヘモグロビンの構造決定にも用いられましたが、1964年のドロシー・ホジキンがペニシリン、ビタミンB12、インシュリン等の構造決定を行ったことで受賞対象になりました。比較的新しいところでは、2003年のロデリック・マキノンがカリウムチャネルの構造決定によりノーベル化学賞を授与されました。同様に、高分解能NMR技術の開発により、1991年にリヒャエル・エルンストが、なぜか田中耕一さんと同じ2002年にクルト・ヴュートリッヒが(再度?)NMR技術で授賞していますね。
つまり、有用な、汎用性の高い技術開発は受賞対象になる確率が高いと思います。
今年の生理学医学賞は「脳内の位置把握に関わる細胞の発見」に対して、ジョン・オキーフ博士、メイ=ブリット・モーゼル博士およびエドワルド・モーゼル博士に 与えられました。昨年、2013年は小胞輸送、2012年はリプログラミング(初期化)、2011年は自然免疫と、神経系での授賞は2004年のリチャード・アクセルとリンダ・バック以来、10年ぶりということになります。
オキーフ博士が1970年代に提唱し始めたのは海馬の中に「場所細胞 place cells」が存在するということでした。二次元空間の特定の位置をラットが通過するときに、海馬の中の特定の細胞が発火するという発見は、当時、斬新なものとして受け止められたことと思います。
「記憶における海馬の重要性」という意味であれば、オキーフ博士とともに、有名な患者HMについての報告を行ったカナダのブレンダ・ミルナ−博士 (右の画像は、Wikipediaから拝借。TEDxMcGill2011のときのもの)が共同受賞となる、という選択もありえたのではないかと思います。
委員会はそうではなくて、モーゼル夫妻を共同受賞者にした訳ですが、彼らは海馬と繋がっている嗅内野という部分に着目し、場所を認知してナビゲーションする細胞が、六角というか三角というか、そういう格子状に並んでいるらしいことを突き止め、そのような細胞にgrid cellsという名前を付けたのでした。
ちなみに、オキーフ博士は2012年に仙台を訪問されていました。「脳と心のシンポジウム」という国際シンポジウムで講演され(残念ながら所用により聞き損ねましたが)、その後、松島などを訪問されたようです。(松島遊覧船でカモメにはしゃぐオキーフ先生の画像は東北大学電気通信研究所の坂本一寛さんのFacebookから借用させて頂きました)
場所の認知とその記憶、そしてその想起は、まだ二次元から三次元に理解を広げる必要があると思いますが、個人的には四次元に繋がる「時間の認知・記憶・想起」が面白いと、ずっと思っていました。すでにイムノグロブリン遺伝子の組換えによりノーベル生理学医学賞を授賞されている利根川進博士は、理化学研究所・脳科学総合研究センターのセンター長でもありますが、マサチューセッツ工科大学(MIT)にも研究室を持っておられ、海馬の機能についての研究を展開されていますが、直近でScience誌に発表された論文 では、時間の記憶に関わる特殊な細胞が嗅内野にあるのではと考え、この細胞群を「島細胞 island cells」と命名しておられます。ちなみに、この論文の筆頭著者は北村貴司さん です。
時間の認知・記憶にはいろいろな単位があります。東北大学の虫明元教授らは、運動の制御という観点から秒単位の時間を測る細胞が大脳皮質の運動野の一部に存在しているという内容をNat Neurosci誌に発表 されました。私自身はもう少し長い単位の時間の認知・記憶に興味を持っています。例えば、カケスは4時間前に隠した餌と、124時間(つまり5日以上前)に隠した餌を区別して覚えているということが報告され、鳥も過去についてのエピソード記憶を持つらしいと考えられています(Clayton & Dickinson, Nature, 1998 )。では、未来についての時間感覚はどうなのでしょう? 子どもが小さいうちは、「明日」くらいしかわからないのに、だんだんと「一週間」や「一ヶ月」「一年」という長さが理解できるようになり、もっと抽象的な「将来」まで人間は考えられるようになりますが、動物ではどうなのでしょうか?
もちろん、同じような興味を抱く研究者は他にもいます。大阪大学の北澤茂教授は、文部科学省の支援による新学術領域「こころの時間学」 というプロジェクトを立ちあげ、認知科学だけでなく、心理学や言語学、哲学の分野の研究者まで巻き込んだチームで「時間」の認知のされ方について解き明かそうとチャレンジされています。今後の展開がとても楽しみです。
(2014年10月10日「大隅典子の仙台通信」より転載)