長崎から世界へ 届け、平和のメッセージ ノーベル平和賞候補者・谷口稜曄さん 原爆を背負い続けて70年

2015年はノーベル生理学・医学賞科学賞と物理学賞で日本人が受賞し、列島が湧く中、例年以上に平和賞に注目が集まっている。ジュネーブに本部を置くNGO「国際平和ビューロー(IPB)」は長崎の被爆者の谷口稜曄さん(86)をノーベル平和賞に推薦した。
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前田真里

「ただ怒りだけですね」

長崎の被爆者、谷口稜曄(すみてる)さん(86)は、安保法可決を受けてこう語った。今年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典での谷口さんの"平和への誓い"が思い起こされる。安倍首相の前で「今、集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め戦時中の時代に逆戻りしようとしています。政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者をはじめ平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので許す事はできません」と安保法を批判した。この言葉を聞いて2度、会場から大きな拍手が沸き上がった。

式典でこうした光景を見たのは、初めてだった。その拍手から長崎の人たちの憤りが伝わってきたような気がした。県内の病院で一緒に式典の中継を見ていた私の祖母(93)も戦後を振り返り、「政治家は、いい事ばっかり言うけれど、これまで暮らしてきた人達は、たまったもんじゃないよ」と声を荒げた。安保法が可決後もなお、9月、ニューヨークやパリなどで同法に反対する集会が開かれている。

今年は、ノーベル生理学・医学賞科学賞と物理学賞で日本人が受賞し、列島が湧く中、例年以上に平和賞に注目が集まっている。戦後70年で被爆者の声が世界に訴える力が増しているからだ。今年、ジュネーブに本部を置くNGO「国際平和ビューロー(IPB)」は、世界に核廃絶を訴え続けてきた功績を認め、長崎の被爆者の谷口稜曄さん(86)とカナダ在住の広島の被爆者・サーロー節子さん(83)、谷口さんが代表委員を務める日本被団協をノーベル平和賞に推薦した。谷口さんが個人として候補に入ったのは、今回が初めてだ。もし、日本人が受賞すると故・佐藤栄作以来、41年ぶりとなる。谷口さんは、候補に挙がっていることについて「選考委員が決める事になっていますが、もし、受賞してもこれまで通り、ノーモアHIROSHIMA、ノーモアNAGASAKI、ノーモアHIBAKUSHA、ノーモアWAR。伝えたいメッセージは、変わらない。戦争のない、核兵器のない世界の実現のために発信していこうと思っています」と話した。 

谷口さんは、16才の時、郵便局員として集配中、爆心地から1.8キロの路上で被爆した。熱線で焼けただれた赤い背中の写真を目にしたことがある人も多いかもしれない。1年9カ月うつ伏せの状態で、身動きがとれなかったため胸に床ずれができ、骨まで腐ったという。今年、核拡散防止条約(NPT)再検討会議でニューヨークを訪れた谷口さんは、米国の人に伝えてもらえたらとその傷跡を見せてくれた。20回以上も手術を繰り返してきた背中は、生々しい跡が重なり合っていた。肋骨の周りには、大きくえぐれた傷があり、触ると皮膚表面は、とても固かった。外からでも骨の間から、内蔵が動くのが見えた。被爆者の平均年齢は、80歳を超え、実際に、ケロイドを持つ人は、少なくなってきた。谷口さんは、東西冷戦の時代から、長年、被爆者の先頭に立ち、国内外で原爆の実相を訴え続けている。

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今年5月、ニューヨークの大学で学生らに核廃絶と平和への思いを語った。谷口さんが赤い背中の写真を出したとたん学生らは、目を見張った。「Oh my god!!」といって、思わずスマートフォンを持って立ち上がり、写真を撮る人もいた。当事者の話を初めて聞く学生がほとんどだった。講演後、会場からの「今回、米国から公式な謝罪がありましたか」との質問に谷口さんは、「謝ってもらいにきたわけではありません。核兵器廃絶を求めるためにやってきました」と語気を強めた。それを聞いて、肌の色も人種も違う学生、約150人が集まったぎゅうぎゅう詰めの会場から、自然と大きな拍手が沸き起こった。純粋な学生の目が忘れられない。谷口さんは、肺活量が普通の人の半分程であるため、マンハッタンの街を歩いているだけでもすぐ息苦しくなったという。その日、握手をした手は、とても冷たかったが、身を削ってでも海外の人に思いを伝えたいという熱い魂を感じた。谷口さんの背中には、多くの仲間の遺志が託されている。

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長崎の被爆者、故・山口仙二さんや谷口さんは、生き証人として戦争で市井の人がどれだけ苦しみ、悲しむことになるのか教えてくれた。私自身、ニューヨークに住んでいて、他国の人たちは、日本人がこうして平和を守ってきたことへの尊敬の気持ち、信頼を持っていることを感じる。ノーベル平和賞・個人での受賞は、生存していることが条件だ。第二次世界大戦終結、原爆投下から70年。世界が"平和"について考える節目の年に、これまで核軍縮のため活動を続けてきた被爆者が受賞する意義があると思う。"長崎を最後の被爆地に"。谷口さんは、9日夕、長崎市の被団協の事務所で平和賞の選考結果を待つ。