【ノーベル賞】物理学賞を受賞した赤崎勇氏・中村修二氏・天野浩氏ってどんな人? 青色LEDを発明

2014年のノーベル物理学賞に、日本人の赤崎勇氏、中村修二氏、天野浩氏の3名が。青色発光ダイオード(LED)の発明によるもの。この発明によって、寿命が長く低消費電力のLEDで、白色を出すことができるようになり、照明機器やスマートフォンに使われる液晶パネルなど、さまざまな分野に技術革新をもたらした。
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時事通信社 / Getty AFP

10月7日、2014年のノーベル物理学賞に、日本人の赤崎勇氏、中村修二氏、天野浩氏の3名が選ばれた。青色発光ダイオード(LED)の発明によるもの。この発明によって、寿命が長く低消費電力のLEDで、白色が開発できるようになり、照明機器やスマートフォンに使われる液晶パネルなど、さまざまな分野に技術革新をもたらした。

LEDとは発光ダイオード(Light Emitting Diode)の3つの頭文字を省略したもので、電気を流すと発光する半導体の一種です。

LED単体の歴史を見ると、1960年代に赤色と黄緑色LEDが開発されて以来、早い段階から表示用光源として実用化されてきました。

その後1993年に以前とは明るさのレベルが違う青色LEDの開発、緑色の開発により光の3原色が揃い、夢かと思われたLEDの白色化やフルカラー化が現実のものになりました。

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ノーベル委員会は、発表資料の中で「LEDは、安価な地域の太陽光発電でも使える光源。発電所の能力不足で電気の恩恵を受けられない世界15億人以上の人々に対し、生活の質を向上させることに寄与した」とその業績をたたえている。

赤崎氏は鹿児島県出身。京都大学理学部卒。神戸工業(現・富士通)、名古屋大学助教授、松下電器産業を経て1981年名古屋大学工学部教授、92年名城大学理工学部教授。青色発光ダイオードの基礎技術を開発した。優れた発明に贈られるエジソン賞も受賞している。青色LEDの発明のキーとなる物質、窒素ガリウムの研究について以下のように語っている。

窒化ガリウムは、青色LED実現の有力候補として、世界中の研究者が取り組んで来ましたが、高品質の単結晶の作製が極めて困難であるため、多くの研究者が中止したり、他の材料の研究に転向して行きました。私たちが81年に、当時としては注目すべき成果を国際学会で発表した時も全く反応がなく、「我一人荒野を行く」心境でした。そのころ、出席者の誰一人として、窒化ガリウムに関心を持つ人がいなくなっていたのでしょう。しかし、私は、たとえ一人になっても、この研究をやめようとは思いませんでした。

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中村氏は1954年生まれ、愛媛県出身。カリファルニア大学サンタバーバラ校教授。日亜化学工業の元社員で、青色発光ダイオードの特許にからみ、日亜化学工業と裁判で争ったことでも知られる。研究中の日々について、インタビューで以下のように語っている。

「毎日ですね、午前改良して午後反応をみるというのを1年半必死にやって、1年半後、90年の10月にできたのが2フローMOCVという独自の装置。当時一番良くて100だった移動度で200という結晶が出来たんです。高いほどいい結晶なんですよ。その時は最高に嬉しかったんですよ.。世界一というのは初めてで非常に喜びました。」

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天野氏は1960年生まれ、静岡県出身。名古屋大学教授。名大時代に赤崎氏の元で青色LEDの開発に携わった。武田賞の授賞式において、研究テーマに青色LEDを選んだ理由として、次のように語っている。

なぜ青色発光ダイオードを選んだのかということをまとめますと、まず一番大切なことは、その当時誰も成功していなかった。非常にチャレンジングなテーマであったということです。要するに自分が一番になれる可能性があるということですね。それから、テーマ自体が最終製品に近いので、非常にわかりやすかったんです。これを作ればみんなの役に立てるという気持ちがありました。これは理由もないんですが、私は、とにかく何か人の役に立つことをしたいと思っていました。そのような観点に立つと、青色発光ダイオードが最も魅力的なテーマに映ったわけです。

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赤崎氏は受賞後、記者会見で以下のように述べている。

完全にサプライズで、これ以上の名誉はないと思っています。これまでの私のいくつかの職場を渡り歩いていますが、とりわけ、松下電器の東京研究所と名古屋大学、そして今お世話になっている名城大学など、皆さんの大きなサポートのおかげだと思っています。この場を借りて感謝申し上げます。

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